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自由と覚悟

 2008-12-23
「あの人のように生きたい」「あんなふうに生きることができてうらやましい」
誰かのことをそう思って見ている時、目に映っているその姿は、あくまでも「結果」でしかない。

その人が下してきた選択の先に辿り着いたもの、その選択の際に発生する物事に向き合い、取り組み、そして至った「結果」を見ているにすぎない。

「自分らしく生きたい」「好きなように生きたい」と誰もが口にする。しかし「自分らしい生き方」も「好きなように生きる人生」も、そんなものは存在しない。

人生は常に選択と決断の連続だ。

朝起きる時間や出かける時間、朝食に何を食べるかという日常生活においての些細なことから、どの学校を選ぶか、どんな職業に就くか、結婚するかしないか、家を買うか等、今後の人生の展開に大きく関わってくるような重要なことまで、その連続だ。

「自分らしい人生」も「好きな生き方」も、その選択と決断の上に成り立っているものだ。その延長線上に存在するもの。

その人の選択したものが、決断したものが、最終的に「自分らしさ」「好きな生き方」と言われるものに繋がっていくのだと思う。

「自分らしく」「好きなように、思うように」という部分に拘っている人ほど、レールから外れることを恐れる。人の目や評判、思惑、世間の常識―そういったものを極度に気にする。そこに縛られている人ほど、「自由に」「好きなように」という言葉の表面だけの響きに振り回される。

そして、結局その人達は、今いる場所に留まることを「選ぶ」。「レールから外れない」ということを「選んでいる」。

しかし本人達はそう思ってはいない。「自分はそれを選ばざるをえなかった。自分の意思や希望とは無関係に、限られたものの中からそれを選択しなければならなかった」と思い込んでいる。あきらめのようなものが、そこに存在する。

仮にそうだとしても、その人達は「限られた選択肢の中から選ぶということを、自分が選んだ」ということに気づいていない。「それ以外のものを選ばない」という選択を、自分がしたことを気づかない。

そういった思い違いや勘違いをしているから、「好きなように、自分らしく生きている人」が羨ましく思えて仕方ない。やがては自分自身の運命や存在価値といったものにまで、その嘆きが及んだりする。占いやセミナーに入れ込んで、それを拠りどころにする人もいたりする。

自分の思ったとおりに、好きなように生きているように見える人は、選択と決断をその都度繰り返してきたに過ぎない。「自分らしさ」ということにも、強いこだわりはない。

ただ、その人達は「自分で選ぶ」ということを決めている。それは「覚悟」という言葉に置き換えてもいいかもしれない。「それがどんなものであろうと、自分で選んだことに対して一切後悔はしない。どんな結果になったとしても、それを受け止める。決して逃げない」ということを、自分の中で決めている。

どこかで野垂れ死にすることになっても、孤独な人生になったとしても、全部自分でそれを背負うという覚悟の下で「好きなように、思ったように」生きている。

そこに至るまでのプロセスで、多くのものを失ったり手放してきたとしても、そこに後悔はないはずだ。なぜならそれは「自分で選んできたことに対する結果」なのだから。

好きなように、思ったとおりに生きている人なんて、この世には存在しない。
もしその人のことをそう思えるなら、そう見えるなら、それはその人の「覚悟」の形だと思ったらいい。

覚悟なくして自由はない。
カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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