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潮流

 2011-06-01
【潮流(ちょうりゅう)】①潮の流れ。②潮の満ち干によって、周期的に起きる海水の流れ。③比喩的に、時勢の動き。世間のなりゆき。「時代の―に乗る」(広辞苑より)


先日、あるスピリチュアル系ブログにこんなことが書いてあった。「今、これだけ世の中にスピリチュアリズムが広まったのは、それが真実であり、真理だからです」思わず「はぁ?」と。スピリチュアル教信者ならではの買いかぶり発言だ。

これだけ世の中にスピリチュアリズムが広まったのは、それが真実だからでも、真理だからでもない。単に、今の日本に「不安な人」「退屈している人」が増えたせいだ。

社会が不安定になると、人々の精神は疲弊する。「人知を超えた絶対的なもの」に対する憧れが募り、それを支えや救いとするようになる。古今東西問わず、宗教や思想等が世の中に広まる背景には、「不安定」という要素が必ず存在する。それは「お約束」であり、過去から延々と繰り返されてきた「パターン」なのだ。真偽云々の問題ではなく、あくまでも「時代性」の影響ということだ。

スピリチュアリズムやそこから派生したスピリチュアル教が日本に拡大したのも、まったく同じことなのだ。人も社会も不安定なこの国の現状に、それが「うまくハマった」というだけのこと。特に、平和ボケした「退屈な人」が多いこの国には、その中で、至るところで提示される「奇異」が、うってつけの「ひまつぶし」になったのだ。

オーラ、天使、守護霊、前世、ソウルメイト―多くの人が、多分一度は興味を持ったであろうことを餌に、「普通のいい人」に見える宣教師を使って、明るくアピールする。まさに渡りに船なのだ。退屈し切っていた人々がそれに飛びつくのも頷ける話だ。

人の日常は、その大半が「繰り返し」だ。「繰り返し」の連続で、それは成り立っている。年齢が上がれば上がるほど、その傾向は強くなる。そういった日常に退屈や不安を覚え、何らかの意味付けをしなければ日々をやり過ごせない人が増えた社会になったことが、一番の原因なのだ。

スピリチュアリズムが勢力を広げたその訳は、それが真実や真理を告げているからではなく、人間力の低下した人々が蔓延する怠惰で浅薄な今の社会の状況に、たまたまそれが「逃避先」としてマッチしたというだけのこと。宗教に対して無頓着な民族性も、キリスト教を母体とするスピリチュアリズムの拡大を後押しすることになったのだ。

不安、無知、「特別な何か」「あと少し、もっと」を求める欲望―スピリチュアリズムとスピリチュアル教の台頭は、今の日本や日本人の精神状態をそのまま映し出している。そういったものに支配されている人間が、かなりの数存在しているという表れだ。「自分の中にあるものに打ち負かされる人」によって、それは呼び起こされたのだ。

だが、それは有史以来、人類が繰り返してきた「よくあるパターン」の一つに過ぎない。ごく当たり前の、普通に起こることなのだ。月や太陽の引力によって潮が満ち干きするように、一定の条件が揃えば、必然的に発生するもの。言うなれば、「自然現象」のようなものなのだ。「条件」が揃った今、その現象が起こる時期が、またこの国にやって来たというだけのことなのだ。



【追記】「信者の数=正しさ」ではない。「多くの人が信じているから」「みんな同じことを言っているから」というだけで、簡単に自分を明け渡してしまう人がいるが、それは非常に危険なことだ。信者が皆同じことを言うようになるのは、ベースになる思想があるからだ。その思想に沿うように、そう考えるように、仕向けられていくのだ。思考が統一化されるのは、それが真実や真理だという証拠ではない。それこそが「洗脳の結果」なのだ。

何よりも、キリスト教や仏教等ベースに特定の思想が存在する場合、そこで言われている「真理」「真実」というものは、「あくまでも、その範囲において真理、真実とされているもの」なのだ。万人が認めるものでなければ、「真理」とは言わない。真理に「偏り」は不要なのだ。



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