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本気

 2008-12-15
私の経験上から言うと、本気でそれに取り組んでいる時は、不平不満等の「グチ」は出てこない。

人間、本気になったら出るのは「力、パワー」であって、グチではない。つまり、グチが出るということは「本気ではない」ということだ。「中途半端」ということ。

例えそれがなかなか上手く進まないとしても、やる事が山積みだとしても、それを「苦」とは思わない。というより、そんなふうに思っている暇がない。ただ無心に、ひたすらそれに取り組むだけ。

何よりも、本気であるならば、出てくるのは「実践、行動」だ。

「グチを言う人達」を見ていると、一様に共通する言葉を発している。「やる気が・・・」「うまく行くという保証がないから・・・」「不安で・・・」―すべて実体のない曖昧なものに囚われている。

そういった目に見えない不確かなものに、いつまでも依存して焦点を当てているから、そこから前に進もうとしない。「進めない」と本人達は言うが、「~できない」のではなく、自分が「~しない」だけだ。あれこれ理由を付けて、そこに留まり続けていることを正当化しているだけ。ただの「言い訳」に過ぎない。

今現在そういった不確かなものに依存して、拠りどころや言い訳にしているということは、この先も同じことを繰り返すということ。

「そんなことはない。変わることもあるはず」と思っているのなら、もうその時点で先は見えている。
「~するはず」という、曖昧な部分に重きを置いていること自体、既にそこには「自分」というものが含まれてない。自分あってのことなのに、いつの間にか「やる気」「保証」「不安」云々が中心になってしまっている。

それではこのまま「やる気」が出なかったら、「保証」がなかったら、「不安」が消えなかったら、今いる場所に、このままずっと留まり続けるということだろうか?

「本気になる」ということは「覚悟を決める」ということだ。

やる気とか、保証とか、不安とか、そういったものを持ち出して、溜息をついて「やっぱり難しいよね・・・」と溢し、お茶を濁しているのなら、それは「本気ではない」ということ。「覚悟がない」ということだ。今自分の信念が試されていることに、まったく気づいていないということでもある。

ゴチャゴチャと、あれこれ理由を持ち出しているのなら、それは自分にとって必要のないもの―ということだ。本当にそれが必要なら、喉から手が出るほど欲しいものなら、とっくに行動を起こしているはず。さっさとあきらめて、別のものを探したほうがよっぽどいい。

本気だったら、どんな手段を使ってでも、それを手に入れようと必死になる。必死さが「行動」となって表れる。それが自分にとっての「本物」であるのなら、尚更だ。

グチの数と本気度は反比例する。だが言い換えれば、まだまだ自分の中に出せる力があるということ。

その力を出すのか、出さないままで終わるのか―それはすべて自分次第だ。


カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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