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残滓

 2012-04-22
【残滓(ざんし)】のこりかす。残ったかす。(広辞苑より)

「自分のほうが間違っている可能性があるとは思わないのでしょうか?」自分が狂信している信仰、「オーラ教教祖が広めたスピリチュアルという名のオカルト教」を批判された信者達が決まって言う台詞。もちろん批判者に対して向けられたものだ。

この言葉、そのまま返そう。彼らのその思考こそ不可思議なのだ。そこまで盲目的に「自分達は正しい」と言い切れる「根拠」はどこにあるのかと。「もし自分が信仰しているものが・・・」と考えてみたことはないのだろうか?

教祖の書いた本をバイブルとして崇め奉って、そこに書いてあることをすべて鵜呑みにする。オーラの色がどうとか、どこそこのパワースポットがこうとか。一連のそれについて考えもせず、検証もせず、無条件に信じ切ってしまうところが怖いなと。挙げ句の果てに、「それが真理です」と言ってのける。

「真理」という言葉の意味をわかって言ってるのか甚だ疑問。万人が、この地球上の人間すべてが一人残らずそれを「そのとおりだ。間違いない」「答えはそれ一つしかない」と認めるのであれば、それは成り立つ。「雪は白い」「猫は犬ではない」というように。

「オーラ教教祖が広めたスピリチュアルという名のオカルト教」及びそのベースにある「スピリチュアリズム」は、「真理」でもなんでもない。ただの「思想」だ。単なる「考え方」であり、一つの思考の形。「こんな考え方が存在する」という、いわば「サンプル」だ。「ある一つの考え方」に過ぎないそれを「真理」として奉るのであれば、それはもはや「宗教」なのだ。

「教祖様の言っていることはすべて正しい。本当のことだ」そう固く信じている信者にとっては、教祖の提示するものは「真理」となる。だが、それは信者だけに通用するものだ。あくまで「その宗教・教団内限定」としてのもの。キリスト教・ユダヤ教・仏教・イスラム教等、各宗教で「真理」とされているものはそれぞれ違う。だが、各々の信者達は、「自分達が信仰するものこそが正しい」と主張する。「我々の宗教こそが真理を語っているのだ」と。

人類史上最古且つ最も長期間続いている争い―宗教対立は、お互いの「真理」の押し付け合いが長じたものだ。スピリチュアル教信者のやっていることも、それとまったく同じことなのだ。

「狂信者」と化した上司に、その手のかなり高額なセミナーをしつこく受講(もちろん自腹)するように勧められてノイローゼ状態になった人。「信者」となった友人が、「許しなさい」「受け入れなさい」等というスピリチュアル教の定番教義を押し付けるようになったことがきっかけで、仲が疎遠になったり絶縁状態になった人。家族がその類のセミナーやその講師に入れ揚げた挙げ句、受講するためのお金を金融機関から多額に借りていたり、「あるがままでいいのです」という教義を真に受けて、黙って職場を辞めていたことが発覚して途方にくれている人。大半の人が「信者」という職場で、まったく興味を示さない人を「魂が未熟だから」と決めつけるその雰囲気に居心地の悪い思いをしている人。「霊能師(自称)の先生から、あなたが自分の伴侶になるべき人だというお告げを受けた」と言い張るストーカーに付きまとわれて迷惑している人―そういった話は一つや二つではない。むしろ、年毎に増加している。

どんな思想も、所詮は人間が考えたこと。必ずしもそれが「万人にとって良いもの・正しいもの」とは限らない。何を信じようと個人の自由。だが、「もしかしたら」と疑いもせず、誰かが提唱した一つの思想―考え方に飛びついて、自分とそれを一体化させるのは、魂を売り渡したも同然のことだ。第三者の提唱するものに自分自身を沿わせているだけ。提唱者のフィルターを通して物事を見ているだけに過ぎない。そこに本人の思考は存在しない。その状態は「洗脳」と呼ばれる。

大体、狂信者達が「真理」と言っているものは、彼ら自身の実際の体験や思考を通じて得たものではない。ただ盲信する教祖の言葉に同調しているに過ぎない。もしそれが自分独自の体験や思考から導き出され、行き着いたものであると主張するなら、そこに至るまでの過程や根拠を明確にできるはずなのだ。

だが、彼らはそれをしない。正確には「出来ない」のだ。教祖の口真似をしているだけ、ただ付き従っているだけなのだから。批判や疑問の声を徹底的に排除するのは、自分達が単なる「コピー」であって、中身は空っぽだということが露見するのを防ぐためだ。「教祖様が真理って言ってるんだから、それは真理で間違いないのっ!」そういうレベルなのだ。

その教祖を信じるきっかけの大半も、「いいことを言っているから」「いい人そうに見えるから」「なんか納得できるから」ただそれだけの理由から。「共感」「好感」を持ったというだけで、「正しい」「間違いない」と思い込む単純さ―完全に「洗脳」「盲信」でしょ、と。

もし万が一、教祖の言っていることがすべて間違いで、嘘だったら?今まで自分が「真理」だと信じていたものが実は違っていたとしたら?自分の存在意義にもなっているその思想が崩壊した後に残るものは?

