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不変

 2012-07-16
つい先頃、ブルガリア国内の修道院発掘作業現場で、約700年前のものと推定される2体の男性の人骨が発見された。どちらの人骨にも、胸に鋤の刃と見られる鉄片が打ち込まれており、その様相から、埋葬された死者が「吸血鬼(バンパイア)」となって甦ることを封じたものであることが判明し、大きな話題となっている。

興味深いのは、ここ数年、ブルガリア国内では同様の埋葬方法による人骨が100体以上発見されているということだ。そして、その大半が、貴族階級に属する人間のものと推定されている。

修道院の発掘現場で、件の人骨を発見した考古学者は述べている。「14世紀という中世の時代、進歩的な考え方を持っていた知識人達は、バンパイアになる可能性があると人々に恐れられたためではないか」

中世のその時代、「学者」や「貴族」は、いわゆる「インテリ層」に当たる。富や権力以外に、「教養」を兼ね備えていた人々。富と権力のあるところには、自然と「情報」も集まるものだ。何よりも、地続きのヨーロッパでは、それらのやり取りは、比較的容易だったのではないかと思う。

だが、その人々は、単なる「博識」「学のある人」という言葉だけでは括れない存在だったのではないだろうか。自分が得た「情報」について、さらに思考・分析する能力、「理解力」を備えた人々であったことは間違いない。

700年前、いわゆる「中世」のヨーロッパでは、キリスト教が絶対的な権力を誇っていた。キリスト教のみならず、「宗教」の最大目的は「支配」にある。それを潤滑に行うには、物心両面での「規定と束縛」が必要となる。与えられたものをひたすら盲信し、従う―必要なのはそれだけだ。そこに「個人の思考」は不要だ。

キリスト教が、「考える人」であった学者や貴族を疎んじたのも当然なのだ。多分彼らの中には、当時の社会では考えられないような急進且つ進歩的な考えを持つ者も存在したはずだ。その教養や知性の高さゆえに、「支配」を目的とするキリスト教という権威やその在り方に対し、疑問や不審を抱いても不思議ではない。彼らによって、反キリスト主義が領民等一般市民に拡大するのを恐れたのではないかと。

おそらく、当時の人口比率では、そういった階層に属する人々は、全体の数パーセントを占めるに過ぎない「少数派」であったはず。言い換えれば、その少数の危険分子さえ「粛清」してしまえば、支配は順調に進むと言える。その他は、古くからの階級社会によって、いわば支配されることに慣れている一般市民等「従属階級」の人々なのだから。ある意味「無知」である彼らを支配するのは簡単だ。「神」に対する彼らの畏怖心を刺激すれば事足りる。

件の人骨が発見されたブルガリアが位置するバルカン半島は、ヨーロッパの中でも特に、吸血鬼に関する伝承が集中している地域でもある。そして、それらの地域には、死後に吸血鬼になるとされる人間の特徴として、「神や信仰に反する行為をした者」が挙げられている。「反逆者」をそこに結びつけ、存在自体を「タブー」にしてしまえば片が付くのだ。

キリスト教では、死後の「復活」が約束されている。最後の審判の日、イエスと共に楽園に甦り、永遠の生命を約束される。信者はそれを願い、日々信仰を深める努力をする。だが、神に背けばそれは叶わない。当時の社会状況―価値観等を含め、人生の大半を「信仰」が占めていた時代において、死後も「神と信仰に背いた者=吸血鬼になる恐れのある者」という烙印を押され、「復活」を許されないことは、最大の恐怖に値することだったに違いないのだ。

「考える人」が当時唱えていた思考や思想は、キリスト教本来の教義とは、大きく異なるものだった可能性が高い。それは、まさに「神や信仰に反する行為」だったのだ。胸に鉄片を打ち込んでから埋葬するその方法は、死者が吸血鬼として甦ることのないようにするための「呪術」、「反逆者」であることの「証」、そしてキリスト教思想を脅かす存在が未来永劫出現しないようにという「封印」なのだ。

「組織」「団体」の栄光栄華には、そこに属する者達が一枚岩となることが不可欠だ。同じ思想・目的のために、同じように考え、同じように行動することが求められる。その団結を乱す者がいれば、それは直ちに取り除かれて然るべきなのだ。それがどんなに小さい「ひび」だとしても、「崩落」の原因になりかねないのだから。

臭いものには蓋的なその排除方法は、自分達の存在を脅かす存在、「異端」「異分子」に対する恐怖の表れでもある。魔女狩り然り、異教徒迫害然り、「神」の名の下に行ってきた数々の「粛清」は、結局支配者側の「恐れ」の裏返しであり、「生き残り」への執着なのだ。

物事の「成長」「発展」は、議論や批判があってこそのものだ。医学や科学等「学問」の領域が日々進歩し続けるのは、それが存在する世界だから。だが、そういった要素を拒む「宗教」に、その機会は訪れない。そこで重視されるのは、築いたものをこの先も維持していくことなのだから。自分達の思想を末代まで残すこと―それが最大の目的の一つなのだ。

盲信者が「安定」「成熟」と呼ぶ現状は、実は「停止」なのだ。「宗教」が、何百年もの時を経て現在まで存続してきたのは、それが「真理」を伝えているからではない。単に、「自分達とは異なるもの」を頑なに、強引に排除し続けてきた結果でしかない。不都合なことはすべて締め出す―そうやって自分達の世界を保持してきただけということ。

「成長」「発展」を失った世界が向かうのは、「衰退」と「滅び」だ。世界的に「宗教離れ」が進んでいる現在、宗教界は何とかその流れを食い止めようと、あの手この手を使って躍起になっている。だが、それらが「体質」を変えなければ、「和を保つための異分子排除」という旧来からのやり方を改めなければ、現状は解決しない。ただ緩やかに、だが、ひたすら「終焉」に向かって進んでいくだけなのだ。

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