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無知の無知

 2010-03-04
ブログランキング等で見かけるスピリチュアリスト達のブログを読んでいると、時々ものすごく幼稚というか、狭量な意見を持つ人がいて驚くことがある。それがまた著書を何冊も出版していたり、講演会やセミナー等で全国を飛び回っていたり等と、結構派手に世間に露出している人だから尚更だ。

「すべては自分次第!」という決め台詞を持つ「開運アドバイザー」を名乗るこの先生、すべての記事を読んだ上で、失礼を承知で言わせていただくが、はっきり言って「浅い」。年齢は公表されていないが、すべてが上っ面というか、「人」や「心」というものを本当に理解していたら出てこない言葉が満載されている。

「子供を愛せない親なんていない」「子供の頃、親が自分を愛してくれなかったと思うのは、自分だけの思い込み。それは自分が勝手にそう感じていただけ」「どんな親でも存在していること、育ててくれたことに感謝するべき」

幸せな人だ。まあご自身でもおっしゃっているが、愛情深い親御さんに育てられたようなので。ここまで断言できるのは、本人が「絶対にそうだ!」と信じ込んでいるからだ。疑いの余地がないくらい家族に愛されてきたということなのだろう。べつに、この方が幸せな家族関係を築いてこられたことに対してどうこう言っているわけではない。ただ、本当に「想像力」がないな―と。

「物の見方」は、少なくとも3通りあると言われている。Yours, Mine, and the Truth―相手の観点、自分の観点、そして事実。自分の観点と相手の観点というのは、往々にして、それぞれの経験や感情といったものから形成、左右される。自分と相手の「真実(事実)」が、時にまったく違ったものになるのはそのためだ。

だが、「the Truth(事実)」というものは、そういった個人の観点などまったく関係のない、影響を受けない所に存在する。「ただそこにある」「見たまま」というように、「実際にあったこと」ただその事柄が存在するだけだ。

この開運先生の場合、「Mine(自分の観点)」しかない。本来個人の視点がまったく及ばない位置に存在する「the Truth(事実)」までも一緒くたになっている。どんなに自分の視点に自信を持っていたとしても、「事実」だけはまったく「別物」なのだ。「相手の視点」が消えたとしても、「事実」だけは絶対に消えることなく存在する。それをすべて混在させるということは、自分の思い込みの押し付けでしかない。

「欲しくてできた子供じゃない」「別れた夫に似ているから憎らしい」「目つきが気に入らない」そういった「理由」とも呼べないような「言いがかり」で子供を虐待する親が世の中には存在する。それは「自分の視点」も「相手の視点」も一切関係ない「事実」だ。それをこのセンセーは、どう説明するのかと。

毎日理不尽な理由で親から暴力を振るわれ、食事さえ満足に与えてもらえない状況にある子に向かって、「でもお父さんやお母さんは本当はあなたを愛しているんだよ」「愛されていないと思うのはあなたの勝手な思い込みだよ」絶対の自信を持ってそう言えるのかと。

折りしも、昨日奈良県で5歳の男の子が、実の両親の虐待によって死亡した。虐待の理由は「愛情が湧かなかった」。この先生が断言するように、「子供を愛せない親はいない」というのなら、なぜこういった事件が後を絶たないのか。世の中には「子供を愛する親」もいる。だがその反面、「子供を愛さない親」も確実に存在するのだ。

「知らない=無知」ということは「悪」ではない。だが、時としてそれは「狭量=受け入れる心の狭さ」を生む。スピリチュアル―「人のスピリット(魂)」と関わる仕事に従事していると自任するのであれば、「Mine(自分の視点)」に拘ること、それに何の疑問も抱いてない自分に気づかないことが、どれだけ危険なことか知っているはずだ。

自分以外の人の経験や感情を、まったく同じようになぞることは不可能だ。しかし、少なくとも「想像」はできるはず。それすら思いつかない、自分がそれをしようとさえしないことに気づかないのは、その人が怠慢か、もしくは「本当にオメデタイ人」かのどちらかだ。それともものすごい「鈍感」か―。

自分の無知を自覚する「無知の知」は、やがては「真の知」に到達するが、自分が無知だということを認識さえしない「無知の無知」は、自分の狭い世界の同じ所をぐるぐると歩き回るだけで、結局どこにも辿り着かない。自分の視界さえ開けていないのに、他人様の人生の開運のお手伝いとか・・・「そんなんで本当に大丈夫か?」と思うのは、私だけだろうか。

いつもの決め台詞「すべてはあなた次第」の通りなら、「親に愛されていない」というその思いを、「あなたは愛されています!子供を愛せない親などいません!」等と言って否定する必要はないかと。だって「自分次第」なんでしょ?だったらどう思っていようがいいじゃないですか。無理矢理思い込むことを強要するのは「洗脳」です。

「トラウマを浄化すると運命が上昇する。それには両親に感謝すること」とか。なーんだ結局本来のお仕事、「開運」目的ですか。「トラウマ」っていうのは、「浄化する=きれいにする、無くす」っていうものじゃないんですよ。「向き合って乗り越えていくもの」です。当然時間もかかります。手品みたいに一瞬で、何事も無かったようにその痕跡を消すっていうことはできません。だってそれは「事実」ですから。それは永遠に存在し続けるものなんです。

ただ「見て見ぬ振り」はできますけどね。自分の感情を無理矢理ねじ伏せて、本当はしたくないのに親に感謝するとかしてね。その場凌ぎの誤魔化す方法はいくらでもあります。一時期はそれでいいかもしれませんけど、でもやっぱりダメなんですよね。根本は何も解決されていないんで。いずれまたその痕跡が現れて無視できない時がやって来ます。

「開運アドバイス」と称した「誤魔化す方法」を伝授するのって、どうかと思うんですけど。でもまずは「自分の視点以外の視点」があるということを認識していただきたいと思いますね。あと「事実」の存在もお忘れなく。「物事には少なくとも3通りの見方がある」これを忘れたら、人の内面と関わる仕事は出来ません。

「無知の無知」とは本当に厄介なものだ。

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【追記】
「井戸の中の蛙大海を知らず」という諺があるが、これには続きがある。「井戸の中の蛙大海を知らず。されど空の高さを知る」スピリチュアルの世界の「無知の無知」は、「空の高さ」さえ知らないことが多い。過信しないことです。




カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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