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不勉強の害(2)

 2016-09-08
ネットを利用していて思う。サイトやブログ等そこで発信されている情報は、「正解」「真実」を述べているものより、「発信者が知っていることを書いている」もののほうが圧倒的に多い。

そして、そのほとんどが、いわゆる「焼き直し」だ。「引用」「また聞き」という感じで、どこかのサイトやブログで見たり読んだりしたことに多少の持論を加えたものを発信しているに過ぎない。

それは、「伝言ゲーム」とよく似ている。最初の元ネタがあり、それを見た人達によって新たな尾ひれがつけられ、またそれが発信され・・・ということが無限に繰り返され、拡散していく。引用元のチョイスの仕方も非常にいい加減だ。「それっぽい」「信用できそう」という「印象」が基準なのだ。それは検証されることもなく、無責任に次々とコピーペーストされていく。

元ネタが間違っている場合、当然その誤った情報が「正解」「真実」として、ねずみ算式に広まっていくことになる。そして、「数の多さ=正しいこと」と思い込む人々によって、事実に反することが「常識」「定説」として認識されるようになるのだ。都市伝説の類も、おそらくこういったことの延長線上にあるのだと思う。

今現在ネット上に出回っている情報の大半は、そういった背景から生まれてきたものだ。確証性は低い。多数の人間が同じことを言っているとしても、それが「本当のこと」だという保証はないのだ。「多数によりもたらされる安心感」は当てにならない。それは「マジョリティーの怠慢」だ。

特に、それが有名人や権威的な存在の人から発信されたものである場合、多くの人は疑いもせずに鵜呑みにする。「知名度」「スペシャリスト」という肩書きに弱い人やそれにコンプレックスを持つ人ほど、その傾向が強くなる。だが、彼らが信じた発信者もまた、実際のところはその大半が、「自分が知っていることを書いているだけ」「自分が思ったことを書いているだけ」だったりする。

中には、「専門家」「有識者」と呼ばれるような立場にありながら、とんでもない発言をする人達も多い。数年前、「鬱は甘えだ!精神が弱いからだ!山登りでもさせておけば治る!」とあちこちで発言していたバカな内科医がいたが、その典型だと思う。「昭和」に蔓延していた偏見。「日進月歩」と言われる医学の世界で、昭和の情報と価値観が未更新のままの医者とか、ある意味問題ではないかと。こういう「化石」のような人が未だ存在することに驚くと同時に呆れる。

世間の多くの人は、「医者=医学全般に通じているスペシャリスト」と思っているが、実際は、自分の専門分野以外に関しては非常に疎い。関心度も低いし、それについての最新情報をわざわざ得ようとすることなど、ほぼ皆無だ。知識レベルもそのへんの素人と変わらないくらいか、下手をするとそれ以下だったりする。精神医学に無知で無関心な内科医や心臓外科医がいても、何ら不思議ではないのだ。

「病は気から」という言葉が古来からあるにもかかわらず、体と精神と心の繋がりを軽視する医者は多い。残念なことに、件のバカ医者のようなケースは、決して少なくないのだ。医者でありながら、未だに「鬱やPTSDは単なる甘え」と断言する人もいる。そういう認識不足の専門家が公の場で偏った持論を展開することは多々あって、迷惑この上ない。

何をどう思おうと勝手だが、自分の価値観や思い込みを「情報」と混同して発信するのは、いい加減やめてもらえないかと。「医者」というブランド力が物を言うことも多いこの国では、何気ない一言であったとしても、「医者の言葉」というだけでそれをありがたがり、正誤関係なく受け入れてしまう人もいるのだから。

その道のプロであろうがなかろうが、どんな形であれ何かを発信する立場にいるのであれば、「確認」は最低限の義務だ。きちんと自分の言葉の「裏」を取れよ、と。

先頃の熊本地震や今回の台風10号の東北地方への被害にあたって、被害者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)等の発症が懸念されているが、例のごとく、「古い情報とクソの役にも立たない思い込みで無責任にモノを言う人達」があちこちに涌いている。

