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歪んだ鏡

 2010-08-12
「スピリチュアル狂信者」は、いくつかの特徴がある。その中の一つが、「強烈な自己愛」。

「自己愛が強い」と言うと、多くの人は「自分のことが大好きな人。またそれを周囲に押しつける人」と思っている。ナルシシストとか「俺様」キャラのような。だが、彼らは単に「自分という人間が大好きでたまらない人」なのだ。「自分自身の熱烈なファン」というだけのこと。

本当の意味での「自己愛が強い人」というのは、いろいろな意味で「完璧であること」「自分自身を守ること」に強いこだわりを持っている。「間違いを犯す自分、恥を掻く自分を認めたくない」という意識が非常に強く、プライドが高い。

例えば、「逆ギレする人」がその一例。自分に全面的な非があるのにもかかわらず、理不尽なことを並べ立て、結局すべてを相手のせいにする―それは強い自己愛を持つが故なのだ。彼らの中では、自分は常に「完璧で正しい存在」だ。完璧な自分に間違いや恥などがあるわけがないし、万が一にもそんなことが起きてはならない―彼らはそう考える。

だが事が起こり、自分の非を認めなくてはならない状況から逃れられないとなると、「相手が悪いと思いたい」という意識が芽生えてくる。「完璧な自分像」が崩れたことが許せないところに、もともとの強い逃避願望が加わる。やがてそれは高じて「相手のせいにしたい」になり、最終的に「相手が悪い」に変化する。

明らかに自分が悪いにもかかわらず、「恥を掻かされた」「おまえの責任だ!」と激怒する。「相手に~された」という被害者意識に転化されるのは、彼ら流の「防衛反応」なのだ。自分自身の正当化。相手が悪いと思い込むことで、彼らのプライドは守られる。これが「逆ギレ」の、そして「自己愛の強い人」の基本の思考構造なのだ。


強い自己愛を持つスピリチュアル狂信者の場合、平和主義というか、いろいろな意味で受動的な人が多いので、ベクトルは他人ではなく、自分自身へと向かう。「体裁」にこだわるのも特徴の一つ。他人の目を意識し、自分をよく見せようとする意識が常に働くので、「逆ギレする人」というレッテルを周囲から貼られることは、彼らには不本意なことなのだ。「いい人」でいることにこだわる人が多いのも、「他人から見た自分」を意識しているから。

「逃避願望」の強さや「完璧主義」、プライドに執着するところは「逆ギレする人」と同じだが、あくまでも「体裁」を気にする彼らの場合、自分の内面―意識や感情のほうを捻じ曲げる。そうすれば、他人の反感を買うこともないし、自分の評価も傷つかない。

そして一切をシャットアウトする。事実から目を逸らし、都合の悪いものや自分が見たくないものをすべて締め出す。見たいもの、見たいと思うものしか見ないようになる。自分自身の「本当の姿」も含めて。

例えば、友達の幸せや幸運を妬む夜叉のような顔をした自分が鏡に映っているとしても、自分の「闇」を認めたくない強い思いがあれば、彼らの目に映るのは、聖母のように穏やかで優しげな顔をした自分の姿なのだ。

それは一種の自己暗示だ。暗示というものは、本人がその内容を本当に強く望んでいる時にだけ作用する。「自分の闇を見たくない。自分はこんな醜い心を持った人間ではない」その人の「光」に対する願望が強く大きいものであればあるほど、暗示は強く働く。

鏡に映る夜叉の顔を一瞬にして消し、聖母のものに変化させるなど、彼らには簡単なことなのだ。強い暗示下にあれば、見たいものだけを見ることができる。もっともそれは、自分の意識が作り上げた「幻想」に過ぎないのだけれど。

自分が見たいもの・見たいと思うものだけで構成された世界に生きるということは、歪んだ鏡を覗き込んでいるようなものだ。そこに映っているのは、「ありのままの姿」とはかけ離れたものなのだから。歪められた「真実」があるだけなのだから。


