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愛を乞う人

 2010-04-05
スピリチュアル業界を観察していると、よくまあ「おかしな人」がこれだけいるものだと、半ば呆れ、感心することがしょっちゅうだ。支離滅裂というか、魑魅魍魎が跋扈している状態。とにかく言っていることがメチャクチャな人が溢れかえっている。

最近では、自分がどれだけ世のため人のためにがんばっているかということを、切々と訴える「自己陶酔型」の人が多いなーと。要は、「よくがんばってるねー。偉いねー」と、周りに認めて欲しいのねと。

「わがままに生きることはいけないことだと、私は自分を殺して周りに合わせて生きてきました。自分を犠牲にして今までがんばってきました。『優しい人になりたい』とがんばってきましたが、その結果、心も体もボロボロで、薬が手放せない状態になりました。だから私は、これからはわがままに生きます!」と、なんだかよくわからない「宣言」を自分のブログでしている人を見た時は、正直ポカーンとした。

セミナーを全国規模で開催したり、著書を出版している方なのだが、「私は被害者だぁ!」的な発言がとにかく多い。以前も、長年に渡って続けてきた講座をしばらく閉鎖することにしたという告知の際、「皆さんの幸せのために、プライベートな時間を削ってこれまでがんばってきましたが、家族と過ごす時間が取れず、家族間に深刻な問題が生じたため、しばらくお休みをさせていただきます」という言い方をしていた。

私はものすごーく冷淡な人間なので、この際はっきり言わせてもらうが、「どんだけ押しつけがましいんだ」と。いちいち「皆さんの幸せのため」とか恩着せがましく言わなくても、ただ「都合により当分の間休講します」でいいではないか。大体家庭がどうこうとか、仕事上に自分の「舞台裏」を引き合いに出してくること自体、「プロ」じゃない。

「皆さんのため」「自分を犠牲にして」大体そんなこと誰も頼んでねーし。「心や体がボロボロに」そんなこと訴えられても、一体どうしろと。ていうか、それって単に自分の健康管理が悪いんじゃないかと思うのだが。「だったらそれなりにスケジュール調整するなり、療養するなりしろよ!」と思うのは私だけだろうか。体調の悪さまでこちらの責任にされたらたまったものではない。

スピリチュアル業界や自己啓発系業界で仕事をしている人、特に代表や主催者の立場にいる人のほぼ100%は、自ら望んでこの業界に入ってきたと言える。いわば「自分がやりたくて始めた仕事」なのだ。同様に「自分がやりたくて始めた仕事」をしている私から言わせてもらえれば、「それっておかしくね?」と。自分がやりたくてやっている仕事なのに、「犠牲」という発想が出てくること自体既におかしい。

結局、この人のモチベーションはそこなのねと。「人から必要とされる存在になりたい」「人のためにがんばっている自分を認めてほしい」まあ何というか、要は「愛してほしい」と。「みんなから愛されること」を望む心がすべてのベースになっているから、こういう言葉が出てくる。


スピリチュアルや自己啓発系の仕事に関わらず、まあセラピストの仕事もそうなのだが、「人のために」「誰かの役に立ちたい」「人を助けてあげたい、救ってあげたい」という部分に軸を置いている人ほど長続きしない。あっという間に「(心身共に)疲れた」と言って辞めていく。人相手の仕事というものは、すべて自分の理想通り進むとは限らない。いろいろなタイプの人と会うことになるので、時には強いストレスを感じることもある。多くの人はそういったことに絶望して辞めていく。

だが、率直に言わせてもらえば、そんなことは当たり前のことであって、「それが嫌ならさっさと辞めれば?」と。全部承知でこの世界に飛び込んだのだから、今さら何言ってんだと思うのだ。「自分は人のために自らを犠牲にしている」等という「被害妄想」が出てくる状態なら、早々に身を引いたほうが、自分や周りのためになる。あくまでも自分が望んで始めた「自営業」であって「強制労働」ではないのだから、嫌なら看板を下ろして別の仕事をすればいいのだ。

「皆さんのために」「自分を犠牲にして」「がまんして」こういう言葉を多用するということは、多分この人は、過去に「愛してもらうには何かしなければいけない」という状況を多く経験してきたんだろうなーと。何かの「見返り」や「引き換え」に、愛や好意を得る。「ボクがこれだけしてあげたんだから愛してくれるよね?」という、ある種の「取引」というか。「犠牲者」になることで、周りの「同情」や「関心」を集めてきた人ではないかと思う。

恩を売ることで相手に罪悪感を与え、その「引け目」から、半ば強引に自分を愛さずにはいられない状況に相手を追い込んでいくというやり方。そこまでして愛されたい理由を聞いてみたいものだ。

まあ自分が愛に飢えていることを認めたくないから、「自分を犠牲にして」必死に他人のレスキューに回ろうとするのだろうけど。自分同様「飢えた人達」を何とかしようとするほうが、よっぽど気が楽なのだと思う。その人達を媒介にして、「本当の自分」と向き合っている「つもり」になれるのだから。

結局、自分の傷や浅ましさに正面から向き合う勇気がないだけなのだ。「犠牲云々」など、いろいろともっともらしいことを言ってはいるが、それは完全な詭弁であり、ただの「逃避」。他人を言い訳や餌にする前に、まずは自分自身をなんとかしたほうがいいんじゃない?と。

スピ業界の人や、スピ系信者は、何かにつけて「愛」を口にする。しかし、その実もっともそれを必要としているのは、それに飢えているのは、他ならぬその人達自身だ。飢餓感で苦しんでいるその状態で、他の人にそれを与えられるわけがない。「人のため。皆のため」と大義名分を掲げてはいるが、結局それは、「私に愛をください」と、声高に乞うているのと同じことなのだ。



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