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アメリカにて「NO PARTY, NO LIFE!だってアメリカ人だもん」

 2016-09-24
「パーティー」が嫌いだ。「サプライズパーティー」は、それ以上に嫌いだ。

こう言うと、「えー!意外!」と決まって驚かれるのだが、基本ソロ活動を好む人間なので、わちゃわちゃと大人数が集まってキャッキャウフフしながら賑やかに騒ぐということが、どうも性に合わないのだ。

自分で言うのもなんだが、人当たりはいいので、その場の空気に馴染んでそれなりに振舞うことはできる。だが、正直「自分を含めて、せいぜい4人まで」という、経験から独自に導き出した許容数を超えると、もうダメだ。「人酔い」してくるというか、気疲れして、どんどん消耗していき、最終的にライフポイントは限りなくゼロに近くなる。

アメリカ在住の頃、それはもう鬱陶しかった。大なり小なり、「パーティー」と銘打った集まりを年がら年中気軽に開くお国柄。「この先一生パーティーと名のつくものに出なくてもいい」と本気で思うくらい、引っ張り出され、連れ回された。

室内だけでなく、ビーチや公園、キャンプ場等至る所で開かれるそれに、「こいつらどんだけお祭り騒ぎが好きなんだよ・・・」とヘロヘロになりながらも、郷に入っては郷に従え―その国で生きている以上は受け入れなければならない。パーティー嫌いの人間にとって、アメリカはまさに「鬼門」なのだ。

「人生は楽しんでなんぼ」という考えが国全体に浸透していることもあり、アメリカ人は、人を喜ばせたり楽しませることに対して労を惜しまない。もちろん、「自分も楽しむ」という前提で。それは、「情熱的」「貪欲」と称してもいいほどだ。彼らにとって、パーティーは、「自分が人生を謳歌していることを手っ取り早く実感できる場であり、機会」でもある。

特に、誕生日やお祝い事に関することであれば、「当然サプライズパーティーっしょ!」という前提で話が進むことが多い。さすが映画の都 ハリウッドを抱えるエンターテインメントの国だけあって、アメリカ人はその手の演出が大好き且つ得意ときている。

日本人なら、「でも、それって準備が大変じゃない?」と二の足を踏みそうな規模や内容だとしても、彼らは持ち前の情熱と貪欲さとサービス精神で、それをやってのけるのだ。普段の「えー、そこまでガチガチにしなくてもいいんじゃないのー?適当でいいよー。Take it easyだよー」という大雑把モードが消え失せ、俄然マメになるのも面白い。

そういった部分を含めての、様々な思いや手間やアイディアが詰まったイベントなので、仕掛けられる側は、ただただそれを受け入れるしかない。私のような「サプライズ嫌いのパーティー嫌い」からしたら、自分がその「主役」になることは拷問にも等しい。「そういうのはいいから!本当にいいから!必要ないから!」と阻止しようにも、ロックオンされたら最後、諦めるしかないのだ。

ただ、仕掛ける側が、いくら慎重に、バレないようにこっそり仕込みをしていたとしても、ちょっと勘のいい人間なら「その気配」は容易に察することができる。だが、もし感づいてしまったとしても、仕掛けられる側は、決してそれを表に出してはいけない。ターゲットである当事者は、あくまでも知らんふり―それが「暗黙のルール」なのだ。

たとえオフィスの休憩室のテーブルの上に、誰かがうっかり置き忘れた自分の誕生パーティー用の買い物リストを見つけてしまったとしても。仕事からの帰り道、立ち寄ったショッピングモールのベーカリーで、同僚が「そう、スペルはM・I・R・A。大きさは・・・」と、自分のためにバースデーケーキの注文をしている場面に遭遇して、気づかれないように踵を返し、ダッシュでその場を立ち去ったとしても。友人の家で、「バスタオル取ってきてー」「はいよー」と開けたクローゼットの中に、自分の名前と「HAPPY BIRTHDAY!」と書かれたタグが付けられた、明らかに「プレゼント」とわかる包みを偶然見つけてしまったとしても。

「バレバレですやん!サプライズちゃいますやん!」という状態になったとしても、「何も見てまへん。何も知りまへん。皆さんが私の誕生日にサプライズパーティーを開こうとしてるなんて、そんなことは夢にも思ったことはありまへん」を貫くのが、仕掛けられる側の「使命」であり、「仁義」なのだ。ここまで来ると、「鬱陶しい」を通り越して、もはや「鬱状態」に近くなってくる。

くそー・・・「誕生日いつ?」って聞かれた時、「誕生日?実はもうすぐなんだよねー」なんて言わなきゃよかった・・・(T_T)

何がイヤって、サプライズ嫌いの自分にそれを仕掛けられることがわかっているだけでもアレなのに、その瞬間が来るまで「えー、サプライズって何?それって食べられるの?」的な鈍感さを装ってからの、「オーマイガー!信じられない!なんて素敵なの!ありがとう!」という感激した体の小芝居をこなさなければならないのだ。

いや、無理。マジ無理だから・・・。あたくし、イクストリームリーにシャイなジャパニーズなんで、そんなハリウッド的な寸劇を求められても非常に困るんですけど・・・。

つーか、前から「サプライズ苦手」って言ってるじゃん!もしかしてあれか!?「押すなよ!?絶対に押すなよ!?」って前フリして、熱湯風呂に落とされるダチョウ倶楽部の芸的な意味に取られてたとか?うわー・・・マジ勘弁・・・。「日本人はなかなか本音を言わない」って言われてるけど、私は違うんだよぉー!思ったことははっきり言う性格なんだよぉー!前フリなんかじゃないんだよぉー!ヽ(`ω´*)ノ彡

ただね・・・やっぱりアメリカにいる以上、逃れられないんですよ。その「寸劇」を演じることから。アメリカのドラマや映画でも見たことあるでしょ?

