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リピート

 2010-10-11
人間は「退屈」を嫌う生き物だ。特に、今現在自分がいる状況―例えば、それが文明水準の高い世界であればあるほど、人は退屈を持て余すようになる。文明化が進み、情報量が増え、生活水準が上がる―だが、社会の「成熟」は、同時に人々の意識に「退屈」をもたらすのだ。

物や情報量が溢れ、便利になった生活に、人々は「新たな発見」を見出すことが出来なくなる。当初は魅力的に思えたものも、「慣れ」と同時に「当たり前のこと」になっていく。「驚き」や「刺激」が生活から失われていく。その変化のない日常が、驚きや刺激への渇望を生む。そして人々の意識は、それを与えてくれるものへと向かうのだ。

闇や影の中にいる者は、光を求める。だが、ずっと光の中にい続ける者の中に、闇や影への憧憬が芽生えてくることがあるのもまた事実。煌々と照らされ続けていることが苦痛になってくる者が出てくる。

光と闇、自分が今どちらにいようと、人間というものは、結局「対極にあるもの」への憧憬を捨てられないのだ。その間を行ったりきたり―それを延々と繰り返す。「回帰」と言い換えてもいい。そして、それは多分永劫に続くのだ。何度も、何度も繰り返して―。


ここ最近、ヨーロッパの文化や歴史に関する本を何冊か読んでいたのだが、特に19世紀末、今から大体120年ほど前のヨーロッパの様子は興味深いものがある。

その当時のヨーロッパは、政治・経済・文化等、あらゆる面において「世界の中心」だった。蒸気船、蒸気機関車、電話、自動車、白熱灯、蓄音機、写真、映画、飛行機、電車といった文明の利器が次々と発明され、生活はどんどん便利になっていった。印刷技術の向上で、大量の印刷物発行が可能になり、それに伴いマスメディアが台頭し、手にする情報量も圧倒的に増えた。当時のヨーロッパの人々は、まさに最先端の文明を謳歌していたのだ。

だが、ますます近代化が進む社会とは逆行するように、人々の間では「オカルティズム」が興隆した。呪術、妖術、託宣(チャネリング)、霊視、予言、霊媒、超能力―当時の人々は、科学では説明不可能な「不可思議なこと」に傾倒していったのだ。「科学の世紀」と言われた時代の真っ只中に。

似ていないだろうか?今の時代と。日本を含む先進国で起こっているスピリチュアルブームと。時代背景や人々が抱いている退屈、「最高値」のレベルに到達してしまった故の空虚感、「繰り返し」で変化のない日常に刺激や意味を持たせることで何とか乗り越えようとするある種の逃避願望―120年前の「再現」と言ってもいい。どんな時代にあったとしても、結局「人間は満たされると退屈する生き物」なのだ。

月に行くだけにとどまらず、何ヶ月も宇宙空間に滞在することが可能になり、クローン動物が作られ、臓器の移植さえ行われるような、かつては「神の領域」とされたことをいとも簡単に手掛ける時代になっても、人間の本質は変わらない。満たされなければ不平を言い、満たされれば退屈し―。幸福過ぎてもダメ、不幸過ぎてもダメ―。ある意味、永遠に「満足」というものを手にすることのない生き物なのかもしれない。

かつてこの世界には、高度な文明を持つ人々が住んでいた大陸があったという。だが、やがて堕落が始まり、怒った神によってその大陸は一夜で海に沈められた。もしかしたら、人類は、地球が誕生して以来、何度となく同じことを繰り返してきたのかもしれない。誕生、繁栄、成熟、退廃、そして―。

They repeat it again and again―延々と繰り返される同じプロセス。今、人類がそのプロセスのどこにいるのかはわからない。だが、彼らはそれを繰り返すのだ。何度も、何度も飽きもせずに―。自分達が、先人達とまったく同じことを繰り返していることにさえ気づかずに―。

もしかしたら人間は、自分達が思っている以上に愚かで、未熟な生き物なのかもしれない。だから「歴史」は繰り返されるのだ。




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カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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