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愚問

 2010-05-24
「あなたにとって○○とは何ですか?」インタビューの「定番」とも言えるこの質問、出てくる度にうんざりする。インタビューの相手が役者なら、「あなたにとって演劇とは何ですか?」ミュージシャンだったら「○○さんにとって音楽とは?」とか。つくづく芸がない。

大体、何よこの質問?と。「あなたのとって○○とは?」ご大層に聞えるが、これほど曖昧で意味不明な質問もないと思う。それは単に、間を持たせたり、上手くその場を収めたり、「これさえ言っておけば間違いない」という、いわば「常套句」なのだ。

くそ面白くもない通り一遍の薄っぺらい内容でも、最後をその質問で〆れば、まあ一応は「それらしく」まとまる―みたいな。どことなく哲学的な深さのようなものを感じさせるその響きが、重厚で高尚な色を添え、内容を数段ランクアップして見せてくれる。

「それらしい質問」には、当然「それらしい答え」が返ってくる。「あなたにとって○○とは?」「そうですねー。人生の一部ですかね」などと即答する人は、確実に答えを準備してきている。まあ言うなれば、質問と回答、どちらも「茶番」なのだ。聞き手と答え手、そのやり取りを傍で聴いたり読む人達―三者すべてが納得するための、「とりあえずのオチ」が必要なのだ。その「オチ」をつける役割が、「あなたにとって○○とは?」という質問なのである。


世の中の多くの人は、その人が情熱を傾けて一心に取り組んでいることには、何か深い意味や理由があるに違いないと思っている。むしろ「そうでなければならない」「確固たる何かがあるからこそ、この人はこんなにも熱心にそれに取り組んでいるのだ」と思いたい。自分の中の「願望」「理想」「期待」を投影しているのだ。

「結果」には「原因」が付き物だ。だが、意外とその「原因」は、ドラマティックの欠片もないような、平凡で単純なものだったりする。「面白かったから」「好きだったから」「興味があったから」「褒められて嬉しかったから」小学生が答えているのかと思うくらいの、「ほんのささやかなこと」がすべての始まりだったりする。

「そんなことはないでしょー。もっと何か深い理由があるんじゃないですか?」と納得せず、躍起になって何とか「それらしいドラマティックな要素を含んだ答え」を引き出そうとする人や、それを期待する人というのは、物事や現象に対して、いちいちその意味や意義を見出さずにはいられない。

それを一番欲しているのは、実は他ならぬ彼ら自身なのだ。行動するには、生きるには、自分も周りも納得する『それらしい動機』がなければならない―そう思い込んでいる。そういった人の多くは、動機や意味、目標を「糧」にしなければモチベーションを保てないタイプだ。「燃え尽き症候群」に陥る人は、大抵がこのタイプ。

何かを始める度に、それに対していちいち意義付けしたり、意味を見出そうとするのは、単なる「エゴ」だと思うのだ。「自分は意義深いことをやっている」「自分がやることにはきちんとした理由がある」と、他ならぬ自分自身がそう信じたがっているだけ。結局それは、「自己満足」の域のもの。

そういった人達が、例の「あなたにとって○○とは?」という質問にコロッと騙される。茶番でしかない「もっともらしい質問」と「もっともらしい回答」に、ドラマティックな要素や重大な動機がなければ物事は成り立たない―という意識を植え付けられる。

その「成れの果て」が、「私の天職って何?」「やりがいのある仕事はどうやって見つけるの?」「自分の人生の使命は?」「人生の生きがいって何?」と右往左往して大騒ぎする人達。「意味」や「意義」、「目標」に過度に執着するあまり、肝心な部分がまったく見えていない。気づこうとさえしない―と言い換えたほうがいいかもしれない。

「違い」など、実はほんのわずかなものなのに。自分の中の、その「平凡で単純なささやかな衝動」に従うか従わないか、そしてそれを続けるか続けないか―ただそれだけのことなのだ。「情熱」の火種というものは、決して大きいものではない。だが、それは小さいながらも、確実に高い熱を放っている。

「あなたにとって○○とは?」その質問に即答できるようになることが、必ずしも「正解」ではないし、必要とは限らない。意義や意味といったものは、所詮「後付け」。「はじまり」の段階から、本来後からついてくるものにこだわり過ぎている間に、その「火種」は消えてしまう。

その火種をどこまで大きくするか―ということは、意外にそれほど重要なことではないのかもしれない。いかにそれを絶やさずに守っていくか、燃やし続けていくか―一見地味で何気ないその部分にこそ、「核」が存在しているのかもしれない。時として、真実がシンプルな言葉で語られることのように。




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