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気配リノススメ

 2008-10-08
つい先日、某テレビ番組で「江戸しぐさ」について取り上げていた。

【江戸しぐさ】
日本における江戸期の商人の生活哲学・商人道。
しぐさは仕草ではなく思草と表記する。もともと商人(あきんど)しぐさ、繁盛しぐさといわれ多岐にわたる項目が口伝により受け継がれたという。

【主な江戸しぐさ】
往来しぐさ・傘かしげ(雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違う)

こぶし腰浮かせ(乗合船で後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作る)

肩引き(道を歩いて、人とすれ違う時、左肩を路肩に寄せて歩くこと)

三脱の教え・肩書きで人を見ることなかれ

時泥棒・断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪にあたる。

うかつあやまり:たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。

(ウィキペディアより)

なんでも、小中学校の道徳の時間でも取り上げられる動きが現在広がっているとか・・・
学校の授業でわざわざ取り上げられるなんて、今の日本は「当たり前のこと」が当たり前にできない風潮なんだということをつくづく思った。

確かに街中至る所で、そういった光景に出くわすことが増えた気がする。

地下鉄の中で、お互いの足を踏んだ踏まないで口論している人達
狭い通りですれ違う時、こちらが道を譲っても知らん顔で通り過ぎていく人
道端に平気でタバコの吸殻や紙くずを捨てていく人・・・

年齢や性別等は一切関係ないと思う。
年配の人でもそういうことを平気でする人もいるし、10代でも、きちんとしている人は多い。

結局のところ、鈍感というか、「無神経」なのだと思う。
そして「自分以外の人間、自分のいる環境以外はどうでもいい」という「無関心さ」の表れでもあると。

その割合、「自分以外のことに無神経で無関心な人」が増加した結果が、今の世の中の状況だと。
・・・ある意味当然の結果なのかもしれない。

私達の世代、いわゆる「アラフォー」世代は、祖父母との同居の経験がある人が比較的多い世代だと思う。友達の誰かの家に遊びに行っても、おじいちゃんやおばあちゃんがいる家が多かった。

私自身、母方の祖母との同居の経験がある。
母が仕事を持っていたこともあって、普段の家事は祖母が取り仕切っていた。

祖母は大正生まれ。
特に厳しく躾けられたという覚えはないが、日常生活の中で、自然といろいろなことを教わっていたのかもしれない。

今でも時々思い出すのは、「立つより返事」という言葉。
呼ばれた時は、まず何よりも真っ先に返事をしなさい―ということ。

これは今でも思わぬところで出たりする。
銀行等で名前を呼ばれたりすると、思わず「はい!」と大きな声で返事をして、周りにいる人をびっくりさせたりとか・・・注意して見ていると、返事をする人がほとんどいないことに、私のほうが驚いた。

その他にも、「江戸しぐさ」と相当することは、「ごく当たり前のこと」として日常にあった。
「(人から)教えられた」というよりも、「(自分で)自然に覚えていった」という感覚だと思う。
「こういう時はこうするんだな」というように。

例えばドアを閉める時は、後ろに人がいないか必ず確かめる。いた場合、その人のためにドアを押さえておく。エレベーターに自分が最初に乗った時は、後の人のために「開」のボタンを押して、目的の階を聞いてあげる等々。

でも最近、そういった他人の厚意、気配りに対して、何の反応も示さない人がいる。
お礼を言ってほしいというのではなく、会釈のひとつもなく無言で平然としている人を見ると、「なんだかなー」と思う時がある。

セラピストの仕事をしていると、必然的に人を観察する癖がつく。
多分普通に企業で仕事をしている人に比べて、人と会うことが多いせいだと思うが、そういった観察眼のようなものは年々鋭くなっていくような気がする。

ちょっとした一瞬のその人の仕草、目の動きや表情、言葉、口調・・・そういった本人さえ意識していない些細なところに、その人の全人格、「核」のようなものが表れたりする。

本当に僅かな、些細なものなのだが、それを目にした時に感じたことは、結局本質を突いている。

つまり、そういった小さなことにもその人の本質が表れるということ。

街中で見知らぬ人のそういった気配りを無視する人は、多分家族や友人・知人等にも同じことをしている可能性が高い。

「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので、そういった人の周りには似たようなタイプの人が集まっているから不思議である。

いくら上品に振舞って、高価な物を身につけていたとしても、日常の気配りを疎かにしている人は所詮その程度。外見だけ立派で、中身はスカスカの「張りぼて」に過ぎない。

「気配り」とは、そんな大袈裟なものでなくていい。
自分がされたら嬉しいと思えることを、他の人にするだけ。

例えば、少し遅れて入っていった自分の靴音を聞いて、先に乗っていた人がエレベーターを待たせてくれていたら・・・

キャベツ1個だけを持ってスーパーのレジで順番待ちをしていた時、前の人が「私のほうが(買った物が)多いから、お先にどうぞ」と順番を譲ってくれたら・・・

小さなことかもしれないけど、とてもその厚意を嬉しく感じないだろうか?

ほんの数秒のやり取りで、その場が、心が和んだりする。
一人ひとりのそういった心の有り様が、世の中の無関心な波動を変えていくかもしれない。

だから今こそ、気配リノススメ―。
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