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コピー

 2011-05-22
うちのサロンは、ご紹介の方が多い。紹介者の方の友人知人のみならず、そのご家族全員とお会いすることもよくある。特に親子の場合、お会いした瞬間に「おー!」と思わず納得なのだ。

とにかく皆さん、親子だけあって本当に似ていらっしゃる。顔立ちや体つき等の外見をはじめ、物腰や雰囲気も「やっぱり親子だな~よく似てるな~」と感心することしきり。ボディーワークの仕事に携わっている友人が、「親子の骨格はそっくり。だから姿勢も似ている」と言っていたが、「なるほどねー」と。

だが、似ているのは外見だけではない。その考え方や価値観、悩むポイントも非常に似通っている。人によって度合いこそ違うが、かなりの部分がリンクしているのだ。「ここはお母さん、ここはお父さんの影響だな」という感じで、良くも悪くも親の価値観や思考・行動パターンをそっくりそのまま受け継いでいる。まるでコピーしたかのようなのだ。

それは、動物界によく見られる「刷り込み」とよく似ている。卵から孵った直後の鳥の雛は、初めて目にするものを親だと思い込む。それが違う種類の鳥やその他の動物でも、ぬいぐるみでも、目覚まし時計でも、初めて目にしたものが、彼らにとっての「親」になる。生物学的にはあり得ない「親」でも、雛は疑問を抱くこともせず、それを親と認識する。そして、この先もその状態が途中で覆ることはないのだ。

それと同じように、人間の子供は、親のやり方―考えや価値観を「間違いのないもの」「お手本」として、そのまま自分の中に取り入れる。善悪や自分の好み、感情や都合といったものは一切関係ない。書類をコピーするかのように、そっくりそのままそれを写し取る。

子供は何の疑問も抱かない。彼らにとっては、親がすることが「真実」であり、「正しいこと」なのだ。「親がそうしているから」それだけの理由で、「すべての人間はこうするものだ。こう考えるものなのだ」と思い込む。問答無用のインプットがそこで行われるのだ。「洗脳」と言ってもいい。

例えば、過剰に世間体を気にする親の元で育った子供は必要以上に人の目を気にするし、親が事なかれ主義の場合には、子供は人とぶつかり合うことを「悪」とし、それを避けるようになる。何でも人のせいにする親の子供は、自分以外の者にすべての責任を押し付ける。だが、子供にしてみたら、それは「正しいやり方」なのだ。なぜなら、「自分の親がそうしていたから」だ。

だが、ある程度の年齢―自我が芽生える思春期を迎える頃になると、子供の中に、ある種の疑念が湧き起こってくる。自分の考えや価値観だと思ってきたものが、どうもそうではないらしいということを、無意識で感じているのだ。今まで何の疑いもなく従ってきたそのやり方が、どうにも居心地が悪い。はっきりとした理由はわからない。だが、「何かが違う」ということだけはわかる。

でも、これは「自分のやり方」だし、今までそれで通してきた。なのにどうしてすっきりしないんだろう。自分が自分に抵抗を覚えるなんてことがあるのだろうか。何かがおかしい。でもその理由がわからない―自分の中に突如芽生えた正体不明のもやもやに対する不安や焦燥を、子供は、親や教師や学校、世間に対する「反抗」「反発」という形で表現する。

いわば、「反抗期」というのは、「洗脳」から目覚めるためのものなのだ。知らないうちに刷り込まれた親の価値観や思考と改めて対峙し、それを捨てるか残すかを自分自身で選択し、自分独自の核を確立するための時期。「子供」という存在から「人」になる時期。そのプロセスを経て、人は「自分」になるのだ。

親の価値観と自分のそれが同じ、もしくは近いということは悪いことではない。もし、それが一度粉々に破壊した後に作り上げてもそうなった―という場合であれば。だが、少しでも違和感のようなものを覚えるのであれば、それは「刷り込み」によるものかもしれない。自分の核にあるものが、「自分の考え」ではなく、「親の考え」であるということだ。未だ「子供」であり、未だ「親のコピー」であるということ。

人間というのは、その時々の年齢に「経験しておくべきこと」があるのだと思う。例えば、幼児期には親との関係を通じて愛情や信頼を学んだり、思春期には友人等周囲の人達との付き合いから、世の中には様々な考え方や価値観があることを知ったり、青年期には「自分」の存在を確立したり―という感じで。

そして、何らかの理由でそれぞれのプロセスをスルーしてきた場合、人生のある時期で、その部分を必ず体験するようになっているのだと思う。提出期限は無期限で自由、でも提出は必須―そんな「宿題」に取り組むように。人によって、季節はずれの思春期や青年期が訪れたりすることがあるのは、そういうことなのだと思う。

思考や価値観等「自分自身に悩む」ということは、極めて「正常」なことだ。「自分」という人間を確立している最中だということ。その状況は、「刷り込み」からの脱却でもある。「=親離れ」なのだ。そして、それをして、初めて親の「コピー品」から、唯一無二の「オリジナル」、「自分」という存在になれるのだ。




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