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真性マザコン

 2010-05-14
「最近カミさんのことを『オンナ』として見られないんだよなー」などとボヤく男性に限って、子供と一緒になって、奥さんのことを「ママ」とか「おかあさん」とか呼んでいたりする。

自分の妻を、自国語で「母親」を意味する言葉で呼ぶ習慣のある国というのは、世界でも稀だと思う。結婚してある程度の年数が経って、子供ができて・・・と、人生のある時期から妻を「ママ」「おかあさん」と呼ぶようになる男と、それを受容する女のいる国―「夫婦間の年間セックス回数万年世界最下位の国」というのも頷ける。その時点で、既に「男と女」ではないのだ。誰しも「自分の母親」とはセックスできない。

「妻を母と呼ぶ男」は、それを妻のせいにする。「年がら年中すっぴんでジャージ姿でいられたら萎える」とか「色気が足りない」とか。しかし、そう言う男の側も、大抵はその「色気のない妻」と似たり寄ったりだ。「おっさんモード」全開で、「これだからおっさんは・・・」と陰口を叩かれる状態に自分があることに気づいていなかったりする。

彼らはまったく気づいていないのだ。妻から「女」を奪っているのは、実は自分だということを。妻に「母親」を求め、「永遠の息子」でいたがっている自分の無意識のせいだということを。

日本の男というのは、基本「マザコン」だと思う。それは、思想や習慣等含め、日本の文化的背景から来ているものが大きいと思うのだ。今でこそ、男女雇用機会均等法だとか、家事を分担して行う夫婦だとか、世間的に男女の格差はほとんどなくなったように見える。しかし、歴史的に見て、日本は「男尊女卑」の国だ。「妻は夫より三歩下がって歩く」とか「女三界に家なし」とか。数十年前まで、そういった思想がごく当たり前の国だった。

私達アラフォー世代は、「男は外で働き、女は家を守るのが当たり前」と考える風潮の強い時代で育ってきた。事あるごとに「女は男に尽くすもの」という観念を無意識に刷り込まれて育ったので、「そんなのおかしい!」と反発しながらも、心のどこかでは渋々それを受け入れているようなところもある。

今でこそ料理等、家事をする男性はめずらしくなくなったが、私達の世代では、「家事が出来る男性」と「まったくできない男性」に二分される。もしかすると、「できない男性」の割合のほうが多いかもしれない。それは、「男子厨房に入らず」「男は家事なんかできなくて当たり前。しなくてもいい」「家事は女の仕事」と考える人が大半の世代の親―特に母親―に育てられた人が多いから。

加えて、母親というものは、娘より息子のほうを断然大事にする傾向が強いということもある。黙っていても温かい食事やお茶が出てくるのが当たり前。取れかけたシャツのボタンがいつの間にかちゃんと付けられている。箪笥を開ければ洗濯されてきちんと畳まれた服や下着が並んでいる―日本では、母親の多くが、まるで夫に尽くすように息子に尽くす。

そうした母親の「献身」を、息子は当然のこととして受け取る。その「刷り込み」と「勘違い」が誤解を生むのだ。「女=母親」と。「女とは、母親のように自分の面倒を見てくれる存在であり、母親のように面倒を見てくれるのが、女というものなのだ」と。

その「誤解」を抱いたまま、多くの男は結婚することになる。彼らにとって「結婚」とは、「妻を娶る」というより、「『もう一人の母親』を手に入れる」ということが目的なのだ。そして、自分の無意識に存在する「本当の目的」に、彼らはまったく気づかない。

結婚し、「もう一人のおかあさん」を手に入れた彼らの「本音」が現れる部分が、「ママ」とか「おかあさん」といった妻への呼びかけなのだ。そうすることで、名実ともに、妻を「母」にする。彼らが求めているのは「妻」ではなく、あくまでも「母親」なのだ。「色気のない奥さん」に、実は安堵している。息子というものは、「色気のあるおかあさん」を望まない。彼らにとって、母親とは、そういった「生々しい存在」であってはならないのだ。


英語では、恋人関係も含め、パートナーへの呼びかけには、名前の他に「ハニー」「ダーリン」「スウィーティー」等という言葉がよく使われる。「ダーリン、今日の晩御飯は何がいい?」とか「ハニー、ちょっとこれ見てごらんよ」とか。まあ日本語の「あなた」「君」「おまえ」に相当する言葉だが、相手に対して「愛しい人」だの「可愛い人」だの、超甘甘な表現を使うところからして、パートナーに対する意識が日本人のそれとは根本的に違っているのがわかる。

