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根性なしの屁理屈

 2010-03-11
今の世の中を見ていると、「死ぬ気で頑張る」とか「全力を尽くす」という言葉は死語のような気がする。全体的に「ぬるい」というか。その「ぬるーい世界」に住んでいる、いろいろな意味で「自分に甘い人」が低次元で共鳴し合って群れを作り、互いに慰め合うという状況。

確かに、世の中には根性や気合だけではどうにもならないことがある。だが、あえて言わせてもらう。「自分に甘い人」を観ていて思うのは、大概が「根性なし」だということだ。常に「言い訳」を探しているというか、「逃げ場」を確保することにエネルギーを使っている。そして、彼らの多くにとってのそれは、「精神世界」なのだ。

いつも不思議に思うのだが、「自分に甘い人」というのは、大抵は「精神世界、スピリチュアル」にどっぷり嵌っている。男女年齢関わらず、占いやパワースポット巡り、天使や女神のナントカヒーリングやアチューンメント、チャネリングやリーディング―その手のことが大好物ときている。

ワークショップに参加したり、関連書籍を読み漁っていることが多いので、当然「スピ系用語」にも精通している。「受け入れる」とか「あるがままに」とか「今起こっていることはすべて正しい」とか。そういった言葉を何かにつけて持ち出す人も多い。だが、彼らがそれを持ち出す時は、必ず「言い訳として」なのだ。

伝家の宝刀、非常用脱出パラシュート―なんというか、自分の不甲斐なさや根性のなさを綺麗にまとめる為の便利なツールのようなもの。それを出せば許されて、すべてをチャラに出来ると思っている。こちらから言わせてもらえば、傍で冷静に状況を観ている者からすれば、「また逃げるんですか?」と。それはただの「逃げ口上」でしかないのだ。


「受け入れる」ということはどういうことか―彼らはそれをまったく理解してない。というより、本当の意味に気づく次元に最初からいないのだ。年端の行かない子供が、意味も分からず大人達の使う言葉を真似しているだけのようなもの。だからあれだけ簡単に、「受け入れる」などと口に出来るのだ。

「今自分が置かれている状況を受け入れる」その言葉を言えるのは、その前に、全身全霊をかけて、「もうこれ以上やれることはありません。すべてやり尽くしました」というヘトヘトの、息も絶え絶えになった状態までがんばって、それでもうまくいかなかった―という時だけだ。

スポーツ経験者なら分かると思う。体力の限界まで練習した時、ある時点から汗が出なくなることがある。体中の水分がすべて抜け切った状態。毛穴からは汗ではなく、塩が噴き出す。なぜ今自分が動いていられるのか、どこにそんな力が残っているのか、自分でも不思議に思うくらいの極限状態―そこまで行き着いて、初めて「受け入れる」という言葉を口にする資格を得るのだ。

容易くそれを口にする人というのは、大概は「スタートライン」にさえ立っていない。ちょっとそれを齧っただけですぐに放り出す。瞑想や女神や天使にサポートしてもらうワークには熱心に取り組むくせに、「現実面」での努力はしようとしない。「本気で」取り組もうとしないのだ。本当に「上っ面」だけで終わる人が多い。

例えば、「自分に甘い人」が脱サラしてラーメン屋を開いたとする。開店当初はそこそこお客も入っていた。だが、最近では閑古鳥が鳴いている状態が続いている。だが、その人は何もしようとしない。「お客が入らないのはなぜか?」その原因を探ろうとさえしないのだ。味やメニューの見直し、店の雰囲気等、それらを見直そうともしない。

するとその人は「店が繁盛するようにしてください」と天使や女神にお願いしたり、店がお客でいっぱいになっているイメージトレーニングを始めたりする。瞑想してハイヤーセルフと繋がって、何か役に立つアドバイスをもらおうとしたり。だが、結局廃業を余儀なくされることになった場合、その人はこう言うのだ。「やっぱり商売って難しいよね。でも『今起こっていることはすべて正しい』ってことだから受け入れるよ」

決して大袈裟ではなく、「自分に甘い人」というのは、大抵がこんな感じなのだ。そして「受け入れた」後は、「ここは自分の居場所じゃない」とか「これは自分の天職じゃなかった」とか、いろいろともっともらしい言い訳をしながら、また「自分探しの旅(自称)」に出ていく。

正直他人様のことはどうでもいいのだが、「本気で、死ぬ気でそれをやったかい?」と。「受け入れる」とか「起こっていることはすべて正しい」とか、そんな言葉を拠りどころにしたり、自分を正当化する言い訳に使ったりする前に、「果たして『やるべきこと』をちゃんとやったのか?」と。

「自分に優しくする」「ありのままの自分を愛する」ということも、「最大限の努力をした上での話」だ。「自分に甘い人」達は、「ほらぁー、だから『努力しない私』も受け入れて愛してあげなきゃ」と、これまた自分に都合よく解釈する。だからいつまで経ってもダメダメ状態が続く。延々と負のループが繰り返される。

結局、「自分に甘い人」というのは、「自分の人生を引き受ける覚悟が出来ない人」なのだ。そのくせ妙なプライドがあるので、ダメな自分を正当化できる術を探すのだ。自分の中にある「甘え」を頑なに認めようとしない。そんな彼らにとって、巷に溢れるエセスピリチュアリズムは絶好のエクスキューズになるのだ。

まあ「根性なし」というものは、常に自己保身のための言い訳、「屁理屈」を捏ねるものだ。そんなヒマがあるんだったら「さっさとやることやれよ!」と。自分の怠慢や根性のなさを棚に上げて、なーんにもしていないくせに「受け入れる」とか。「寝言は寝て言え」というものだ。

そういった人達は、よくこう言う。「明日からがんばります!」どうして「今日から」じゃないんでしょうかね?「明日から本気出す」という人は、結局いつまで経っても「本気」になることはない。そもそも、「本気」なんて彼らの中には最初から存在しないのだ。

そうでしょ?いつも「言い訳」に終始するご自分にはとことん甘い皆さん?





カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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