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本当のプラス思考

 2009-12-15
カウンセリングをしていつも思うことだが、多くの人が「ポジティブになる」ということを誤解している。物事を肯定的に捉える思考法、いわゆる「プラス思考」「ポジティブシンキング」がもてはやされるようになったのは、大体20年くらい前からだろうか。欧米からそういった類の「自己啓発系ビジネス」が輸入され始めた時期と重なっている。

「ポジティブになろう!」「プラス思考で人生を切り開く!」など、書店にはその種の関連本がズラリと並び、ちょっとした女性誌等でも特集記事として取り上げられている。まさに猫も杓子も・・・という状態。

先日ひさしぶりに大型書店に立ち寄ったのだが、自己啓発関連のコーナーが明らかに拡大されている。そしてそれらの本を手に取って真剣な表情で見入っている人の数が、以前より圧倒的に増えている。

10年位前は、そういったコーナーにいるのは、見るからに「ちょっと変わってそうな」感じの人が多かった気がする。だが今は、いろいろな意味で「普通の人」が「普通に」本を手に取っている。スーツを着た年配のサラリーマン風の男性とか、巻き髪にネイルアートの20代前半くらいの女の子とか。一般企業でも、社員教育の一環としてそういったセミナーを開催するところも多い。その手の分野が、良くも悪くも「市民権を得た」ということなのだと思う。

だが、誰もが手軽に―という風潮になった今、それによる「弊害」も増えている。「プラス思考」が悪いということではない。だが、よくそれを理解しないまま、そのまま自分の中に取り入れた挙げ句、余計に混乱したり悩む人が、最近目に見えて多くなっているのだ。

うちのサロンにセラピーやカウンセリングを受けに来られる方達の多くは、「真面目な人」だ。頭もいいし、知的レベルも高く、世間で言うところの「きちんとした人」。自分を磨くことにも熱心だし、向上心も強い。自己啓発セミナーの受講や関連書籍を読むことを一通り経験した人も多い。

だが、その人達の多くが口を揃えて言うのだ。「セミナーで言われたことや本に書かれていることは、全部やってみました。共感したし、良いことだと思うんですが、全然ポジティブになれないんです。落ち込むこともよくあるし」

中には「これだけ努力してもプラス思考ができない、ポジティブになれない自分はダメな人間なんでしょうか?それともまだ自分の努力が足らないんでしょうか?」と、自分を責める人もいる。

その度に私は言う。「あ、できなくても気にしないでください。セミナーとか本で言われている方法や考え方は根本からずれてるんで。むしろできなくて当たり前なんですよ」


セミナーを受講したり開催したり、それに関する本を出版したり、今まで様々な形で自己啓発に関わる人達を見てきた。だが、受講者であろうが、提唱者であろうが、実は一番多くの人がぶち当たる壁は、この「プラス思考」の部分なのだ。「受講者はともかく、開催者・提唱者側である人達まで!?」多くの人が仰天する。

自分の著書で「いつも前向きに明るくポジティブに生きましょう」と言っている人でさえ、自分の掲げている理想と現実とのギャップに悩んでいたりする。ぶっちゃけ言ってしまえば、発信側の人間ほど「セミナーや本で言っていることと違うじゃないですかー」というケースが多いのだ。「あれは嘘ですか?」というレベルの人などわんさといる。

その人達を擁護するわけではないが、それも仕方のないことなのだ。「つねにプラス思考で!ポジティブで!」なんて、最初から不可能なことなのだから。「いつも120%の元気で!」なんてことができるのは、クスリをやっている人くらいだ。

人間なのだから、感情の揺れがあって当たり前。時にはズドーンと気分が落ち込んだりすることもある。悩みや心配事があれば尚更だ。そんな時に、明るく元気でいられないほうが「普通」なのだ。


多くの人が勘違いしている。「ポジティブになること=性格を変えること」ではないのだ。時々カウンセリングの最中にも、「性格を変えてポジティブになりたい」「プラス思考ができる性格になりたい」と言う人がいる。だが、「性格を変える」ということは不可能だ。性格を変えるのであれば、その人個人の性格の基礎になっている遺伝的・生物学的な要素、いわば「細胞」レベルから変えなくてはならないということになる。

その「細胞」」、「生まれつき」の要素が、いわゆる「気質」と呼ばれるものだ。混同している人も多いが、「気質」と「性格」はまったく違う。「気質」は、いわば「先天的なもの」であり、「性格」は環境や条件等で段階的に作られていく「後天的なもの」。

「だったら変えられるのでは?」と思う人もいるかもしれない。しかしそれはやはり難しい。個人差もあるとは思うが、やはり「性格」のベースになっているもの、その大半を占めているものは「気質」だからだ。「生まれながらにもっているもの」の影響力というものは、やはりそれくらい強く大きいものなのだ。

