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浄化中毒

 2010-12-14
「浄化」「ヒーリング」スピリチュアル業界では、「客寄せ」としてこれらの言葉が使われる。オーラやチャクラ、感情や肉体、過去生や魂、子供時代のトラウマ体験―それらを浄化し癒しましょう、と。「大天使ナントカによる浄化のワーク」とか「満月のパワーを使ったヒーリング」とか、そんな言葉が溢れかえっている。

本人がやりたいと言うのなら構わない。だが、それほどまでに「浄化」や「ヒーリング」は必要なのか?と。猫も杓子も「浄化」「ヒーリング」を謳うが、それを求める本当の理由は何なのか?と。

スピリチュアル業界やそれにはまり込んでいるスピリチュアルおたく達を観ていると、「浄化・ヒーリング=それをなかったことにする方法、チャラにするための手段」として捉えているようにしか思えないのだ。

「汚れがあるなら取っちゃえばいいんです!」と言い切るヒーラーもいる。疑問に思うのはそこなのだ。「何よその『汚れ』って?」と。要するに、「浄化しましょう」「ヒーリングしましょう」と言うのは、「汚れている」という前提での話。「今あなたは汚い状態にあります。だから清潔にしましょうね」ということなのだ。

自分の中に生まれたネガティブな感情や、過去のトラウマ、果てはチャクラやオーラまで、「汚れ=直ちにそれを取り除かねばならない忌むべきもの」と位置付けて、浄化だのヒーリングだのと大騒ぎする必要が本当にあるのか?と。ここ最近の「除菌・抗菌ブーム」と重なるものがある。

生きていれば、日々感情の揺れもあるし、時には思わぬことも起きたりする。それによって落ち込んだり傷つくこともある。だが、そこで生まれたものを、「清めること」を必要とする「汚れ・穢れ」として処理するのは何か違うような気がするのだ。

浄化も癒しも、「今の状態を解消する」ということだ。いわば、「消滅させること」が目的になっている。躍起になってそれを消そうとするのは、ネガティブな感情を「=悪」として位置付けているからだ。怒り、落胆、悲しみ、憎しみ、妬み、嫌悪―そういった感情を持つ人間は「劣っている存在」という偏見があるからだ。

スピリチュアルおたく達を観ていればそれは明らか。多くの場合、彼らのテンションは異常なくらいに高い。それこそ周囲が奇異に感じるくらいに。「覚醒した人間は常にポジティブでハッピーな状態にあるものだ」「覚醒者にネガティブな感情は不要だ」そういった強い思い込みが彼らの中にあるからだ。だから彼らはそれらを排除しようとする。

負の感情を、真っ白なシャツに飛んだ泥跳ねのように厭い、気にする。一点の染みもない状態、清浄な穢れのない状態に強くこだわり、それを求める。だがそれは、「善か悪」「黒か白か」単純な二元論ですべてを捉え、判断する彼らの偏った思考の表れなのだ。同時にそれは、彼らの「幼稚さ」の証明でもある。

洗濯すれば汚れたシャツは綺麗になる。そんなふうに過去の傷や現在のネガティブな感情を浄化し癒せば、すべてが元通りの綺麗で清潔な状態に戻る―それは年端の行かない子供の発想だ。人間の感情を、洗濯物と同等に考えているということだ。

人間というものは、特に感情というものは、そんな単純明快に割り切れるものではない。それを理解していないから、浄化だのヒーリングだのと簡単に謳うのだ。そして、当の本人達は、それを行うことによってすべてが解決したつもりになっている。何とも単純且つおめでたい話ではないか。

浄化やヒーリングを何回行おうと、「その感情がどこから来たものなのか」という原因を理解しなければ何も変わらない。一時的な方法で負の感情を消し去ったとしても、いずれまたそれは意識の表面に浮かんでくる。原因への理解―それこそが本当に必要なものなのだ。

それと向き合うことをせず、簡単に浄化やヒーリングに走るのは、ただの一時逃れ、「逃避」でしかない。浄化ジプシー、ヒーリングジプシーが後を絶たないのはそのせいだ。何も解決していないから、同じことを延々と繰り返すのだ。

どんな人間にも、光と闇の部分が存在する。光だけでも、闇だけでも、それはある種「異常」なのだ。両方あってこそ人間であり、またそれこそが人間であることの証でもある。光だけで自分を満たすことは、もはや神や仏の領域なのだ。

光にこだわる人ほど、無意識では自分の中に存在する闇の深さを感じている。浄化やヒーリングは、彼らにとっての「精神安定剤」なのだ。それをすることによって、自分の中に存在する闇やそれに対する不安や恐れを押さえ込むことができるのだ。自分の「清潔さ」を確認できる機会でもある。

過去の傷もネガティブな感情も、見方を変えれば「経験」になる。実際、それを足がかりにして大きく成長する人もいる。傷自体は消えなくても、少しでもそこから学ぶことがあれば、それは「単なる傷」で終わることはない。決して無駄にはならないのだ。「汚れること」は、悪でも恐怖でもない。

人間が持つ力を侮ってはいけない。多少の汚れや染みなど、人間はものともしない。重油で汚染された海が、いつの間にか元の状態に戻るように、人間には自身を回復させる力、「自浄能力」が備わっている。誰かや何かに浄化してもらったり、癒してもらったりする必要はないのだ。自分の外側に依存の対象を見出すのは、自分自身を信じていない証拠でもある。

ネガティブな感情を持つことは悪ではない。しいて言えば、そういった感情を持つことを悪と考え、浄化だのヒーリングだの、躍起になってそれを消そうとすることこそが問題なのだ。

何かある度に、条件反射のようにそれを求めるのは、慢性の中毒症状そのものだ。やがては自分自身の「免疫力」、魂の強さが失われていくことに繋がっていく。「無菌状態」は、必ずしも「良いこと」ばかりとは限らない。

【追記】「あなたは浄化が必要だと思うの」と人に言う割に、自分が同じことを言われると不機嫌になる人がいるが、それってどーよ?と。まったくおかしな人がいるものだ。

少し前に何かの記事で読んだが、最近の子供、特に幼児の免疫力が、20年前に比べてかなり低下しているらしい。これも最近の過剰な「除菌・抗菌ブーム」の副産物かと。

聞くところによると、現在ほとんどの産婦人科では、出産に際し、赤ちゃんのために空気清浄機と加湿器を用意するよう指導しているらしい。加湿器はわかるが、空気清浄機がマストアイテムに含まれるとは・・・。生き物としての耐性はどうなっていくんだろう?と思う今日この頃。


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カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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