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共犯

 2011-04-10
「自分の人生に起こる問題の原因は、すべて自分自身の中にある」「他人の好きな箇所や嫌いな箇所は、すべて『他人』という鏡を通して見ている自分自身の長所と欠点」「他人の欠点は、自分の欠点を投影しているもの。相手の欠点を責めたり、悪口を言うのは、自分自身を責めたり悪く言うのと同じこと」スピリチュアル教と自己啓発教の共通教義、「鏡の法則」というものだ。

どんな宗教も、信者を縛りつけ、コントロールするために「自罰感」を利用する。自分達の教えを信者に浸透させるには、まずその信者達を、精神的支配下に置くことが必要なのだ。

ネガティブな思考に支配された信者達は、罪深い自分を何とかするために、その宗教に救いを求める。無価値感や劣等感に打ちひしがれた信者のほうが、支配には好都合なのだ。教義に何の疑問も抱かず、すべてを鵜呑みにして、ただひたすら盲目的に付き従うから。教えが浸透する速度も上がる。

「おまえは生まれながらに不完全で罪深い存在だ。すべてはおまえに責任がある。諸悪の根源はおまえだ」そう繰り返し、暗示を刷り込んでいくことで、洗脳が進んでいく。「洗脳」を受けた信者達の見分け方は簡単だ。「他人を批判した罪は消えない」「人の批判をすることは、自分を批判しているのと同じこと」などと言い出す。

要するに、「あんたも私達と同様『罪深い存在』なんだから、私を悪く言う筋合いはないのよ!」と言っているわけだ。「目くそが鼻くそを笑うな」と。相手に自罰意識を植え付けることで、自分に対する「攻撃」を封じようとするのだ。批判する相手を「共犯」に仕立て上げることで黙らせようとする狡猾なやり方。単なる「口封じ」だ。

大体、「すべて」と断言していること自体が、いかにも宗教臭い。確かに、家族や周囲の人の中に、自分自身を投影することもあるかもしれない。だが、それは「いつも」ではないし、「すべての人に」ではない。それを、「いつも」「すべて」「誰でも」と言い切ってしまうところが、やはり「宗教」なのだ。その特徴でもある「極端さ」「偏狭さ」の表れだ。


「鏡の法則」にのめりこんでいく人というのは、大抵の場合、物事や人に向き合うことに疲れている。長年思い通りにならない人間関係や人生について「原因」や「理由」を探すこと、その状況に取り組むことに疲れ果てているのだ。ずっと背負い続けている重荷を下ろすことへの渇望もある。

相手や物事等、「自分の外側」にあるものを変えることは難しい。だが、「自分」を変えることは簡単だ。なぜなら、「心」は嘘をつける。他人に嘘をつくことよりも、自分に嘘をつくほうが簡単なのだ。「やっぱり自分が悪いんだ」「すべて自分の責任なんだ」そう思い込むことで、その状況から逃れることが出来る。自分自身を誤魔化したり、責めたり、諦めるほうが、断然楽なのである。

マイナス思考の人ほど、そういった方向に流れやすくなる。常日頃から、ネガティブに物事を捉えることに慣れ親しんでいるので、彼らにしてみたら、「自分が悪い」と考えるほうが、ある意味「自然」なのだ。長年馴染んだ方法や得意なものに、どうしても人間は流れていきがちになる。「鏡の法則」の自罰思想が、特にマイナス思考の人達に容易に受け入れられるのも、そういった背景があるのだ。

スピリチュアルや自己啓発に傾倒していくきっかけは、大抵の場合、心身の疲弊とそれに伴うマイナス思考だ。そんな自分に対する嫌悪感も、傾倒ぶりに拍車をかける。人間特有のネガティブな要素を利用して作られた思想や思考に、「疲れた人」がフラフラと引き寄せられていくのも当然のことなのだ。

自分や相手、物事に向き合うことに疲れた人は、「許す」「受け入れる」ということに逃げ込みがちになる。だが、それは「解決」ではなく、「逃避」なのだ。「放棄」と言ってもいいかもしれない。「許し、受け入れることですべてが解決する。そこからすべてが始まる」そんなスピリチュアルや自己啓発教の謳い文句に心引かれるのであれば、今の自分自身の状態をじっくりと見つめ直す必要がある。自分の心を誤魔化して得た爽快感や高揚感は、一時的なものだ。まやかしでしかない。


「鏡の法則」のやり方は、信者達に「共犯意識」を植え付けて口を封じ、支配するためのものなのだ。結局のところ、それは「信者の獲得=ビジネス」に繋がっている。信者の数とその宗教の潤沢さは比例するのだ。

やたらと「許し」を強要したり、過度の自罰感を植え付けては煽るそのやり方、さすがは「罪人思想」のキリスト教をベースに作られた新興宗教だけのことはあると。信者同士を「共犯関係」にすることで、結束力を固めることが狙いなのだ。どんな形であれ、そこに何らかの「連帯感」が生まれれば、その集団から抜け出ることは難しくなる。

「共犯」に仕立て上げるのは、信者を引き止めておくための手段―それが、スピリチュアル教や自己啓発教の「やり方」なのだ。




【追記】この「鏡の法則」、世の中に広まったきっかけは、自己啓発業界人のブログだった。現在は全文をネットで読めるが、書籍化された時の惹句がすごかった。「ハンカチを用意して読め」「読んだ9割の人が泣いた」とか。既にこの謳い文句から「洗脳」が始まっている。暗に、「泣けないあなたはおかしいんですよ」とすり込みをしているわけだ。

ブログにしろ、サイトにしろ、書籍にしろ、人間は、「活字」になったものを「本当のこと」「真実」と思い込んでしまう傾向がある。中途半端に「いいこと」も取り混ぜて書いてあるので、読んだ人はより信じやすくなる。

だが、その内容には、自己啓発やスピリチュアルの定番の手法が満載されている。「ありがとう」を百回唱えることの推奨や、一人を許したらすべての人間関係が良くなったという「シンクロニシティー」を利用したエピソード等、裏事情を知った人が読めば、「べつにどーってことのないもの」だ。「あー、お約束ね」という感じ。

スピリチュアル教や自己啓発教の信者が蔓延している今、「共感できない人間は欠陥がある」「感性がおかしい」とされる風潮が出来上がっている。「多数が支持・賛成するもの=正しいもの・良いもの」という思い込みも、目を曇らせる。そういった妙な「新興宗教信者の選民意識」に惑わされることのないように。

「いいことを言っているから」ただそれだけでむやみやたらと信じるのではなく、その提唱者(作者)のバックグラウンドを調べるくらいの慎重さや冷静さがあったほうがいい。「洗脳」は、「油断」「思考の放棄」から始まるのだ。





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カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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