「PTSD?そんなもんは気の持ちようだよ。ストレスに対する耐性がないんだろ?精神的にヤワなんだよ。戦争を経験した世代を見てみろよ。目の前でどんだけの人が死んだと思ってんの?それでもケロっとして生きてるじゃん。トラウマなんて気力でなんとかなるんだよ。気力だよ気力!」

面白いことに、心理学や精神医学の分野に無関係且つ無関心な人やPTSDを経験したこともない人、自分に対して妙な過信をしている人ほど、こう言うのだ。「門外漢」と「幸運な未経験者」の言葉には、なんの説得力もない。それはただの「誹謗」だ。どこまで行っても「他人事」なのだ。自分以外のことに対しては、人はどこまでも無責任になれる。その典型的な例だ。

よし、あんたら今からイスラム国の人質と交換されてこい。それとも、サファリパークの猛獣エリアに置き去りにされるのとどっちがいい?せっかくだから好きなほうを選ばせてやるわ。怪我の程度は関知しないけど、ぎりぎり最低限の生命だけは保証してやる。「明日は我が身」「紙一重」を身を以て経験したほうがいいわ。

生還して普通の日常生活に戻った後、街中やテレビで中東系の人を見て体がビクッとなったり、コーランの音読をテレビで聞いて全身が震えたり、トラ柄の洋服やライオンの写真を見て冷や汗が出るようになったり、動物園やサファリパークやペットショップに行けなくなったり、子供におもちゃのピストルを向けられた時に心臓がバクバクしたり、包丁やナイフ、はさみ等の刃物類が持てなくなったり、家でくつろいで楽しく食事をしている最中に、突然「自分は死んでしまうかもしれない」と思ったり、足元が、まるで雲の上を歩いているかのようにふわふわと覚束なかったり、ちょっとした物音や人影に死ぬほどびっくりするようになったり、

家族や友人知人を、理由もなく「危害を加えるのでは?」と疑いや警戒の目で見るようになったり、どこにいても落ち着かない気分になったり、体は疲れているのに全然眠れなかったり、妙にやる気が出なかったり、気分が沈んだり、人質として監禁されていた部屋の壁の色や空気の匂い、ライオンに追いかけられていた時に首筋に感じた息遣いを気がつくと繰り返し思い出していたり、誰かにあの時の体験を話そうとするけど、なぜか言葉が出てこなかったり、悪夢を見てうなされたり―そういうことが1つも起きなかったら、あんたらの言う「気力論」を認めてやってもいいわ。

テレビや映画の影響で、「トラウマ」というものが、非常に誤解されて世間に広まってしまったと思う。その中でも、よく取り上げられる「フラッシュバック(追体験)」という症状は、「その瞬間の場面の記憶が突如蘇る→恐怖に悲鳴を上げ、パニック状態になる→そして失神」という形で描かれることが多いせいか、言葉は悪いが、何か非常にドラマティックで大げさなものだと思い込んでいる人が多い。

確かに、そういう症状を示す人もいないわけではない。だが、実際のそれは、当事者の内面で起こっている状態に反して、表面上の変化は周囲には分からないほど静かなものであることが多いのだ。

その時の「嫌な感情」を自身で能動的に思い出そうとしているわけでもないのに、意志とは無関係なところで、説明がつかないほどの強い恐怖心が突然湧き上がってくるのだ。時と場所を選ばずに、それは不意打ちにやってくる。自分の制御不能な領域で起こるのだ。

気がつくと、その感情やその時の状況を脳内で延々と反復していたりする。自分の意思に反して。その間全身がこわばって動けなくなったり、震えが止まらなかったり、会話が困難になる人もいる。現れる反応は人によって千差万別。ドラマで描かれるイメージは、あくまでも一例だ。「外からはわからない」「気づきにくい」もののほうが圧倒的に多い。

