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「あの人」が逝った理由

 2008-09-14
母が亡くなって、今年でちょうど20年になる。

やはり「時間薬」のせいだろうか。冷静に当時のことを振り返り、母に対する思いや自分の感情を整理できるようになった。日を追うにつれて、「あのこと」は「思い出」になりつつある。

それは「無理に記憶から消す=忘れる」ということではなく、20年という時間をかけて、いつの間にかここに辿り着いた・・・そんな自然なものだ。

アルバムを捲りながら、「こんなこともあったよね」と、ある種の懐かしさと共にその当時を思い出す・・・といったような「淡々とした感じ」と言ったら分かりやすいだろうか。

だが、その反面、月日が経つごとに深まってくる思いがある。それは「なぜ母は自殺という道を選んだのか」ということ。

母は家族全員、一人ひとりに宛てて遺書を残していた。自殺ということもあり、それは証拠書類として警察に押収され、今でも戻ってこないままだが、私に宛てたその手紙の文章は今でもはっきりと覚えている

私は一人でもきちんと生きていける子だから何の心配もしていないこと。人生を自分の思ったように生きていきなさいということ。ただ、結婚・出産といったような、母親の助けが必要になってくるこれからという時に、力になってあげられないことや、自分の自殺が私の人生に大きな支障を与えてしまうかもしれないことに対する謝罪の言葉。でももう自分の気力が限界で、これ以上家族に迷惑をかけたくない―。

そういった心情が、便箋2枚に渡ってびっしりと綴られていた。他の家族に宛てた手紙も読んだが、やはり共通しているのは「これ以上家族に迷惑をかけたくない」ということだった。

母が、ああいった道を選んだきっかけは「病苦」だと思う。彼女自身も遺書にそう書き残している。私達家族も、当時はそう思っていた。だが、彼女がこの世を去ってからの時間と反比例して、そのことを疑問に思う気持ちがますます強くなってくるのだ。自殺者の家族や、その周囲の友人・知人を含む自死遺族達を長年苦しめるのは、実はこの部分だと思う。「あの人はなぜ自殺したのか」

これは、遺書等の有無に限ったことではない。「本当のこと=なぜあの人は自殺したのか」は、自殺した本人以外には分からないことなのだ。どんなに仲が良くて近い存在でも、明らかに「これが引き金になったとしか思えない」という状況や条件があったっとしても、「本当の理由」は本人にしか分からない。分からないからこそ、永遠に真実を知ることができないことだからこそ、遺された者達は苦しむことになる。

「あの時もっと親身に話を聞いてあげれば」「もっと気にかけてあげれば」「自分があんなことを言ったせいかも」 そういった後悔や苦しみは延々と心の中で繰り返される。故人から真実を聞くことができないことが、余計遺族達を苦しめるのだと思う。ある意味、形を変えた「地獄」のようなものだ。

故人が選んだ道とその結果を、自死遺族達は自分の意思に関わらず、ただ受け入れることしかできない。いや、「受け入れざるを得ない」のだ。「選択の余地がない」ということも、余計に苦しさを増す要因になっていると思う。

先日ある精神世界系のブログで、「自殺をする人は魂や心が弱いからだ」と書いてある記事を読んだ。世間一般でも、そういった思い込みや決めつけで自殺者を見る傾向が強い。

「魂や心が弱い人=自殺を選ぶ人」であるなら、私の母はこれには該当しない。何を以って「強い人・弱い人」とするかは分からないが、世間で言われている「強い人」の定義では、母は本当に「強い人」だった。自分の手で人生を切り開き、常に努力を惜しまない気丈な人だった。母の死を知らされた人達は一様に「あの気丈な人がなぜ?」と、最初に思ったと言っていた。

「どうしてあなたのお母さん(父親・子供・兄弟姉妹・夫・妻)は自殺したんですか?」という質問ほど、遺族を苦しめるものはない。質問者の意思や意図に関わらず、その質問は遺族にとって「故人を助けることができなかった人達」として、非難されていることと同等の意味を持つから。私がお会いした自死遺族のほぼ全員が、「故人の死後、何らかの形で自分が責められているような気がした」もしくは「あからさまに言葉や態度で非難されたことがある」と言っている。

「どうして自殺したの?」それを一番知りたいのは遺族なのだ。母が亡くなって20年経った今でも、それは時々私の頭をよぎることがある。だが、今はこう思うのだ。「母にはあれしか選択の道がなかったのだ」と。「あれが母の選択だったのだ」と。

そう思えるようになった時、私は何かから解放されたような気がした。それは、母の死の原因を解明するのを「放棄した=あきらめた」ということでなく、「母の選択や、その時の母の気持ちを受け入れた」ということなのだと思う。そう思えた時、初めて母の死を心から悼むことができたような気がした。

「手放すこと」で見えてくるもの、掴めるものがある。私の場合、母が亡くなった当時はまだ若かったこともあり、「許せない」という怒りの気持ちが、強く自分の中にあった。自殺といった選択をせざるを得なかった母を可哀想に思い、彼女を助けてやれなかった自分を責める時もあるのだが、次の瞬間気持ちが一転するのだ。私だけでなく、自死遺族はそういった不安定な感情の波を経験する。個人差はあると思うが、私の場合、それは12年近く続いた。

しかし、あれから月日が経ち、自分が母が亡くなった年齢に近づくにつれ、だんだん母の心境を理解できるようになってきた。若過ぎて理解できなかったことが、実感を伴って受け入れられるようになってきたのだ。そこに至るまでの私は、母を思い出す時は「母=自殺」と、それに伴う出来事や感情が真っ先に浮かんできて、正直「思い出したくない出来事」としか思えなかった。

だが、ある時、何かの拍子に「そういえば昔、あんなことしてくれたなあ」と、懐かしさと共に母を思い出している自分に気づいたのだ。それを境に、私の中の何かが変化していった。懐かしさや感謝の気持ちと一緒に、「母が私にしてくれたこと」を思い返せるようになったのだ。

すべての怒りや悲しみが消えたわけではないが、楽しかったことも思い出せるようになり、そしてその割合の比率が逆転していった。私の中の、壊れた母の存在部分が、再構築されつつある・・・そんな気がした。

「母を完全に許せたか?」それは正直、今でもわからない。でも、少なくとも母の選択を「受け入れる」ことができたのだと思う。それが結果的に「許せた」ということに繋がっていくのかもしれない。故人に対して、喜びや悲しみ等、そういった両極の感情が心の中に戻ってきた時、また私達の人生は新たな歩みを始めるのだと思うのだ。

その出来事以来ずっと、今も故人を許せなくても構わない。まずは「故人を許せない自分」を許して(受け入れ、認めて)ほしい。正直時間はかかると思う。だが、故人の死と共に自分の中から失われた・奪われたと思ったものが、必ず戻ってくる時はやって来る。

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