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元凶

 2010-09-03
インターネットの普及で、世の中は格段に便利になった。現在、巷には夥しい数の情報が溢れている。そして、基本的なパソコン操作が出来る人なら誰でも、自分が求めている情報を瞬時に手に入れることが出来る。

だが、「世の中が便利になること」と「そこに住む人間の賢さ」は必ずしも比例しない。世の中の人を観ていて思うのだ。環境等、「条件」が人間のに与える影響は、案外大したものではないのかもしれない、と。こういった便利な状況下にあってさえ、人はやはり「自分が知りたいこと」しか知ろうとしないのだ。

もしかしたら人間というものは、思考力や探究心、理解力や洞察力といったものも含め、その人自身が持って生まれた能力以上のことはしないようになっているのかもしれない。「自分が知りたいこと以外知ろうとしない人」を観ていると、そう思わざるを得ない。

彼らは、自分が持っている「古い情報」に囚われて、それ以外の新しい情報や変化、事実といったものを受け付けようとしない。完全な「思い込み」と「決めつけ」を以って、それらを拒否する。それが何に基づいているのか、何を以ってそうするのか、本人以外にはわからない。

無知、無関心、怠慢―考えられる要因はいくらでもある。だが結局のところ、その出所は、その人達の持って生まれたもの―いわゆる「本質」の部分ではないかと思うのだ。

たとえ同じ親から生まれ、同じ環境で育ったとしても、子供はそれぞれまったく違う個性を持った人間になる。当然関心を持つ対象も違う。それではその違いや差はどこから来るのか?というと、やはり「生まれ持ったもの」としか思えないのだ。

「自分で事実を確かめようとする人」と「それをしない人」と―もしかしたら、世の中には、二種類の人間しか存在しないのかもしれない。

たとえそれが個人レベルのものであろうと、そういった頑なさが生み出すものがある。「偏見」だ。物事や人に対する偏った見方や考え方―そして、大抵のそれは、事実とは大きくかけ離れたものなのだ。

やっかいなのは、そういった自分自身の穿った見解を「=事実、本当のこと」と思い込む人達が、インターネットを通じてそれを発信した場合なのだ。サイトやブログ、掲示板―そういった場でばら撒かれたそれは、「汚染」を拡大させていく。

それが事実であるかどうか、その情報が正しいのか間違っているのか―ネット上に流れている情報を判別するチェック機構は存在しない。嘘と真実が混在するネットの世界では、受信者は、「自分が信じたいと思うもの」「自分が共感できるもの」を「事実」として受け入れる。言うなれば、「個人の好み」がそれを判定するのだ。

そして、その不安定な「個人の好み」で「事実」となったその情報が、「本当のこと」としてまことしやかにまた広がっていく。自分が知りたいこと以外知ろうとしない人、自分が信じたいようにしか信じない人達によって。彼らはそのことさえ知らないのだ。自分の知る「真実」が、本当はそうではないということを。

【追記】あるスピリチュアル系ブログにこんなことが書いてあった。「最近鬱の人が多いが、それは病院側に問題がある。自分達の利益のために患者を長期に渡って薬漬けにしたり、不要な長期入院をさせる病院や医師が増えているせいだ」「鬱というのは、心の持ち様なので、精神を強く鍛えることをすれば大丈夫」と。

もうバカじゃないかと。「心の持ち様の問題」とか「薬漬けにされる」とか、鬱病や精神科についての「実情」「事実」を少しでも知っていれば、絶対に出てこない発言なのだ。こういう人に限って、「実は正確なことは何も知らない」。完全に「イメージ」だけで物を言っているのが丸わかり。

いくら個人のブログとはいえ、不特定多数の人が見る可能性があるのだから、自分の発言に責任を持っていただきたいと。というか、事前の「事実確認」も行わずに発言するとか、信じられないのだが。

またこういったいい加減な発言を鵜呑みにして、「私もそう思います。医者や病院は信用できません」とか「最近鬱の人が増えたのは、精神力が弱い人が増えたという証拠だと思います」などとコメント欄で同調する人がいるということも問題かと。(大抵はそのブログの「ファン」なので、これも「引き寄せの法則」だの「宇宙の法則」だのに該当するのでしょうね。「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものです)

「自分自身で調べる」「自分自身で考える」これをしない人が本当に多い。情報を得るのにこれだけ便利な時代になってもそれをしない人というのは、怠慢というよりは、やはり「その程度の能力の人」じゃないかと思うのだ。


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