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ファストフード・スピリチュアル

 2010-08-05
現在利用しているこのブログには、「アクセス解析」という機能が付いている。このブログを訪れた人が、どういったキーワード検索でたどり着いたのかということが分かるようになっている。もちろんメールアドレス等を含め、個人の特定は一切出来ない。検索で使われた言葉だけが表示される。

うちの場合、「ヒプノセラピー 大阪」「カウンセリング 大阪」が断トツで多い。次いで目立つのは、「スピリチュアル批判ブログ」「自死遺族 サポート」「ネイティブアメリカン 文化」「アメリカ 文化」等といったところ。世間の人がどういった事に関心を持っているのか、その片鱗をうかがい知るのはなかなか興味深いものがある。

ここ最近、そのアクセス解析で表示されたキーワードで、いくつか気になるものがあった。「スピリチュアル 通信教育」「通信教育で学ぶスピリチュアル」「霊能力開発方法 通信教育講座」こういった検索結果が数回に渡って表示されていたのだ。

「通信教育で学ぶスピリチュアルとか霊能力??そんなもんあるの?」と調べてみたのだが・・・あるのだ。これが。まあ驚いた。通信教育って・・・。何というか、ここまで来ると「なんでもあり」の世界だなと。通信教育を否定するわけではないが、いくらなんでも「限度」というものがある。こういったデリケートな分野を通信教育で学ぼうとする人がいることも驚きだが、それよりも、それを教える講座があること自体が衝撃だった。

その中の一つは、週1回1~2時間、電話やスカイプを利用して、オーラチェックや遠隔ヒーリング、オーラの浄化方法、ヒプノセラピー等を個人指導するらしい。時々「オフ会」があるらしいが、それ以外は講師と直接対面することはない。傾倒しているらしいエハラさんの本を事前に読んでおいてほしいという指示が出ているが、独自のテキストはないらしい。

まあ他人様の「商売」のやり方に難癖をつける気はないが、「これってどーよ?」という疑念を拭えないのが正直なところ。関西が生んだ偉大な文化、「吉本新喜劇」のネタに、「オレ、こう見えても高校時代空手習ってたんや。まあ通信教育やけどな」「ズデーン(一同コケる)」という鉄板ギャグがあるのだが、思わずこれを思い出してしまった。

何というか、本当に「お手軽」だなと。月数千円の、ホテルでのランチ1回分くらいの金額の通信教育で学んだ「思想(と本人達が言い張るもの)」だけですべてを理解した気になって安易にプロとして開業して、「スピリチュアリズムに基づいた」とかいうカウンセリングやらヒーリングやらを施しちゃう人がワラワラ出てくるのが怖いなと。

大体、「プロ」として開業していいという「お墨付き」は、一体誰からもらうのだろうか?何を以って「修了」とするのだろうか?「自己申告」「やったもん勝ち」なら尚更怖い。未熟なスピリチュアリストがもっともらしい顔をして、「スピリチュアリズム」とおしゃれに名称変更した「宗教(実体はキリスト教や仏教)」を押しつけてくるのだから。


3年位前、通信教育事業を展開している某企業から、講師のオファーをいただいたことがある。講義用テキストやDVDの作成・指導まで全般に関わってほしいとのことだったのだが、お断りした。なぜなら、ヒプノセラピーの真髄は、通信教育などでは伝えられないから。

最大のネックは、レポート提出だけで、直接対面の授業―スクーリングシステムが一切含まれていないということだった。自分がこれから指導を受けようとする講師が、「一体何者なのか?どういう人間性を持っているのか?」ということを、受講生が直接肌で感じる機会がないという時点で、もう「違うな」と。もし自分が受講する側だったら、通信教育という手段でヒプノセラピーを学ぼうとは決して思わない。

ヒプノセラピーに関わらず、心や意識、身体といった「人間」に関わることを学んだり教えたりするには、やはり「直接対面」でなくてはならない。こういったデリケート且つ慎重さが要求される分野では、「非言語的な部分」が実は最も重要なのだ。百聞は一見にしかず―「観て学ぶ・感じる」という部分。「間」「空気」といった「言葉だけでは埋められないもの・伝えられないもの」の中に、一番重要な「核」が存在している。