たとえ自分達が家庭内で「父親」「母親」というポジションにあったとしても、お互いを「ママ」「パパ」などとは決して呼び合わない。それは「自分をこの世に生み出した人達=両親」に対してのみ使われる言葉であって、妻や夫に対して使うものではないのだ。あくまでも「妻は妻であり、夫は夫」なのだ。お互いにとって、相手はいつまでも「異性」であるということ。

日本と欧米の夫婦関係の一番の違いはそこではないかと。片や結婚して数十年経っても相手を「ハニー」「ダーリン」と呼び続け、「愛してる」だの「君はきれいだ」などと四六時中言い合う国と、片や「ママ」とか「パパ」とか夫婦なんだか親子なんだか分からない曖昧な言葉で呼び合い、相手を褒めもせず、不平ばかりが圧倒的に多い国との―。まあそれは、「女性への奉仕」等を理想とする「騎士道精神」の気風の強い文化圏と、儒教思想を根幹にした「武士道」の国との違いでもあるのだろうけど。

日本人女性をはじめ、多くのアジア人女性が欧米の男性にコロッと参ってしまうのは、その「騎士道精神」に基づいた女性の扱い方の部分に因るものが大きいと思う。「ハニー、それは僕が持つからいいよ」と、相撲部屋の新弟子みたいな体型をした奥さんにスーパーの袋一つ持たせようとしない欧米の男性達の振る舞いを、彼女達は「やさしさ」と思い込む。

だがそれは、「やさしさ」ではなく、文化的な「習慣」から来るものなのだ。自分を好きだから優しくしてくれているのではなく、「女性を労わるのは当たり前。女性とは守ってあげるべき存在」と定義する文化故なのだ。

日本人が誰かと会ったら会釈をするように、「レディーファースト」は、「礼儀」であり、当たり前の「習慣」。6歳の男の子がドアを押さえて待っていてくれたり、自分の体の半分くらいの大きさの荷物を持とうとしてくれるのも、子供の頃から徹底的にその精神を叩き込まれるから。

それぞれの国の礼儀や習慣を比較して優劣をつけるのは本来筋違いだが、日本人男性の場合、その「習慣」を笠に来て自分を棚に上げる人が結構多いということは否めない。

自分はソファにふんぞり返ってテレビを見ているくせに、忙しく洗濯物を畳んだりしまったりしている奥さんに向かって「お茶入れろ」とか。「今忙しいから自分でやって」と言われると、途端に拗ねる。「おふくろは忙しくてもやってくれたのに」挙句の果てに、「自分に対する愛情が感じられない」などと言い出したり。

「妻が自分にしてくれること・してくれたことの数」で愛情を計るようになる。しかし、そういう人に限って「それが妻の役割ってもんだろ」とばかりに、「ありがとう」すら言わないのだ。奥さんが両手でスーパーの袋を持っているのに、片手にタバコ、片手に携帯で、数メートル先を電話の向こうの相手とばか笑いしながら歩いていたり。「あんた一体何様よ!?」と。

いくら「夫婦」といえ、「血の繋がらない他人」が、料理を作ったり、洗濯したり、自分のためにあれこれ何かをしてくれることって、実は「すごいこと」だと思うのだが。母親だったら当たり前のようにやってくれることを妻がしてくれない―とブツブツ言うのは、妻と母親を同一視している証拠なのだ。


男女関わらず、パートナーの悪口や不平不満が多い人というのは、意外と相手と「鏡の関係」にあったりする。相手に対して言っていることが、そのままその人自身にも当てはまる部分が多い。結局、「お互い様」というところ。ここ最近、カウンセリングをしていると、特に男性にそういった傾向が強いなと。

奥さんを「色気がない」とかこき下ろす前に、無意識に「母親」になることを強要していませんか?と。本当の、真性のマザコンというのは、妻に「理想の母親になることを要求すること」なのだ。自分の「マザコン度」の高さに気づかず、奥さんに対してあれこれ言うのは身勝手というものだ。

「奥さんがお茶を入れてくれないのは自分を愛してないからだ」などという戯言を言う前に、たまにはあなたが奥さんにお茶を入れてあげたらどーですか?と。それが嫌なら「自分のかあちゃんと結婚しろ!」と言うしかないですな。




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カテゴリ :男と女・恋愛・結婚の話 トラックバック(-) コメント(-)
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