FC2ブログ

往生際

 2011-02-11
【往生際(おうじょうぎわ)】①死に際。②ぎりぎりのところまで追い詰められた時。また、その時の態度。「―が悪い」(広辞苑より)


例えば、今までの人生において物事を決断する時、自分の意思や希望より、条件や環境、利益を優先させてきた人の多くは、どれだけ時間が経ったとしても、そのことについての後悔や別の可能性への未練を捨てきれないようだ。「もしあの時自分の気持ちに従っていたら・・・」そう口にする人は多い。

彼らの思考には特徴がある。「自分がしたいのはどちらなのか」ではなく、「それをしないほうがいいか」で物事を考える。彼らは怖いのだ。形のない、目に見えない「自分の気持ち」を信じることが。いつ変わるとも知れないような、そんな不確かな要素に自分自身を委ねることに恐怖や不安を感じている。

やたらと「データ集め」をする人が多いのはその証拠。彼らが信用するのは、自分自身の気持ちではなく、数字や証明等「目に見える形あるもの」なのだ。自分への不信度とそれは比例する。「しないほうがいいか」と考えるのも、「自分には出来ない」という意識が前提となっているからだ。そして、さんざんデータ集めをした挙げ句、結局何もしない。

人生は、手探りで進む部分のほうが圧倒的に多い。マニュアルすら存在しないまったくの未知の領域。予測すらしなかったようなことが次々に起こる。いくら情報集めをしようがそれを詳細に分析しようが、何の役にも立たない時もある。想像を超えたことが起こる―それが「人生」なのだ。

結局、最後に決め手になるのは自分の気持ち、「自分はどうしたいのか?」なのだ。自分の「好き嫌い」や「欲求」が鍵となる。そうやって人生を決断してきた人は、どんな結果になろうが決して後悔することはない。「自分で選んだことだから」とすべてを引き受けることが出来るのだ。

人生は、選択の連続で成り立っている。「自分に優しくする」と「自分を甘やかす」を同じことだと勘違いしている人は、「何もしないほうがいい時もある」とうそぶく。だが、それはただの「放棄」なのだ。決断の時期を悪戯に先延ばしにしているだけ。

現に、「その時何もしなかったこと」を悔やみ続けている人がどれだけいることか。「結局自分は逃げただけのような気がする」そう口にする人の多さが、それを物語っている。

それならどうして他のやり方を試さないのか?と。長年しがみ付いてきたそのやり方、自分に後悔をもたらしてきた思考パターンをなぜ変えようとしないのか?と。その人達の一番の問題は、相変わらず「何もしようとしないこと」なのだ。下手をすると、この期に及んでまで「考えを変えたほうがいいのか」とやっている人もいる。

「あの時親がこう言わなければ」「もし今がこんなに不景気じゃなければ」言い訳しながらも一向に覚悟を決めようとしない。その挙げ句、スピリチュアルに逃避する人も多い。過去生やカルマにその理由を求めたり。自分を正当化するための理由が必要なのだ。だが単純に、現在の自分の思考パターンを変えればいいだけの話。どうしてそっちに逃げるかね?と。

確実に言えるのは、もし今何も変えないのであれば、多分1年先もまったく同じことを後悔しているということ。現在を変えなければ、未来は変わらない。今も続くその後悔を、これから先もずっと繰り返したいんですか?と。

「わかってはいるけど、でもやっぱり・・・」と何もしようとせず、相も変わらずそんな自分を嘆いたり悔やんだり。どんどん自分の足で先に進んで行く人を妬む人もいる。「いい加減腹をくくれ」と。そういったどっちつかずで煮え切らない潔くないその態度、往生際の悪さが自分自身の歩みを止めているのだ。





■関連記事

変われない人(1)

強い人 弱い人

本気

人生は誰のもの?

体育会系脳

口だけ系自己満足型スピリチュアリスト

「本当の自分」はどこにいる?

根性なしの屁理屈

「自信がない」ということを言い訳にする人

無意識の本音

自由と覚悟

分岐点





カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