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スピリチュアルリスク

 2010-12-22
古今東西問わず、どんな社会にも、精神病とも神経症とも分類出来ないものの、言動や物事の認識の仕方が「正常」から逸脱している状態の一群の人達が存在してきた。歴史的に「性格異常」「異常人格」「変質者」と称されてきた人々だ。

ここ十年ほどの間、徐々に、ほんの僅かずつではあるが、そういった特徴を持つ人達がメディアに取り上げられる機会が増えてきた。日本では長い間その領域がタブー視されてきたこと、極めてデリケートな内容ゆえに「触れるべからず」という暗黙の了解が社会に根付いていたということもあり、多くの誤解や偏見を生む原因ともなっていた。

最近社会問題化している非常識で理不尽な問題行動を取る人達、「モンスター○○」というような人達の出現と増加も、そういった領域に目を向けるきっかけになったのかもしれない。

大抵の人は、自分の感情や衝動を理性で抑えることができる。意思の力で冷静さを取り戻せるものだ。だが、それが出来ず、感情と衝動のまま次々と問題行動を起こす人達が存在する。場合によっては、通り魔や無差別殺人、悪質な嫌がらせ行為や誹謗中傷、DVやストーカー行為に発展したり。そういった問題行動を起こす人、またそんな行動を取る自分自身を思い悩む人を「人格障害(パーソナリティー障害)」と呼ぶ。

不安や怒りへの低い耐性。衝動的な暴言や暴力。自傷行為の繰り返しと自殺の頻繁なほのめかし、または脅し。芝居がかった言動。他人への共感や思いやり、良心の呵責や反省心の欠如。強い劣等感(人によっては誇大な自己像)。人に対する強度の不信感。百対ゼロの被害者意識。理想化とこき下ろし、依存と攻撃等、人に対する感情や行動の不安定さ。慢性の空虚感と抑うつ感。無責任。無計画。生きることへの苦しみ。見捨てられることへの強い恐怖。融通のなさ。計算高さ。粘着気質―彼らに共通する特徴だ。原因の詳細は解明されていないが、遺伝的要因と環境的要因の相互作用で発症すると推定されている。

知能に問題はないので、「ごく一般的な普通の生活」を送っている人が多い。一見「普通の学生」「普通の社会人」だ。特に、女性に多いとされる「境界性人格障害」の場合、一見魅力的で情熱的、一生懸命で熱心な印象を周囲に与えることが多い。そういった意味では、表面上では至って普通の人達なのだ。

だが、次第に、自分自身の安定を得るために、自殺や自傷をほのめかす等周囲を不安にさせて操るような言動が現れてきたり、突然激昂して口汚く相手を罵り始めたり―ということが増えてくる。耳を疑うような発言を平然と口にしたり。その正常から逸脱した言動や認識の仕方が原因で、周囲との絶え間ない摩擦を引き起こすのだ。家族を含め、安定した人間関係を築くことができないので、孤立した状態にある場合がほとんどだ。

気分も浮き沈みが激しく、機嫌よくしていたかと思うと次の瞬間には激怒したり―その変わりように周囲は当然ついていけず、「怖い人」「変わった人」「面倒くさい人」と敬遠するようになる。職場や学校、地域社会でトラブルメーカー扱いされている人も多い。それも孤独を深める原因の一つだ。

私個人の推測だが、古来日本で「狐憑き」と呼ばれていた人達の中には、人格障害だった人が含まれていた割合がかなり高いのではないかと思う。その変貌ぶりは、実際に目にした者にとっては「何かが憑いた」としか思えないほど激しいものだ。その様子は「熱愛」と「激しい憎悪」の両極を行ったりきたりしているような極端なものなので、昔の人が人知を超えた存在の影響を疑っても不思議ではない。

当の本人とその周囲に支障が出ている状態は、言うなれば「病的な状態」なのだ。単なる「性格や性質の問題」で片付けられる領域ではない。心理療法や薬物療法等、医療機関での治療が必要な「疾患」なのだ。実際、人格障害の人は、鬱病、パニック障害、物質依存(アルコール、薬物、セックス等)、統合失調症、注意欠陥障害等、他の精神疾患を併発しているケースが非常に多い。

だが、知能には問題がないことに加え、その他の日常生活に何の支障もないことから、医療機関での診察や治療を受ける機会を持つ人はごく稀だ。万が一そういった機会に恵まれたとしても、人格障害特有の特徴が手伝って、医師やカウンセラーと信頼関係を築けないで終わる場合がほとんどだ。

最初の数回は無難に過ぎたとしても、彼らの態度は突然変化する。過剰とも言える依存期間が過ぎると、今度は相手を口汚く罵り始める等の「攻撃」が始まる。基本「自分の聞きたい言葉を言ってくれる人」しか受け入れない傾向があるので、次々に医師やカウンセラーを渡り歩く「ドクターショッピング」をする人も少なくない。

「解決に導いてくれる医師やカウンセラー」より、「新たに病気を見つけてくれる医師やカウンセラー」を求める人が多いのも特徴だ。症状の一つでもある「常につきまとう強い不安感」に何らかの意味を見出し、それが自分の中に間違いなく存在することを再確認させてくれる人を好むのだ。問題を大きくして、一緒に大騒ぎしてくれるような人を求めると言ってもいい。

