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霊能力

 2009-01-09
この世ではないものの存在を見たり感じたり、その声を聴いたり、実際にその存在と会話をしたりする力―「霊能力」は存在すると思う。

しかし、メディアの影響もあるのだとは思うが、そういった不思議な力や、その能力を持つ人を盲信し、自分も同じようにその力を得ることを望んだり、憧れる人が増えている最近の風潮は、正直問題だと思う。

霊能力の有無は、人間としての価値に比例しない。。「霊能力の高さ=人格」ではない。「その力を持つ人」というだけであって、「=特別な人」ということではない。そこを勘違いしている人が、あまりにも多い。「人とは違う」という、ある種の「選民思想」、名誉欲をくすぐられるのだと思う。

今まで霊能力を持つと自称する人達と会ったが、「本物」の確率は、正直2分の1以下だと思う。その大半は「気のせい」。常にそういったことに注意を向け、囚われているから、何でもないことでも、すぐに霊現象と結び付けてしまう。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉があるが、まさにそれだ。

以前、そういった能力や世界に過度に憧れを持っている人がヒプノセラピーのセッションを受けに来られたことがある。霊能力が自分には備わっていると言う。

まだ若い方だったので、そういったものに流されたり、興味を持つことは仕方のないことなのかもしれない。しかし、話をしていると、何でもその方向に結び付けてしまう傾向が強いのが気になった。

すると、セッションルームの天井付近から、断続的に音が聞こえてきた。大きなものではなく、ラップ音とも違うもので「プツッ、プツッ」と聞こえてくる。数回それが続き、またしばらくすると・・・いうことが、繰り返された。実はその数日前から、その音がするようになったのだが、原因はわからなかった。

その音がし始めたのが、ちょうどその人が自分の能力や、今まで体験した不思議な出来事を話していた最中だったこともあり、ある意味「タイミング」が良かった。その人曰く「その音は霊現象」だとのことで、自分の「霊能力」で感じることを、いろいろと言い始めた。

しかし私は瞬間的に「いや、違うでしょ」と思った。多かれ少なかれ、「何かを感じる力」というものは、どんな人にも備わっている。自分の中から来るもの―「直観」というものは、時に、一瞬にしてその真実を伝えてくる。例え相手が著名で高い霊能力を持つ人だったとしても、その言動の中に真実がなければ、人はそれを瞬時に察する能力がある。「違和感」というものも、その一つだと思う。

そしてその日の夜遅く、「霊現象」の原因が判明した。何のことはない。「水道管の水漏れ」だった。
知らなかったのだが、音がした天井付近には、上階の部屋の水道管が通っていた。老朽化した箇所から水漏れがして、その水滴が天板に当たる音だったのである。翌日水道管の修理が行われてから今日まで、その音はまったくしていない。

この件に関わらず、何事もそういった「思い込み」前提で捉えていると、真実は見えてこない。

時には、この世のものではない存在が、一瞬部屋を横切ることがあるかもしれないし、一時的にそこに留まるような場合もあるだろう。

しかし、どっぷり霊的なものに偏っている人にかかると、それが害のない類のものであっても、「長年この場所に棲みついている地縛霊」や「助けを求めに来ている不成仏霊」というように、「大袈裟」なものになってしまうことがある。

いちいち大袈裟に取り上げるから、大騒ぎになる。見えたり感じたりしたとしても、放っておいていたらいいだけのことだ。知らんふりして無視していたらいい。本来相手は「見えない世界」の存在なのだから、無理に見る必要も、関わる必要もないと思う。その道の「プロ」に任せておいたらいい。「素人」が生半可に関わる領域のものではない。


オーラが見えたとしても、別にどうってことはない。大体オーラは瞬時にして変化する。生まれてから死ぬまでずっと同じ色でいることはあり得ない。

そもそもオーラというものは、目で見えるだけではない。実際に目で見えない人でも感じることはできる。例えば、明るく活発で陽気な人を見れば、自然と明るい元気な色、オレンジや黄色等のビタミンカラーを思い浮かべると思う。クールで常に冷静沈着な人を見れば、青やシルバー等の落ち着いた色を―。それと同じことだ。

アメリカで日本語教師をしていた頃、空き時間にサポートしていたキンダーガーテン(幼稚園)の園児の一人が、私を描いた絵をプレゼントしてくれた。画用紙の真ん中に、スマイルマークのような顔が大きく描かれているだけのものなのだが、オレンジと紫の絵の具が使われていた。

当時4歳だったその子に、オーラを目で見る能力があったのかは分からない。しかしその時、その子は私からオレンジと紫の色を感じたのだと思う。これが「オーラ」というものではないだろうか。

だとしたら、オーラは「見る」だけではなく、「感じる」ものでもある。それが「見える」ことが優れているということでも、「すごい」ということでも、「特別」ということでもない。

霊能力のある・なしは、あくまでもその人を表す「条件」でしかない。メガネをかけているか、かけていないかくらいの違いでしかない。勘違いからくる「選民思想」「特別意識」は、人としての軸を狂わせる。そういったものに振り回され過ぎず、盲信し過ぎず、依存し過ぎず、「今ここ、現在」に、しっかり足を着けて歩いていくことだ。

カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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