「プラス思考」を謳う巷の自己啓発は、「気質」と「性格」の違いというものをまったく理解していない。本当にその部分を理解していたら、「これで明日からあなたもプラス思考人間に!」などという謳い文句は出てこないはずなのだ。「いろいろ試してみたんですけど何も変わらないんです・・・」などと悩む人が多いのは、それが根本的に間違っているから。というよりも、完全に「ずれている」からだ。

大体様々な気質や性格の人が星の数ほどいるのに、一つの方法や思考を押し付けて、そこに全員を当てはめるということ自体おかしい。最初から無理があるのだ。


「ポジティブになる」ということは、気質や性格等その人自身に本来備わっているもの、感情や思考を含む現在の状態を打ち消して、まったく新しいものを持ってきてそこに据えるということではないのだ。いわば自分の「すべて」を否定して、全く別の新しいもの、「ポジティブな自分」になろうとすること自体おかしい。

それでは、物事を何でも悲観的に捉える傾向が強い気質の人は、「プラス思考」にはなれないのだろうか?いや、なれる。気質や性格を変えなくても、「考え方」を変えればいいだけの話なのだ。プラス思考もマイナス思考も、性格や気質の問題ではない。「考え方」「物事の捉え方」、いわば「くせ」から来ているものなのだ。

多くの人が「自分の性格がこうだからポジティブになれないのでは?」と悩んでいるのは、ほぼ100%、この「考え方のくせ」から来ている。

例えば、最近職場でミスを連発したとする。上司からも怒られた。自分のミスのせいで、周りにもその後処理や残業をさせてしまったという場合、「自分が情けない。またミスをしてしまった。みんなにも悪いことした」というところまでは、誰もが思うこと。その後失敗点を見直し、反省して「今度は絶対に気をつけよう」と一生懸命仕事に打ち込めばいい。これがいわば「プラス思考」だ。

だが、マイナス思考の人達はこう考える。「きっとみんな怒ってるんだろうな。誰も何も言わないし態度も普通だけど、内心ではすごく怒ってるんだろうな。『仕事ができない人』って思われたらどうしよう。課長も『使えない奴。やめちまえ』って思ってるのかな。また同じことをしたらどうしよう」

そんな考えがどんどん膨らんでくる。仕舞いには「今度のことでリストラ対象者に入ったらどうしよう。生活できなくなっちゃう。ホームレスになったらどうしよう」など、ほとんど「妄想」の域にまで達してしまう。

ネガティブ思考というものは、その大半が「妄想」で出来ていると言ってもいい。相手の感情や先々のこととか、「見えない部分」「まだ起こってもいない部分」まで、「絶対こうに違いない」と勝手に想像してマイナスの方向に向かっていく。早い話が、その「妄想」をやめればいいのだけのことなのだ。

今まで自分がリストラされてホームレスになるところまで思い描いていたのをやめる。一通り反省して「よし!もうミスは絶対にしない!がんばろう!」というところで止めればいいのだ。迷惑を掛けた人達に「すみませんでした」ときちんと頭を下げたら、後はどう思われてるかということは考えないでいい。

簡単に言えば、「プラス思考とはネガティブなことを止める」ということだ。考えや行動、そういったものを思い描いていたり、やっていると気づいた時点で「あ、また余計なことしてる」とスッパリそれを打ち切ることなのだ。後はそれを繰り返していけばいいだけだ。新たな「くせ」を自分につけていけばいいだけ。

最初のうちは、知らないうちに以前のパターンを繰り返していることがあるかもしれない。新たなやり方を試し始めたうちは、誰でもそうだ。最初から上手くやれる人はいない。でも、気づいた時点で止める―ということを何度も繰り返していけば、やがてそれが身について「自分のやり方」になってくる。

和気あいあいと上司や同僚と仕事をしている自分や、すべてが順調にいっている場面をイメージしたりすることがプラス思考ではないのだ。気持ちを押さえ込んで、無理にそれを「良いもの」と思い込む必要もない。ただテレビのスイッチを切るように「ネガティブな妄想」をそこで打ち切ればいいだけだ。

いろいろと考えを思い巡らせてしまうのは、人の常。最初から物事を良い方向に考えることができる人など、よほどの楽観主義者以外そうそういない。例えネガティブなことを考えたとしても、どの段階でその考えを打ち切るか―要はそのスピードにかかっているのだ。「プラス思考=ネガティブな考えを打ち切る速さ」と言ってもいい。

「プラス思考」「ポジティブになる」ということは、そんな大袈裟なものではない。例えば、今日さんざんどん底まで落ち込んでいたとしても、落ち込みながらも「まあ明日元気になってたらいいや」そう思えたら十分なのだ。



【追記】
何よりも、それが必ずしも良いことなのか?ということ。猫も杓子も「プラス思考」と騒いでいるが、あくまでもそれは「ひとつの考え方」でしかない。自分には適さないものを無理矢理身につける必要もない。周りの声に振り回されず、「自分に合ったやり方、スタイル」で歩いていけばいいと思う。「大多数が正しい」わけではないのだ。





カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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