「傍目にはケロっとして生活している(ように見える)戦争経験者達」でも、本人や周囲が認識していないだけで、実はPTSDの後遺症が戦後70年以上経った今も残っている場合がある。

戦争中のことを「忘れた」「覚えていない」と言って、話したがらないのもそう。反対に、涙ぐみながら当時の話をすることもそう。イモ類等、戦時中に主な食料だった物が食べられない、もしくは食べたがらないこともそう。風船が割れる音や打ち上げ花火の音、車のタイヤのパンク音、飛行機やヘリコプターが発する音、パトカーや消防車のサイレン等、空襲や銃声を想起させるような物音が苦手なこともそう。当時疎開していた親戚の家や防空壕のあった場所を避けたり、行きたがらないこともそう。「戦争物」のドラマや映画を見ることを避けたり、とにかく「戦争にまつわるもの」を遠ざけようとすることもそう。

日常の、些細で何でもないように思えることの中にも、当時の「トラウマ」は存在し続けている。テレビの中で描かれるような「大袈裟なもの」だけがトラウマではないのだ。本人に自覚がないだけで、実は慢性的なものになっているケースも多い。PTSDに関する情報と知識が圧倒的に不足しているため、自分が長年抱えている原因不明の心身の不調の原因が、まさか70年以上も前の戦争体験に起因しているとは思わないのだ。

当時のことを思い出して、強い気分の落ち込みや波を経験しても、「辛い思いをしたのは自分だけじゃない「みんなも同じことを経験してきたんだから」「もう昔のことだから」とあれこれもっともらしい理由をつけて、自分を無理矢理納得させてきただけなのだ。「忍耐」を美徳とし、時にそれを強要されるこの国では、それ以外の方法は許されなかったから。「抑圧」は「解決」を生まない。相変わらず「傷と痛み」は残り続ける。時間と共に色褪せたり薄まることはあっても、それは決して消えることはないのだ。

長年「根性論」がまかり通ってきたこの国では、精神医学の分野は欧米に比べ、確実に30年は遅れている。PTSDに対する世の中の認識も治療法も、ようやくスタートラインに立ったばかりだ。精神医学の分野は、この国では、昔から「アンタッチャブルの領域」だった。それゆえに、根拠のない風評や憶測が飛び交い、正しい知識を得る機会もなく、今日までその状態が続いてきてしまったのだ。特有の「隠す文化」「恥の文化」も、それに追い打ちをかけた。

そして、今尚そういった傾向は変わらない。ネットで膨大な情報が得られる時代にありながら、結局は「自分が関心があること」しか知ろうとしないこの国の人間の怠惰と無関心と―。面倒くさいことは人に丸投げ、「与えてもらうこと」に疑問すら抱かないで盲信する依存心の高さと―。自分の考えや持っている情報を過信し、省みない傲慢さと―。この国の「怠慢」が生んだ現状だ。

今の世の中、件のバカ医者や「気力論」を振りかざす無知な人間のような、その分野のことに関してなんの知識も持たない素人風情がデマを垂れ流すことが多々ある。ネットに出回っている情報がすべて正しいわけではない。たとえそれが、「自分が信頼している人が書いていることであっても」だ。

「信用する=鵜呑みにすること」ではない。「思考」を投げ出すことは「依存」の始まり。その第一段階だ。そういう些細なところから、「侵食」は始まるのだから。他人の思考に執着することは、自分を明け渡すことと同じことなのだ。

インターネットが一般に普及し始めて20年以上経ちながら、大半の人間は、結局「自分が知りたいこと」しか調べない。知識の量と幅は、案外普及前と大差ないのかもしれない。「考えて、調べる。そして考える」この国の人間に、今現在圧倒的に足らない部分。無知が蔓延する世の中がもたらすものは、「混沌」と「停滞」だけだ。

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