明かりの消えた部屋に入る主人公。「あれ?誰もいないの?ねえ、誰・・・」「サプラーーーイズ!!」の声とクラッカーの音と共に電気がついて、満面の笑みを浮かべて物陰から現れる人々。突如始まる「ハッピーバースデー」の合唱。感激の面持ちの主人公。

「さあ、ロウソクを吹き消して!」目の前に差し出されるバースデーケーキ。ロウソクが消えると沸き起こる拍手。ハグとキス。手渡されるプレゼント。「素敵!これ欲しかったの!本当にありがとう!」喜びと幸福に顔を輝かせる主人公。それを微笑みで温かく見守る周囲の人々―。

書いているだけでも胸焼けして白目をむきそうになる場面だが、これがデフォルトなのだ。もうね、「圧」がすごいんですよ。圧が。その「愛と感動に溢れた場面の主人公役」を最後まで完璧に演じることを、周りが信じて疑わないわけ。もう「台本」があるんじゃないかと思うくらい。男女・年齢・人種関係なく、「主人公役」は、判で押したように「幸せな主人公的小芝居」を恥ずかしげもなく堂々と披露する。

日本の2倍以上の人口なのだから、私のように、「パーティーもサプライズも滅びろ!」という変わり者は絶対にいると思うのだが、私の知る限り、かなりの偏屈者として通っているような人であっても、その手のイベントには、やはり「主人公役」をそれなりに務める。

普段では考えられないような、「へー!この人でもこんなことするんだ~」という、ちょっとした「観客サービス」があったり。その徹底ぶりに、「なんかスゲー。アメリカ人スゲー。さすがエンタメの国だわー。ジャパニーズには無理っすわー」と感心することしきりなのだ。

だが、個人的に、「台本疑惑」は、あながち「ハズレ」ではないと思っている。アメリカ人は、「イメージ」に沿って生きている―私はそう思うのだ。自分達が描いた「アメリカ人像」というものに忠実であろうと躍起になっているように見える。

彼らを見ていると、時々痛々しくなることがある。多くの人が抱く印象とは裏腹に、アメリカ人は非常に保守的だ。一見おおらかそうに見えるが、その実は、旧態依然というか、「こうあるべき」というイメージや思考にこだわる傾向が強い。

「人からどう思われるか」「自分は人からどう見えているか」を、彼らは常に気にしている。一見「強気」に見える態度の裏には、意外に脆い顔が存在している。「強さ」が価値を持つ国で、「弱さ」を見せることは御法度だ。足元をすくわれる危険を招く恐れがある。

彼らが「強くポジティブであること」にこだわるのは、アメリカは「強くなければ生きられない国」だから。あの国では、「強さ」は正義であり、善なのだ。

多分、国として独立した背景や「フロンティアスピリット」、「アメリカンドリーム」の影響だと思うのだが、アメリカ人の中には、「強い者」「成功者」への憧れや信仰が根強くある。「世界のリーダー」「マッチョ(男の中の男)」「No1」といったものへのこだわりも、それらが「強さ」や「成功」のイメージを喚起させるからだと思う。「強い者=勝者」という概念が定着しているのだ。

何年か前、北米でのトヨタ車大規模リコール問題の証人として、トヨタ本社社長が米議会での公聴会に召喚されたことがあった。その際、トヨタの社長が涙を流す場面があったのだが、これが大きな話題になった。私もニュースでその映像を見たのだが、「あー、やっちまったな・・・」と。

日本とアメリカでは、「泣く」ということに対する感覚がまったく違う。特に、理由は何であれ、大の大人の男が、それも、国を代表する企業のトップが人前で泣くということは、アメリカでは「ありえない!」ことなのだ。「由々しき事態」と言ってもいい。「男泣き」に寛容な日本では、同じ場面に遭遇した場合、割と好意的というか、同情されたりすることも多い。

だが、アメリカは違う。たとえそれが「感極まって」という種類のものであっても、「男の涙」はドン引きされたり眉を顰められるお国柄、「トップが泣くだと?そんな人間が舵取りをしているこの企業は大丈夫なのか?」と、嫌悪に近い懸念をされる。感情のコントロールができない、しいては自己管理能力が低い「無能な人間」という評価が下されるのだ。

