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鎖国

 2011-02-14
他国との交渉が少ないために視野が狭く、閉鎖的でこせこせとつまらないことにこだわる性質を「島国根性」と言う。「よそ者」には冷淡で、和を乱すことを極端に嫌う。多数に従うこと、その場の空気を読んでそれに合わせることを暗黙のうちに求められる―日本人の気質や民族性を表す時によく用いられる言葉でもある。この特徴がそのまま当てはまるのが、日本のスピリチュアル業界。

「同志」だけで固まり、外部からの批判を一切受け付けない。「批判=悪口、中傷、攻撃、やり込めて憂さを晴らす八つ当たり行為」としか捉えられない。自分達と意見を異にする者の言葉には一切耳を傾けず、即刻排除しようとする。「他人を批判した罪は消えない」等罪悪感を植えつけ、口封じをする。「批判は罪」という言葉が、彼らの思考を表している。


先日、どこかのスピ系ブログで「間違った批判」という言葉を見たが、それってどういう意味よ?と。例えば、その発言が、「どうせおまえなんて~だろう」という事実無根の、勝手な想像の域を出ないものに終始する「誹謗中傷」であるなら話は別だ。だが、本来「批判」には、間違いも正しいもない。

そもそも、自分に対するそれを「間違ったもの」と捉えるのは、「自分は正しい」という前提があるからだ。主観―いわば自分の思い込み、自分の立ち位置からでしかそれを捉えていないということ。もしその人が自分自身を含めた物事を客観視出来ているなら、それがどんなものであれ、他の人間からの言葉を「=別の観点からの見え方、意見」と捉えるはずなのだ。

そこで「間違った」という言葉を持ち出してくるのは、「批判」という行為を悪口や中傷と同じように捉えている証拠。「自分に起こることはすべて正しい」事あるごとに持ち出すスピ定義に従うなら、他者からの批判も「正しいこと」だと思うのだが。


「批判者自身が自分を棚に上げてそれを行っている場合もある。親密な関係以外の人からの批判をあまり気にする必要はない。大体自分自身が矛盾したことをしているのに、他人のことに口を出すのは筋違いだ。それぞれのことに口を出さないのがお互いのためだ」

何というか、こういう発言を聞くと、「あー、島国だなー」と。閉鎖的な島国特有の「見て見ぬ振り方式」。そうやって隣近所との「争い」や「無駄なトラブル」を避けてきたわけね、と。

なぜ日本人の多くは「批判」を蛇蝎の如く忌み嫌うのか?狭く小さな土地でお互いがそれぞれ暮らしていくには「和」が欠かせない要素だった―ということは勿論のこと、かつて第二次世界大戦前まで存在していた「階級社会」にその原因があるのではないかと思うのだ。

江戸時代の封建社会の階級概念に従って作られた「士農工商」の身分制度をはじめ、戦前までの日本には「階級」が存在していた。皇族・士族・華族等の特権階級と、いわゆる一般庶民である「平民」とに分類されていた国だったのだ。

「身分」という枠組みに隔てられ、自分が所属する階級以外と接触する機会はあまりないような閉鎖的な社会、付き合いのほとんどは同じ階級に属する人―という環境。「分相応」の概念も、この階級制度から生まれたものだ。いまだ日本の社会に根強い「見て見ぬ振り」「人様のことには口出ししない」という風潮は、多分ここに由来している。

時代劇のシーンによくあるように、年貢に苦しむ農民が殿様に対して「直訴」を試みることはご法度だった。その場で手打ち、もしくは磔獄門の刑とか。自分の所属階級以外のことに「口を出す」ことは禁忌だった。「物申すこと」は、まさに命懸けの行為だったのだ。

上流階級等、「他人」が理不尽で我慢ならないような暴挙を行っていても、そこで下手に口を出せば、自分や身内にどんな災難が降りかかってくるかわからない。自分の身を守るために、見て見ぬ振りをすることが必要だったのだ。

人様のことには口出ししない。必要以上に関わらない。その場を丸く収めるためなら多少の不満はあっても口をつぐんでいたほうが得策―階級社会が生んだその概念、先祖代々伝えられたきた「処世術」が、今尚脈々と現代の日本に受け継がれているのだ。それも歪んだ形で。

「今の世の中は冷たい」「世知辛い社会」「人との繋がりが希薄な社会」今、多くの人が嘆いている。それもこれも、かつての階級社会の名残―「人様のことに口を出してはいけないという掟」に盲目的に付き従っている人が多いからだ。理解力と想像力の不足が、もともと存在する「島国根性」と称される民族性に結びついた結果なのだ。

そこに「矛盾のない完璧な正しさ」が存在しなければ他人のことに口を出してはいけない―そういった妙な概念が、「無縁社会」と称される現在の日本を生み出したんじゃないんですか?と。


他人の「批判」を受け入れることをしないスピリチュアルおたく達―年貢の軽減を決死の覚悟で直訴した農民をあっさり切って捨てる領主となんら変わらない。いわば「同類」なのだ。「ありのままを受け入れることが必要なのです!今起こっていることはすべて正しいのです!」そう言う割には、やってることが正反対なんですけど。自分に不都合なことには耳を塞いで受け取り拒否なんですね、と。

外部からの都合の悪い言葉、耳ざわりの良くない言葉をすべてシャットアウトして、同志だけで居心地の良い世界を作り上げようとするその頑なさと偏狭さ―完全な鎖国状態ではないかと。「自称覚醒した魂を持つ存在」である本人達は、理想郷―ユートビアの住人を気取っているが、その実情は単なる「引き篭もり」なのだ。

「外部」との接触を頑なに、故意に遮断しているその様子からして、「開国」する気はまったくないようだ。もっともそれは、彼らにとっては「崩壊」を意味するものだ。スピリチュアルを逃避の口実に利用する打たれ弱い人々にとって「聞き耳を持つ」ということは、恐怖以外の何物でもないのだ。

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【追記】先日、本来は日本領である北方領土をロシアの首相が訪問した事態を、日本の総理大臣は「許しがたい暴挙」と非難している。何というか「今頃何言ってんだよ」と。だったら先日開催されたAPECに出席した際に正式に抗議すればよかったじゃん。その時は何も言わないで愛想笑いに終始して、今頃になって「暴挙だ!」とか。

特に相手の欠点や過失等を責める時には、タイミングが必要なわけで。それを逃した場合、ただの文句や言いがかりになってしまう。数日前の外相会談でロシアがへそを曲げているのは、そういうことなのだ。ロシア側からすれば、「はあ?何を今更。あの時はおくびにも出さなかったじゃないか」と。

面と向かって言うべき時に言わないくせに、後から文句を言い出す―島国根性の典型的な態度。それが通用するのは身内だけで、グローバルスタンダードからは程遠いということをいい加減認識しろと。身内ルールが外交の場で通用すると思ったら大間違いなのだ。

自分達が「普通」「当たり前の常識」だと思っていることも、その他から見れば「非常識」「顰蹙」「奇異」の対象にしか映らないことも多々あるのだ。特に、「その場では何も言わないのに、後になって陰口を叩く」という日本人の島国根性は、他の国からしてみれば理解しがたいことなのだ。「言いたいことがあるならどうしてその場で言わないのか」と。それは「卑怯」としか映らない。

「空気を読む」「大人の対応」こういったことを連呼する人は、結局それを「逃避」の手段として利用している場合が多い。相手との「対話」を避けているということ。そういう人は、往々にして「人様のことには口を出しては云々」と言っている。まあ上辺だけ良好な関係をお望みならそれでもいいですけど。でも「本当の関係」って、そんなやり方で作れるんですかね。

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カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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