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解けない洗脳

 2010-10-07
第二次世界大戦後、日本を占領した連合国軍総司令部―GHQは、様々な占領政策を推進した。「教育改革」もその一つ。「自分独自の意見を作らせないこと」「討論や議論を学ばないこと」「受け身のパーソナリティーを作ること」こういった方針の下、教育プログラムが作成された。「今後日本から天才が出ないようにすること」を目的として。

要は、日本人を「家畜化」「下僕化」するための計画。そして、この計画内容の一切は、かつてイギリスの植民地だったインドで実践されたものとそっくり同じなのだ。

「冷静に」「大局的な見地に立って慎重に」「粛々と」尖閣列島沖での漁船衝突事故以来、ナントカの一つ覚えのように同じ言葉を繰り返す日本政府の対応は、GHQが行った「天才の出現を阻止する教育」「日本人の家畜化計画」が見事に成果を収めたという証拠でもある。当時埋め込まれた「時限装置」が、戦後65年経って、正確に発動したわけだ。

「教育改革」という名の、実質上は完全な「洗脳教育」の効果はてき面で、多くの日本人は、植えつけられた歪んだ価値観をいまだ引きずって生きている。個人レベルから国家レベルに至るまで、その洗脳の影響は続いているのだ。国際社会で生きていく上では、「致命傷」になるほどのものとして。


日本という国は、島国の上、国土も狭い。その狭く小さな土地で、定住型の農耕民族として肩を寄せ合うように生きてきた。それ故に争いはご法度。狭小な土地で互いに我を通していたら平和は保たれない。同じ場所に一緒に住んでいるのだから、それでは都合が悪い。まあみんなで仲良く平和に暮らしていきましょう―そうして「和を以って貴しとなす」の精神が育まれ、根付いていった国なのだ。

もともと平和主義が根付いた国、民族性であるところに持ち込まれたのが、件の「家畜化計画」だ。「自分の意見を持つこと=わがまま」「討論や議論、批判=悪」という洗脳が施され、それをする人間には罪悪感を抱かせようとする風潮が出来上がっていった。そうして「事なかれ主義」が蔓延していったのだ。

「冷静に」「慎重に」といった言葉を駆使した「大人の対応」で摩擦を避け、なんとか平和を維持しようとする。だが結局のところ、それは真の平和ではなく、表面だけの、「平和もどき」でしかない。「大人の対応」と称するものも、実際のところは、なす術もなく、ただ嵐の過ぎ去るのをじっと待っているような類のものなのだ。


「あれこれ言ってくる人というのは、ただ感情にまかせて難癖つけてきているだけだから、挑発に乗る必要はない。うっかりそれに乗っかると、たちの悪い相手と同じ土俵に上がることになるので、自分を貶めることになる。だからここはひとつ、大人になりましょう。かわいそうな人だと思って我慢しましょう」これが日本人の考える「大人の対応」なのだ。

反日感情の強い外国との間に摩擦が生じると、日本政府が多用する「冷静に」「慎重に」という言葉。響きだけはいかにもそれらしい言葉だが、結局のところ、それは「=何もしない」という意味でもある。「何もできない」「何もしてはいけない」国のトップ、政府内にまで洗脳が及んでいるということだ。

ある日突然やって来て、「お前の家はオレの家だ」と理不尽なことを並べ立て、他人の家を取り上げようとしている盗人にされるがままになっているこの国は、完全に「異常」なのだ。「駄々っ子を刺激しないように」と相手の顔色を伺っているヒマがあったら、「訳のわかんねーこと言ってんじゃねーよ!」と反撃しろよ、と。不動産登記簿でも証書でも、正当な権利を所有している証拠を突きつけてやればいいのだ。

本当の「大人の対応」とは、相手との間に一切の波風を立てないように、表面上だけでも「何事もなかったように」取り繕うということではない。我慢とか、媚びを売るとか、そういったことも必要ない。筋の通らない要求をしてくる相手には断固とした態度を以って堂々と渡り合う―それこそが「大人」が取るべき態度なのだ。

日本という国には、何かにつけて「大人の対応」を好む人が多いが、これも「戦後の洗脳教育」の賜物だ。戦後に生まれた世代にまで、「批判=悪」という思い込みが浸透していることからも、それは大成功裡に終わったわけだ。世の中に蔓延しているお気楽スピリチュアリズムにおいてでさえ、「批判をするとカルマが生じて自分に返ってくる」「批判するのは愛がない」「高い波動の魂を持っていれば批判はしないはず」などと言っている始末なのだから。