もし、うっかりそれを披露してしまった場合、完全に引いた状態のその場の空気を一気に笑いに変えてしまうくらいの、自分の「失態」をジョークにして処理してしまえるようなユーモアと臨機応変さを披露できなければ、マイナス評価は覆らない。例外としてそれが認められるのは、家族や近しい人を亡くした時だけだ。

実際、涙を流すトヨタの社長を見るアメリカ議会の人々の視線は、非常に冷ややかだった。完全に「敗者」を見るそれ。中には明らかに侮蔑の表情を浮かべている人もいた。「男が泣く」ということは、「異常事態」であり、「弱さ」の露呈と取られる。「マッチョ信仰」の強いアメリカでは、「男の涙」は奇異且つ忌むべきものなのだ。

「涙もろい」は、アメリカでは通用しない。日本では、しばしば「やさしさ」「情の深さ」と結びつけられ、人間的な魅力や個性として扱われたりするが、アメリカでは「emotional:感情的な」と一括りにされて終わる。プラスの意味合いで捉えられることもない。おそらく、それはヨーロッパでも同じだと思う。

甲子園球児が流す涙さえ、アメリカ人は理解しない。「なぜ彼らは泣いているんだ?試合に負けたから?は?WHY!?悔しいのはわかるけど、どうしてそこに涙が必要なんだ?泣くことはないじゃないか!」やはり、この国では「弱さの要素」は不要なのだ。敗者の中に「美」を見ることもない。

だから彼らは「強さ」にこだわる。「成功者と思われたい」「強い人間に見せなければ」そういった思いは、「成功者と思われるには?強い人間に見せるには?」という思考に繋がっていく。

「成功者」や「強い人間」はどんな話し方をし、どんな顔で笑うのか?「成功者」や「強い人間」は、どんな態度や振る舞いをするのか?「成功者」や「強い人間」は、どんなふうに物事を考えるのか?

アメリカで、自己啓発セミナーや精神分析等のカウンセリングが盛んな理由も合点がいくのだ。彼らには、「弱さ」を隠す術を身に付けると同時に、その「隠している弱さ」を解放、解消する為の手段も必要なのだ。表裏一体―彼らの「イメージへの渇望」は、それを強く浮き彫りにする。

「まずはイメージありき」それがアメリカという国だ。多分「アメリカ人であること」は、「=アメリカ人を演じること」なのかもしれない。日常の様々な場面で見られる、取ってつけたような、どこか作り物めいた感のあるアメリカ人の反応や態度や表情も、そうだと思えば、何となく頷けるのだ。

「意外と無理をしている」それがアメリカ人だ。内心はビクビクドキドキなのに、弱みを見せまいと精一杯「余裕綽々の強いアメリカ人」を演じているのだ。たまの「なんだと?表出ろ!毛唐!」というような顰蹙発言も、300歳にも満たない「幼児」であるアメリカが、「ぼく、ちゅよいんだからね!」と精一杯いきがっているかのようで、ある種の不憫さのようなものを感じてしまうのだ。

そういった裏面のナイーブさに気づいてしまうと、サプライズもパーティーも、「あのね!強くて成功しているハッピーな人は、こういうことが好きなんだよ!(`・ω・´)」というアメリカ人の必死且つ悲愴なほどの「イメージ」への執着を感じて、「しょーがねーなー。んじゃ、付き合ってやっか・・・」と、渋々ながら受け入れモードになるのだ。ま、そこはもうすぐ2700歳の「大人の国」から来た人間としての「余裕」です。

え?パーティーはどうだったかって?ええ、この上なく盛大にやっていただきましたよ。多分、この先一生分を含めても、最大級の誕生パーティーだったのではないかと。日本ではお目にかかれないような巨大なケーキに、デカデカと自分の名前がクリーム(それも水色でっせ。水色のクリーム、あの時人生で初めて見ましたわ)で書かれてあるのは「壮観」でしたわ。車のトランクがいっぱいになるほどプレゼントももらったし。楽しかったし、嬉しかったです。

でもねー、やっぱり「地獄」でした。あの瞬間。頻繁にアイコンタクトを交わしたり、どことなくソワソワしている周りの様子を見て、「あー、そろそろだなー」と覚悟はしていたはずなんですが・・・「知らんぷりからの歓喜の表情」は、奥ゆかしいジャパニーズには無理でした・・・。

笑顔は引きつるわ、動きがぎこちなくなるわ・・・自分が「女優」に不向きな人種だということがよくわかりました。ええ、絶対に無理です。つーか、すべてを知った上であの役をナチュラル且つ感動的にこなせるのは、劇団四季の人ですよ。ビデオとか撮られてなくてよかったわー。あの場面をネタに一生ゆすられる気がする(T_T)

でも、やっぱりアメリカ人すごいっすわ。「主人公を温かく見守る周囲の人々の役」、みんな完璧にこなしてたし。ただ、そういった多少の「作ってる感」はあるものの、その時のみんなの目の奥に満ちていたものは、間違いなく「本物の温かさ」だった。何よりも、そのことが例えようもなく嬉しかった。

パーティーもサプライズも苦手だし、この先も絶対に好きになるとは思わないが、こういう「本物」ベースのエンタメの中に身を置くことも、時には悪くないものだ。

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