その「核」を、週に1度の1~2時間程度の電話やスカイプ、時々開催されるオフ会だけでどう伝えられるのか?どう学べるのか?ということ。そういった部分の重要性を認識しているのであれば、容易に通信教育講座など開設できないはずだし、ましてや安易にそういった手段でスピリチュアリズムを学ぼうとは思わないはずなのだ。

気軽に入って気軽に手に入れて―ファストフードそのものだ。師匠のかばん持ちから始める「修行期間」もなく、心理学や宗教学、哲学等「必要最低限のこと」も学ばず、オーラとかヒーリングとか、簡単に手に入れた知識だけを使って「プロ」を名乗る―実に安易な世界。通信教育で習った空手で黒帯をもらったと言っているようなものだ。

実際、そういった通信講座で安易にスピリチュアルを学んだ人達が「全然学んでいないこと」、所詮それが「上っ面のもの」でしかないということがよくわかるのだ。その人達には、「教えられたこと以外のこと」を自分で学ぼうとする気がまったくない。なぜなら、「師匠」が出来ないことは、やはり「弟子」も同様に出来ないのだ。

例えば、師匠が「私は除霊は出来ません」と言っていれば、間違いなく弟子も同じことを言っている。ある講座の講師と受講生のブログを読んだが、「こういったことは無理です」と書いてある事例が、まったく同じだった。師匠が「出来ない」と言っていることを、「出来る」と言う弟子がいないことが不思議だなと。

「自分で学ぶ」「さらに」「もっと」という探究心や向上心、「師匠を超える」という気概がない証拠。もしくは、師匠が教えることが「すべて」だと思い込んでいることによる「慢心」か―そのどちらかだ。それは「謙虚さ」や「分相応」といった意識から来るものではない。

師匠がエハラさんやミワさんの信奉者なら、弟子も同様に信奉者になる。「エハラさんの本に書いてあることには間違いない」「エハラさんやミワさんの言うとおりにしていれば大丈夫」といった感じで。「エハラさんやミワさんの言っていることはすべて正しい」という証明すらないのに、師匠が「あの人達はすごい!」と言えば、そのまま鵜呑みにして信じ込む。完全に「宗教」なのだ。

教えられたことだけ、同じように―そのやり方は、手の洗い方から野菜の切り方、1回にどれだけの割合で玉ねぎと牛肉を掬うかまで決められているハンバーガーや牛丼のチェーン店のようだ。「マニュアル」があれば、誰でもできる。だから雨後の筍のように、大量生産された判で押したような代わり映えのないヒーラーやら何やらが次々と世の中に出てくるのだ。スピリチュアリズムという「統一マニュアル」を手にして。

お手軽な「ファストフード・スピリチュアル」は、所詮この程度。サービスにしろメニューにしろ、すべて最初から盛り込み済みのマニュアル化されたものなのだ。それ以上の「深み」を求めるのは、むしろ酷なことなのかもしれない。




【追記】オーラの色が見えなくても、チャネリングをしなくても、初対面であっても、その人の体の姿勢―いわゆる立ち居振る舞いや表情、声や話し方を観れば、どんな性格でどんな思考パターンをする人なのか、どんな環境で育ってきたのかということは大体推測できます。心と意識と身体の関係性を知っていれば、それは難しいことではありません。

オーラを浄化したりヒーリングしなくても、日々を誠実に一生懸命生きていれば、オーラは自然に輝きます。別に「スピリチュアル」を持ち出すほどのことでもありません。

しかし、スピリチュアルに関わっている人って、本当に「不勉強な人」が多いです。オーラとかヒーリングとか、そういったことだけじゃダメなんですよ。もっと広く、いろいろなことを勉強しないと。スピリチュアルには物理学とか理系の分野も関係してくるんですよ。「え!?」と思ったら、それは不勉強の証拠です。また、そこに言及しない「師匠」の実力も、所詮は「その程度」ということでしょうね。




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カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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