国の存亡がかかっているというのに、相手に好き放題やらせて黙っている日本って・・・。世界的に見たら、かなーり妙な国かと。「和を以って貴しとなす」「以心伝心」「慮(おもんばか)る」といった日本特有のメンタリティーは、国際社会、特に外交においては通用しない―と思ったほうがいい。狭く小さな国土に大勢の人間が一緒に暮らしていくことを前提に生まれた「教訓」は、万国共通の、グローバルスタンダードではないのだ。

外交とは、「=親善や交流」ではない。「利害」のためのものなのだ。いわば「戦争」の代わりなのだ。美徳、道徳といったものを持ち込む領域ではない。同時にそれは、お互いにそれぞれの言い分を伝えることができる「権利」を行使できる場でもある。それなのに、なぜそれを利用しようとしないのか?と。

政府が何の手立ても打たないこの状態は、相手がミサイルをバンバン撃ってきているにもかかわらず、何の反撃もせず、ただ逃げ回っているだけに等しい。それなのに、この期に及んでまだ「冷静に」「慎重に」「刺激しないように」とは。呆れて物も言えない。「外交=ケンカのやり方」もろくに知らず、ただ逃げ回るだけしかできないこの日本という国は、いずれ消滅するかもしれない。

現に今、今回の騒動に便乗して、ロシアが北方領土獲得に向けて動き始めている。過去から現在に至るまで、自分達が取ってきた「大人の対応」とやらがもたらした結果をよく見ろ、と。買わなければならない喧嘩からさんざん逃げ回ってきたツケが回ってきたのだ。

それでもまだ、こんな状態になっても、相変わらず自分の意見を主張せず、相手と真っ向から渡り合おうともせず、黙って相手方の態度に振り回され続けていることを選ぶのであれば、この国は、未だに65年前の洗脳から解けていないということだ。「批判=悪」という意味不明な考えをする人が多いことからも、この国が「異常」であることがよくわかる。そういった意味では、日本という国はいまだ占領下の状態にあるのだ。


(参考文献:「暴かれた”闇の支配者”の正体」ベンジャミン・フルフォード著)



【追記】「誰かや何かを批判するということは、必ずその人の自身の個人的な感情が絡んでいる」などと言う人達がいるが、まるで批判者が単なる自分の好き嫌いや感情に任せて八つ当たりしているかのようなその発言、かなり「洗脳」が進んでいるかと。

スピリチュアルでよく見られる発言、「高い波動を持っていれば他者を批判しない」とか、暗に「批判する人の魂は低レベルです」と言っているようなものだ。「個人的な感情」で物を言っているのは、果たして誰なのか?と。大体、「高い波動の持ち主=他人を批判しない、ジャッジしない」という根拠はどこにあるのか?と。

「感情で物を言う」というのは、「目付きが気に入らない」とか「話し方がむかつく」とか「あの国の人間は悪い奴らに違いない」とか、いわば「生理的なものから来る反発」と「過去の体験から得た印象や思い込み」がベースになったものだ。根拠や理論に基づく「批判」に、そういった要素は含まれない。「批判」と「悪口」「中傷」を同一視しているから、「批判には個人的な感情云々」という発言が出てくる。

「批判=悪口、八つ当たり」という思い込みが、「誰かを批判した罪は消えない」「批判と称した悪口を言っている自分を正当化してはいけない」などという発言を生む。まるで罪を犯したかのようなその物言い、「批判」の定義を理解していないことの表れだ。

何が何でも批判者を「悪者」扱いしたいようだがそれはどうしてなのか、そこまでして批判という行為に「=罪悪」という観念を植え付けようと躍起になるのか、その理由を聞いてみたいものだ。

GHQが行った洗脳教育そのまま、かつて「文化大革命」という名の下に、政治・思想・文化において共産党や行政機関のやり方に反発・批判をした人々を、大量に「粛清」した中国のようだ。

理論に感情で返してくるそのやり方は、まんま中国方式。理屈が通じないわ、自分の間違った思い込みと理解のなさを棚に上げて意味不明・理解不能の屁理屈を捏ね回すわ、非常に面倒くさい。

まあ「批判=悪口、八つ当たり」「誰かを批判することは罪悪だ」と思い込んでいる人達が今の日本に大勢いるということは、GHQの完全勝利ということだ。当初の狙い通り、大量のアホを作り出すことに成功したのだから。



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