その思想や信念が、自分の経験や思考から得たものであるなら、それは決して揺るがない。堂々とどんな相手とも渡り合える。だが、特定の宗教にしろ思想にしろ、誰かから植え付けられた考え方や見方が自分独自のそれと取って代わって中心になってしまっている人は、もはやその人自身、「個人」とは言えない。言うなれば、既に「抜け殻」の状態なのだ。植えつけられたものが消失した後は、何も残らないのだから。

過去の例を見たらいい。ドイツのナチズムやイタリアのファシズム―「思想」が何を引き起こしたのかを。特定民族や反体制側の人間達の虐殺、市民的・政治的自由の極度の抑圧、他国への侵略―そこには、道理や理屈に適った合理的な思想や体系は存在しない。もっぱら感情に訴える方法で、国粋主義の思想を人々の中に刷り込んだだけだ。そして、結果そのどちらも、敗戦と共に崩壊している。何やらどこぞの国で流行中のスピリチュアル教の台頭と布教の過程、そして「行く末」を暗示しているようではないか。

日本もまた例外ではない。「一億玉砕」「神風」「神軍」「お国の為に」―第二次世界大戦中、当時の政府やマスコミのプロパガンダによって植えつけられたその思想が敗戦によって完全に崩れ去った時、自分達が信じ、拠りどころにしていたものが完全に覆された時、多くの国民は虚無感を覚えた。

「自分が信じてきたもの」の崩壊とそれに伴うショック―「自分達こそが正義だ」「これは聖戦だ」そう信じて戦地に赴いた兵士を含む軍関係者、「お国のために立派に死んでこい!」そう言って多くの教え子達を戦地に送り出してきた教育関係者の中には、虚無感からその後廃人のようになったり、自ら命を断った者も少なくない。今までの価値観が覆され、すべてが「無」になったのだから。国として、民族として、個人として―一つの思想の崩壊は、それらの根幹を大きく揺るがせたのだ。

「イズム(主義・説)」というのは、単なる「一つの考え方」に過ぎない。それを信じるのは個人の自由。だがそれは、時代の影響を受け、反映するものだ。流動的で不安定なもの。スピリチュアリズムも例外ではない。各時代毎にその形を変え、発生・隆盛・衰退を繰り返す、ある意味「リバイバル」なのだ。ある時期が来ると再び活性化する「流行」「現象」のようなもの。それを万人が必ず行き着く先のもの、当てはまるもの―「真理」と断言するのは、狂信者の傲慢さでしかない。

そして彼らのほとんどは、スピリチュアリズムが持つ暗黒の歴史を知らないのだ。深く掘り下げもせず、「片面」の認識のみで容易に下す「真理認定」―本当にそれを理解しているのか?と。真理とは、そんな「浅い」ものなのだろうか。

本当にそれを「真理」と確信しているのなら、「ダークサイド」の部分を含め、スピリチュアリズムと心中できますか?もし万が一、何かの拍子に「教祖の言っていることが実は全部嘘でした」ということが科学的・論理的に証明されて、「ニセモノ」の烙印を押され、世間の非難を浴びて表舞台から葬り去られたとしても、「でも私は信じてます」と断固として言い切れる覚悟はありますか?

世間から「スピリチュアル鑑定だって。なんか怪しいよね~あれって結局嘘だったんでしょ?それでもやってるって何考えてるんだろ」と謗られ、馬鹿にされても、「プロ」として続けていく覚悟はありますか?信仰のために殉教したキリスト教の聖人達のように、命や人生を賭けてそれを貫く自信はありますか?

「スピリチュアリズムに基づいて生きる人=スピリチュアリスト」を自認するのであれば、もちろんそれくらいの覚悟はありますよね?「私の役目は終わったようです」とか何とか言ってフェイドアウトしませんよね?いつの間にかこっそり廃業していたり、サイトやブログを閉鎖したりしませんよね?

「信仰」とは、本来そういった真摯な覚悟の上に成り立つものだ。ガイドスピリットだのオーラの色だの、そんなお気楽な教義に惹かれてきた不思議なことが大好きなだけのミーハー信者に、その覚悟はない。それが崩壊した時は、多分蜘蛛の子を散らすようにいなくなっているはずだ。彼らが望んでいるのは「信仰」「主義」などではなく、自分の好奇心を刺激してくれて、「なんか不思議~♪」と仲間ときゃわきゃわ騒げる「めずらしいおもちゃ」なのだから。

スピリチュアリズムに基づく生き方とやらを実践している皆さん、もしその思想が崩壊・消失したら、あなた達の中には何が残っているんですか?その後は、何を縁(よすが)に生きていくんですか?

「支え」と「存在意義」を同時に失った時、狂信者達は途方にくれる。それが、自分で考えることを放棄し、第三者に魂を明け渡した人間の成れの果ての姿なのだ。

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。モラルを守ってくださるようお願い致します。

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