「友達を羨んだり妬んだりする自分が嫌」と言う人に対し、「それはあなたが、『自分もその人と同じようになれる』という可能性を潜在意識で知っているからです」「嫉妬するのは、自分も同じものを手にすることができるのに、まだ手に入れていないからです」あるスピ系ブログの公開相談のやり取りだ。

世界的に有名なIT業界の大富豪の名前を出してきて「その証拠に、この人のことは妬ましくないでしょ?」とも言っている。そして、「そういった自分の中から湧いてくる感情は、過去生から持ち越していることがほとんどです。説明のつかない思いや感情の原因を探っても意味がありません。そう感じる自分をただ受け入れるだけで浄化が始まります」と。

これは「歪んだ鏡」を見ている人の典型的な例。事実や真実から目を背け続けてきたスピリチュアリストの典型的な回答なのだ。

自分の見たいものだけを見、見たいと思うものだけをそこに出現させる。自分に都合の悪いものは徹底的に排除する。道理を曲げてまで自分を正当化する―そうやって生きてきたスピリチュアリストは、やはりクライアントにも同様のことを強いるのだ。「問題」から目を背けさせ、ひたすら自分を甘やかし、闇雲に肯定させることに終始する。かつて自分が自分自身に対してそれをしてきたように。

「逃避」ベースのスピリチュアリズムを説くスピリチュアリストは、その定義を本来の意味とはかけ離れたものに捻じ曲げ、都合のいい「言い訳」にする。スピリチュアルの世界ではよくあることだ。実際、逃避願望がきっかけで、この世界にはまり込んでいく人は多い。

彼らは、すべてを「綺麗ごと」にしたがる。自分の「本当の姿」を見ようともせず、スピリチュアルの定義を捻じ曲げ、ひたすら自分自身を正当化することに終始する。自分の中に存在する闇の部分すら打ち消そうとする。

そして、そのスピリチュアリストの「コピー」―現実と向き合わない人、「本当の自分」から目を背け続ける人がどんどん巷に増殖していく。歪んだ自己愛から生じたものが、他者にどんな影響を与えるかという実例だ。


「歪んだ鏡」を持つスピリチュアリストは、「見たい自分の姿」しか見ようとはしない。自分の「本当の姿」を見ることさえ拒む人間が、誰かの姿を映し出す「鏡」になることなどできるはずがないのだ。「鏡になるということ」の意味を、それはどんなことなのかということをまったく理解していないのだから。

クライアントの「真の姿」を映し出すことが出来ない鏡など、何の役にも立たない。率直に言えば、それは「有害」でしかないのだ。




【追記】「相手に嫉妬するのは、先を越された悔しさからなんですー。相手がちょっと早くそれを手に入れたのを見て動揺しちゃっただけなんですー。あなたも同じようになれるから大丈夫ですよー」という意味不明のこの回答、実は有名どころのスピ本では必ずと言っていいほど言われていること。

以前目を通した何冊かのスピ本に、まったく同じことが書いてあった。もちろん著者はすべて違う人。スピリチュアル業界での「定説」というか、一種のマニュアル、回答例のようなものだ。「自分を否定しない」「すべてをありのままに受け入れる」という「定番」の定義を、その字面どおりに、杓子定規に当てはめただけのもの。

複数の人がまったく同じことを言うのはなぜか?それは、すべて「スピリチュアリズム(と名称変更しただけのキリスト教や仏教)」を基にしているから。それが唯一無二の「真理」、「正解」だから―というわけではなく、簡単に言えば、「同じ宗教」を信仰している人達が書いた本だから。

キリスト教であればカトリックとプロテスタント、仏教なら真言宗と浄土宗―多少の違いはあれど、信仰しているものは基本同じ。現在「信者」が増えている「スピリチュアリズム」という新興宗教は、キリスト教と仏教が合体してできたものなので、結果同じようなことを言い始めるようになる。

そして、一種バイブル化したスピ本に書かれていることを鵜呑みにして「宣教師」になるのが、件の「あなたも同じように云々」というブロガーのような人なのだ。スピリチュアルを「逃避」の手段として用いてきた人の典型的な例と言ってもいい。



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