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旅路の果て

 2012-04-09
今の世の中、「条件」や「方法」にこだわる人が結構いるようだ。「結婚相手の年収は800万円以上じゃなければ嫌だ」「どんな人と結婚したら自分は幸せになれるのか」「どうしたらやりがいのある仕事に就けるのか」とか。結局、求めているのは「正しい答え」「正しい選択」「正しい方法」なのだと思う。

そういった人達を観ていると、大抵の場合、「どう生きるか」「どう生きたいのか」その部分が定まっていない。大まかな「方向性」のようなもの。人としてどうありたいのか、どんな人になりたいのか、どんな人生を送りたいのか―「自分は最終的にどの地点にいたいのか」というものがない。同じ場所をぐるぐると、出口を求めて彷徨い続けている。

妙なスピリチュアル教や自己啓発教に入れ揚げて、本物かどうかもわからない守護霊やら天使やらからのメッセージを欲しがったり、オーラの浄化だの、「ありがとう」「ツイてる」を一日に100回ずつ唱えている人は、間違いなくその口だ。

「どこに行きたいのか」目的地が決まっていないのに、どの電車に乗って、どこで乗り換えればいいのかと悩んでいるようなものだ。なんかやってることおかしくね?と。「順番」からして違うのだ。まず「行き先」を決めてみれば?と。

「どんな人になりたいのか」「どんな人生を送りたいのか」その部分、たとえ大まかでも「人生の方向性」が何となくでも定まっていれば、「条件」など然程重要でなくなるはずだ。どの方向に自分は向かうのか―それさえはっきりしていれば、そこに到着するまでの、途中のコースの良し悪しや種類に固執することはなくなる。

結婚相手の年収とか仕事の種類とか、そういった「こうでなければならない」「こうあるべき」というチマチマした「条件という名の制限」をいちいち設定したり、「正解」「保証」というものを求めるから、話がややこしくなる。大体、何かの拍子で一瞬で覆るかもしれない不安定な要素を中心に据えること自体おかしいのだ。

現在年収が1千万円あっても、それが永遠に続く保証はない。「やりがいのある仕事」に就いたとしても、何かの拍子にそれを感じられなくなる時が来るかもしれない。「条件」という不確かなものをあれこれ設定し、それにこだわって、自分自身をがんじがらめにしてどうするのかと。

人生において何が「正解」かなんて、死ぬ間際になってみなければわからない。どんな道を選ぼうが、自分でそれを「正解」にしてしまえばいいのだ。そもそも「万人に共通する正しい答え」なんて、最初から用意されていないのだから。


年収800万円以上で、次男で、持ち家で、上場企業勤務以外の人とは絶対に幸せになれないんですか?大体あなた自身は、一体「どんな人」になりたいんですか?「こんな人になりたい。こんな人になろう」という自分像が決まれば、人柄とか信念とか、それに見合った人を選べばいいでしょ。年収とか勤務先ってそこに関係してくるんですか?

「やりがいを感じられる仕事」「天職」や「適職」に就いていないと生きている価値がないんですか?仕事ってね、やりがいや楽しさばかりじゃないんですよ。所詮人間ですからね、体調や精神状態にも波があります。たとえ自分が好きでやりたくて始めた仕事であっても、やる気が出なかったり飽きを感じる時もあります。もしそういうスランプに陥ったら、また転職するんですか?

そもそも「やりがい」は、「どこかに存在するもの」じゃないですよ?「その中に自分で見出すもの・作り出すもの」です。いい加減そこに気づいてくれませんかね。「やりがいのある仕事」が見つからないことを嘆くのではなく、それに気づかない自分の思考の甘さや浅薄さこそを嘆いてください。右往左往しているその状態は、あなた自身が作り出しているものなんですから。

「正しい選択」とか「正しい答え」とか、一見高尚に聞える言葉を振りかざしてはいるが、突き詰めれば、そういうことだ。いかに楽して得するか―結局欲しいのはそれなんでしょ?と。どうりで「条件」「方法」に固執するわけだ。


「条件」や「方法」は、その場所に自分を連れて行ってくれるものではない。「それさえ守っていれば、それを辿って行けば、目指す場所、目指す人に到達する」勘違いしている本人達はそう信じ込んでいる。だが実際は、目的地未定のままの状態で、時刻表やら路線図をただひたすら見まくって、右往左往しているだけなのだ。

ちなみに私の場合、「人生の最期に『あー、楽しかった~♪』というひと言を残して死ねる人生」を送ろうと思っている。多分私は、それがどんな結果になろうと、「その時の自分がやりたいこと」をすべてやったら、最期に「楽しかった~」と心から言える。だから今後も、そうしていくつもり。

だが、職業や住む場所、パートナーに対する理想等「条件」に関する希望や計画は一切ない。「こうじゃなきゃ嫌」「こうでなければ困る」というものは何もない。「現在の状態」に固執するつもりもない。今後どんな仕事に就こうが、どこに住もうが、どんな相手と出会おうが関係ない。だって「死ぬ前に『楽しかった~♪』と言える人生」に最終的に辿り着ければいいのだから。その時々に「今自分が選びたいもの、今やりたいもの」を選んだらいいだけだ。

結果目的地に到着できるなら、途中何を使ってもいいではないか。電車ではなくバスでもいいし、自転車に乗ってもいい。場合によっては徒歩もありだ。途中で他のものに変更しても構わないし、寄り道してもいい。旅の方法や楽しみ方は一つではない。参加者全員で同じコースを回るお仕着せの団体ツアーより、自分の好みやその時の気分で自由に動ける個人旅行のほうが、断然楽しいと思うけど。

本来無限に存在するはずの選択肢を、自分の思い込みや執着によってわざわざ狭める必要などないのだ。

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カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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