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対 峙

 2016-10-01
今年の1月、3年ぶりにブログを再開して改めて思ったことだが、やはり私は、誰のためでもなく、「自分自身のために書いている」のだなー、と。

書いたものをこういう形で公開している以上、不特定多数の人の目に触れることは避けられない。それを読む人がいるということで、その存在や反応を考えないわけではないが、基本気にしない。

「メッセージ」を発信しているつもりもない。どう捉えるかは、読む側の自由だ。そう受け取りたい人はそうすればいい。最低限、そこに自分が「込めたもの」を読み取ってもらえたらいいとは思うが、それ以上の期待はしていない。結局人は、物事を自分が思いたいように思い、見たいように見るのだから。

人の期待や希望に応える気もない。時々、「こういうことについて書いてほしい」「こうしてほしい」等という「注文」が来ることもあるが、それを取り上げる気はない。いくら需要があろうが世間受けしそうだろうが、原則、何を書くかは自分が決める。自分が書きたいことしか書かないし、自分がやりたいようにやる。それはこの先も変わらない。

「共感してもらうこと」にも興味はない。読み手の好みや感想は、それ以上でもそれ以下でもない。それを知ったからといって、私は何も変わらない。「読んでほしい」とも思わない。「読みたきゃ読めば?」そう思う。気に入らないのなら読まなければいいだけの話。強制も懇願も存在しないのだから、自由にしたらいい。

読み手ありきの前提で書かれた文章というのは、どうしても「媚び」が鼻につく。「読者を増やしたい」「共感されたい」「よく思われたい」そういった承認欲求が底にある場合、どうしても基準は「外」になる。そちらを優先するあまり、「本来自分が言いたいこと」からどんどんズレていくこともある。論旨と軸がぶれた文章など、書く価値もない。それは「私がしたいこと」ではない。

「自分が読んで面白いもの」それがすべてだ。書き上がったものを読み返して、納得できないものは、迷わず消去か全面的に書き直す。もしくは、コンセプトはそのまましばらく月単位、年単位で寝かせておいて、後々別の切り口や表現で再アプローチする。

「産みの苦しみ」を端から放棄して、誰かや何かの文章を丸写ししてその場をしのぐような柔なことはしない。「徹底的にそれと向き合ってやる」その気概は絶対に捨てない。それは私の「プライド」だ。

「自分とはどういう人間なのか」それを確認するために、私は書いている。ブレていないか、媚びていないか、潔いか―自分自身のスタンスと信念を再認識し、定着させるために、私は書く。

自分の中にあるものをどう表現するか、それを表す「完璧な言葉」にどう近づくか、届かない歯がゆさや昇華の前の苛立ちをどうねじ伏せるか―「書くこと」は、いわば「格闘」であり、「挑戦」なのだ。自分の能力と情熱の限界を確かめるために、それを超えるために、私は書く。

そして、最終的なジャッジをするのは、ほかの誰でもなく、あくまでも私自身なのだ。私を評価するのは、私だ。自分が認める自分になる―私は、私自身と対峙している。

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタ 樫田ミラに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。当方のブログの内容や表現を無断でそのまま用いる方、少々の手直しを加えて、自分のオリジナルのように装う方がいらっしゃるようですが、モラルを守ってくださるようお願い致します。

インターネット上の文章や画像にも、ちゃんと著作権はあります。著作権侵害に関する訴訟では、①被告による原告の著作物へのアクセス可能性(IPアドレスの調査等) ②被告の利用著作物と原告の著作物における表現の酷似性③原告の著作物の著名性、周知性といったことが立証されれば成立します。故意に侵害した場合には、10年以下の懲役または1千万以下の罰金が科せられます。


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