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「こけたら立ちなはれ」

 2008-09-29
「雨が降ったら傘をさす、こけたら立ちなはれ」

これは、松下電器産業創業者 故 松下幸之助氏の言葉。

「生きる」ということは、結局こういうことを繰り返していくことだと思う。

多くの人は平穏で幸せな人生を望むけど、やはりそうはいかないのが世の中の常。
生きていれば本当にいろいろなことが起こる。

自分の意思や願いに反して、躓いてこける(転ぶ)時もある。
ひょっとしたら痛い思いもするかもしれない。

でも、こけたらまた起き上がって、そこから歩き出したらいいだけ。

雨が降ってきたら、人は当然のように傘を広げる、お腹が空けば何かを食べる―それは自然で当たり前のこと。今現在起こっている状況をありのままに観て、「じゃあこうしよう」と、ただしかるべき対応を取ればいいということ。


多くの人は「人生においてこけること=失敗すること」を恐れる。
仕事・学業・家庭生活・・・人によって恐れる「失敗」は違う。

でも、「まだ起こってもいない失敗」「過去に起こった失敗」を恐れ、そこに囚われている人が、今どれだけ多いことか―またそれは、人生を前に進んでいくための歩みを鈍らせてしまう。

人は未来を心配し過ぎるか、過去に囚われ過ぎるかのどちらかだと思う。
でも共通しているのは、意識が「現在=今ここ」にないということ。

「今」というものがすっぽりと抜け落ちている。
それは「今」を生きていないということ。

未来は「今」を積み重ねていくもの、過去は「今」を積み重ねてきたものだ。

つまり、すべての原点は、「今現在」にあると言う意味。
すべてが集約されている「今」を生きていない、今を疎かにしているということは、未来はその結果が反映された質のものになるだろうし、そして多分、過去もそういうものだったと思う。

「こけるのを怖がる人」を見ていると、大体においてその経験から何も学んでいないように思える。

いや、「こけたことと向き合ってこなかった」と言ったほうがいいかもしれない。

ある人は「なかったことにしよう」と目を反らし、ある人は「何で私だけがあんな目に遭ったのよ!」と怒り続け、またある人は「もうあの痛さを経験するのは絶対にイヤ」と、その時の恐怖を抱き続ける。いろいろな意味で、そのことと、その時の感情に、今なお囚われたままだ。

同じ場所に止まったままで、そこから歩き出そうとしない。
なぜなら「また同じ目に遭ったらどうしよう」と思っているから。

でもまたこけたとしても、前と同じ痛さとは限らない。
案外軽く「イタ・・・」で済むかもしれないし、ひょっとしたら今回はまったくこけないという可能性もある。

どうなるかは分からない。
でも、それもすべては歩き始めてからの話、行動を開始した上で、初めてあり得る話だ。


発明王エジソンは、白熱電球を完成させるまでに繰り返した数千回に及ぶ失敗について、こう言っている。
「自分は最初の数千回の試作品を失敗と思ったことは一度もない。失敗などというものは存在しない。あるのはフィードバックだけだ」

「数千回こけ続けた男 エジソン」は、その度に立ち上がり続けてきたということ。


自分がそれを「失敗」と思えば、失敗になるし、「成功に繋がるためのプロセスだった」と思えば、それはそういうものとなる。

あなたが羨んでいる彼女の幸せ、それは数十回目に彼女が掴んだものかもしれないし、あなたが悔しがって妬んでいる彼の成功、それは彼が数百回目にやっと手にしたものかもしれない。

過去に囚われ過ぎず、未来を心配し過ぎず、今をきちんと歩いていけばいい。

そして、もしこけても「また立ちなはれ」



カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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