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バーチャル

 2016-01-01
自分の周りの幾つかの経験談を聞いただけで、「それはそういうものなのだ」と安易に結論付けてしまう人がいる。自分自身はまったくそれを経験していないにもかかわらず、だ。それっておかしくないですか?それでいいの?と。

それがいくら信頼に値する人のものであったとしても、所詮は「他人がした経験」でしかない。自分以外の人間の言うことを中心に据えて構築した思考に何の意味があるのかと思う。

「○○さんがそう言ってたから」「数人の人が同じようなことを言っていたから」その人達の場合、他人の話を聞くだけで、自分も同じ経験をした気になってしまう。脳内記憶が書き換えられるのだ。いつの間にか、「耳にした他人の経験」が「自分が実際に経験したこと」にすり替わっている。

だが、所詮は借り物。そこには当事者がその時に味わったであろう「肝」が抜けている。その経験前後の思考や感情の変化、その後の自分の意識に対するフィードバック―そういったものが存在していないのだ。だから彼らは一様に薄っぺらい。

いくら他人の経験を聞きかじったところで、それはあくまでも仮想体験。本来自分の中には存在しないものなのだ。想像の域を決して超えることのないもの。彼らの物事の捉え方が極めて表面的なのは、「実感」が伴っていないから。やはり、擬似は擬似でしかないのだ。

「他人の経験を聞くだけで満足してしまう人」というのは、自分自身でそれを確かめてみようとすらしない。「現在自分が知っていることだけで十分」と考える人でもある。探究心の欠如と「自分は既に知っている」という慢心と過信―「真実を自分自身で検証することを放棄した人」とも言える。立ち止まったまま進まない人なのだ。

他人の経験と他人の言葉、他人の思考で成り立つ世界の住人。その人の意識は、想像の世界だけに留まり続ける。本人が「現実」に目を向けようとしない限り、本来は存在しないその世界に生き続けるのだ。

虚構と現実。イマ アナタガ ソンザイシテイルノハ ドチラノセカイ デスカ?

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタ 樫田ミラに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。当方のブログの内容や表現を無断でそのまま用いる方、少々の手直しを加えて、自分のオリジナルのように装う方がいらっしゃるようですが、モラルを守ってくださるようお願い致します。

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