だが、そんな医師やカウンセラーを見つけ出すことは困難だ。しかし、彼らはひたすら自分の理想を満たしてくれる相手を求め続ける。医師やカウンセラー巡りが始まるのだ。そして、勝手に期待し、勝手に絶望し―という状態を延々と繰り返す。その結果、治療の必要性がある人の大半が、専門家のサポートを受ける機会を逃すことになる。

治療が困難である最も大きな理由は、本人にその事実と治療の必要性があることを告げると、「私の頭がおかしいって言うんですか!?」と激怒して席を立ってしまうような人が多いということだろうか。なので、そのことを本人はあえて知らせずに治療を開始するケースもある。本人は「普通のカウンセリング」を受けているつもりでも、治療の一環としての精神療法を兼ねているものだったりする。当然本人に自覚はないので、自分が人格障害であることすら知らない人も多いのだ。

だが、一方で本人はそういった不安定な自分自身を思い悩んでもいる。今の自分を何とかしたいと思っているのもまた事実。(だが、それは「=反省」ではない。同じことを何度も繰り返すのはそのせいだ。言うなれば、それが疾患の特徴でもあるのだが)

実は、危険なのはそこなのだ。医療機関の治療から漏れた彼らがどこに向かうか?それは間違いなく、ほぼその行き先は「スピリチュアル」なのだ。関連書籍やサイト、ブログを読み漁ることから始まり、セッションやセミナーを、次々にはしごするようになる。「なぜ自分はこうなったのか?」心身共に不安定になった原因を過去生やカルマ、しいては先祖の行いに見出そうとしたり、そういった世界を慰めや依存の対象としたりする。

スピリチュアル系ブログのコメント欄を見れば、それがよくわかる。治療中であることを告白している人、病気について悩んでいる人、本人に自覚がなくとも明らかにその兆候を示している人がどれだけ多いことか。そして、そういった人達をイージーに受け入れ、自分達の世界に引き込む無責任な人達がどれだけ多いか。

今やカルト化している某スピリチュアルブログのコメント欄では、無責任な教祖と無知な信者がいとも簡単に「診断」を下している。明らかに精神疾患と思われる症状で悩んでいると思われる人の書き込みに対し、「あなたは病気ではないと思います。あなたの過去生でのカルマが原因だと思われます」「○○さん(教祖)のおっしゃるとおりだと思います。私も病気だと思いません」とか。医療関係者からと思われる診察を勧める書き込みをこぞって否定したり。

専門家でも診断を下すまでにある程度の時間をかけ、慎重に吟味することを、たかだか数百文字の書き込みだけで何がわかるというのか。おまけに精神医学の知識どころか、まったくの素人が「病気ではありません」とは。開いた口が塞がらないとはこのことだ。

巷には「通信教育で学ぶスピリチュアル」などという妙なものも存在する。何か問題が起こった場合もそうだが、一体どういうつもりなのかと。主催者のことなどはっきり言ってどうでもいい。自分達の蒔いた種なのだから。だが、もし治療の必要な人がそれを受けた場合、更なる混乱を引き起こすことにもなりかねない。

その症状に「幻聴」「幻覚「妄想」が含まれる疾患、統合失調症等の場合は尚更だ。疾患から来るそれを、霊能力からのものと勘違いする人が少なくないからだ。事実、そういったことは数多く起こっている。霊能力を開発するためのセミナーへの参加等がきっかけで症状が悪化する人も多い。それに伴うトラブルも増えていると聞く。

わずか数回のメールのやり取りの文面だけ、電話等で話しただけで簡単に「問題なし」と判断するその安易さ―それがどんなに危険な要素を孕んでいるか、双方に、特に主催者側に自覚がないことが本当に恐ろしい。実際に会ってみて判明することのほうが多いのだ。通信教育で云々など無責任の極みだ。

そう思うと、「自称霊能力者」の中にどれだけ「本物」が存在するのか怪しいものだ。実際、そういう人達の中に、明らかに「おかしい」人達が含まれている。それが本物であろうとなかろうと、自分自身で「これって気のせいかもしれない」と疑うくらいの人のほうが信用できる。

大体、今の世の中おかし過ぎる。守護霊と会話できる人や会っただけで相手の過去生がわかる人、霊視が出来る人、天使や女神と繋がれる人が星の数ほど存在するなんて、ある意味「異常」だと思うのだ。「霊能力」「霊視」等のキーワードで検索すると、星の数ほどのサイトがヒットする。そして、その人達すべてが「自分は本物」「自分が繋がっている存在は間違いなく本物」と自称している。

その霊視とやらがどれくらいの精度のものかは知らないが、「目に見えない世界」についての「自己申告」ほど怪しげ且つ不確かなものはない。「ちょっと見える」くらいでプロ開業なんて、なんてイージーな世界かと。

医学だけ、スピリチュアルだけ―そのどちらかだけでもだめなのだ。「偏り」がもたらすものは、狭い視野と混乱だけだ。これだけスピリチュアルブームに沸きながら、相変わらず「三位一体の法則」をまったく理解しようとしないこの国の人達は、一体どこに向かうのか?理解の存在しない付け焼刃の知識など、リスク以外の何物でもない。





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カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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