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陶酔する人々

 2010-05-01
自己啓発やスピリチュアル系のブログを見ていると、「体験談」と称した「苦労話」を延々と披露している人が多い。「私はこうして真の自我、『本当の自分』に目覚めたのです!」とか。

「自分語り」している本人は、そりゃあ気持ちがいいと思う。「書くこと」をはじめ、自分の気持ちを何らかの形で「表現すること」は、ある種のカタルシス、「浄化」をもたらすから。だが、誤解を恐れずに言わせてもらうが、他人の苦労話ほどつまらないものはない。その人のマスターベーションの瞬間に付き合わされているようなものだ。

「体験談」というのは、常に「第三者の目線」が必要になる。自分を「他人の目線」で語ってこそ成り立つものだ。そこで自分に起きたこと、その時の自分の状態等、ただ「事実」を語ればいい。極端に言えば、主語と動詞で十分なのだ。だが、そこに「当事者」としての、主観丸出しの「自分語り」が入った時点で、それは本来の意味とはかけ離れたものになる。

「苦労話」を嬉々として披露しているブログに共通しているものは、強烈な「自意識」と「自己愛」だ。そして、「自分は特別な存在」という意識が根底にある。もっともそれは、「特別な存在になりたい」という本人達の「願望」を投影した「思い込み」でしかないのだが。

「特別」という言葉に強くこだわればこだわるほど、自分の「凡庸さ」を露呈することになるということを、彼らは認識していない。実際、そういった人達の大半は「フツーの人」だ。騒いでいるのは本人達だけ。「自分探し」と称する「ただの悪あがきと現実逃避」の過程や子供時代からしつこくこだわり続けるコンプレックスを人様に披露して何が楽しいのかと。

自己啓発やスピリチュアルにはまるきっかけの多くは、「コンプレックスから来る自己嫌悪」と「人生においての躓き」と相場は決まっている。ご多分にもれず、彼らもその口。正直めずらしくもなんともない、いわば「ありきたりのこと」。本人達は思い入れたっぷりにあれこれ飾り立てて語ってはいるが、その実「なんてこたーない」レベルのものなのだ。

まあ本人達には「特別意識」があるので、「特別な自分」が特別に、自分に関する「特別な話」をしてあげている―と、ある種の「サービス精神」を発揮しているつもりなのだと思う。べつの見方をすれば、単に「みんなは自分の話を聞きたがっているにちがいない」と勝手に思い込んでいる「おめでたい人」なのだけれど。


時代が変わったということもあるが、最近「苦労」の基準が下がってきたなと。何を以って「苦労」とするのかは、人それぞれ違うので一概には言えないが、私にとっての「苦労」は、明治・大正生まれの祖父母世代の人達のそれが基準となっている。

私の子供時代は、第二次世界大戦時、捕虜としてシベリアに6年間抑留されたり、満州から無一文で、それこそ身ひとつで命からがら日本に引き揚げてきたり、乗っていた軍艦が撃沈され、板切れに掴まりながら3日間海を漂流した末救助された等の経験を持つおじいちゃんやおばあちゃん達が、日常に「普通に」存在していた。

そういった、戦争とか世界情勢とか、好むと好まざるに関わらず、「個人の意志の及ばないもの」に翻弄され、受け止めるしかなかった経験を「苦労」と言うのだと思ってきた。そういった意味では、私を含め、戦後生まれのほとんどの人は「苦労知らず」だ。

大体、世界でも1~2位を争うほど恵まれたこの国での「苦労」などたかが知れている。「本当の自分」を探すために割ける時間がある生活のどこに苦労があるのかと思う。

「自称 覚醒した人達」が語る苦労というのは、あまりにも浅薄だ。失礼を承知で言わせていただくが、それは単に「嫌だったこと・困ったこと」のレベルではないかと。まあ本人達が「辛い経験」と言っているので否定はしない。だが、「多くの人が同じようなことを経験してるよ」と。

カウンセリング中、ほとんどの人が必ず口にする「前置き」がある。「多分こんなふうに思っているのは(こんな経験をしたのは)自分だけだと思うんですけど・・・」

大抵の場合、「自分だけ」と思っていることでも、同じような考えや経験をしている人は、世の中に少なくとも10人はいると思ってもらってもいい。そしてその内の半数は、自分の身近にいる可能性が高い。ただお互い口に出さないから知らないだけなのだ。

いまだにウダウダと苦労話を書き連ねるのは、実は本人がまだそこから脱却していないという証拠でもある。今の世の中、ヒーロー・ヒロイン願望の強い「かまってちゃん・かまってくん」が本当に多いなーと。「私を見て!」「ボクを認めて!」と懸命にアピる様子はまるで「子供」。満たされなかった過去への記憶に未だ執着しているのだ。

まあ、その人達の「特別ごっこ」に付き合ってあげるつもりで、そのへんを割り引いて「体験談」とやらに目を通すことだ。「本当の体験談」というものは、「ただ淡々と事実を語るだけ」で、十分人の心を動かすものだ。

今の世の中、「大袈裟な人」が多過ぎる。もう少し冷静に自分を省みる目を持ちましょう―と。自分に酔いしれる人って、傍から見ると「ただのイタイ人」なんで。そういう「イタイ人達」が数多く集まる自己啓発やスピリチュアルの世界というものも、「イタイ世界」と言ってもいいかもね。



【追記】
「自分は『本当の自分』に出会うまでに、あんなことやこんなことをやった」と自慢げに、自分の職業遍歴を書き連ねている自己啓発スクール講師の人がいましたが・・・「肉体労働もやりました!」とか。何かそれを「勲章」みたいに思っているようですが、それって自分の根気や考えのなさを露呈しているだけなので。

大体どうして「肉体労働をした=苦労」になるのかと。だったらブルーワーカーの皆さん、すべて「苦労人」じゃないですか。しょせん「ぬくぬく育った頭でっかちの自己愛の強い人」の考えることです。何だかんだ言いながら、「苦労知らずの坊ちゃん育ち」なんでしょうね。自己陶酔の人にかかると、何でも大袈裟になり過ぎていけませんな。



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