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あの手この手のスピリチュアル

 2009-10-25
例によって例のごとく、また見知らぬスピ系の団体から小冊子の類が送られてきた。いつもならパラパラ捲って「いらね( ̄ω ̄)ノ」とすぐにゴミ箱行きなのだが、ちょうどヒマだったので、じっくり目を通してみた。・・・何というか、「相変わらず日本は平和だな~」と。

「このセッションはこんな人におすすめで、こんなことが学べまーす♪」と、それぞれのセッション毎に但し書きのようなものが書かれている。

「リラックスするのが苦手な人、遊び方が分からない人、義務感で働いている人、仕事を辞めたいけれど、やりたいことが見つからない人に最適でーす。遊びながら好きなことを見つける方法とか遊びが仕事になる方法とか、ストレスをリラックスに変える方法を教えまーす」

クダラネーーーー!!ショーモネーーー!!アホクセーーー!!( ゜Д゜)( ゜Д゜)( ゜Д゜)

主催者側には大変申し訳ないのだが、こういった内容のセミナーやセッションの企画を日夜懸命に考えている時点で、もう「あんたらヒマやな・・・( ̄ω ̄)」と思う。そして「こんな人に最適で~す」という部分を見て、「まさに私のことじゃないの!」と飛びつく人も、間違いなく「時間とヒマを持て余している人」だと思う。


リラックスするのが苦手?「リラックスできない」って、どんな時なんですか?その場面に緊張する要素があるなら、リラックスできない方が「普通」ですよ。でも24時間緊張しっぱなしってことはないでしょ?自然とリラックスしてる時もあるでしょ?それでいいんですよ。逆に「常に緩みっぱなし」っていうのもあり得ないんで。そんなに考え過ぎなくてもいいんじゃないですか?

遊び方が分からない?それじゃそれが分かるまで、他の人の遊び方でも見て、真似してみたらどうです?「形から入る」って言葉もあるし。「面白そう」って思ったら、とりあえずやってみたらいいんじゃないですか?でも遊びって、そんなに考え抜いてやるもんなんですか?それって、何となく始まって、いつの間にか楽しんじゃってた・・・っていうような感じだと思うんですけどね。

義務感で働いている?はい、当然です。労働は国民の「義務」です。憲法にもそう書いてあるでしょ?「義務」っていうのは、自分の立場に応じてしなければならないことですよ。人が義務感を失ったら、職場放棄続出とか職業意識や倫理観が低下して社会がめちゃくちゃになりますよ。大体どうして義務感を持って働くことがいけないんですか?大事なことじゃないですか。仕事っていうのは、好き嫌いとか、向いている向いていないだけでするもんじゃないですよ。

仕事を辞めたいけどやりたいことが見つからない?あのですね、それこそが「本末転倒」っていうやつじゃないんですか?「やりたいこと」を仕事を辞めるための「口実」にするんですか?それじゃ「やりたいこと」が見つかる度に仕事辞めるんですか?あなたの言ってることはそういうことですよ?

要は「今の仕事を辞めたい」ってだけのことでしょ?辞めたいなら辞めればいいじゃないですか。転職するなり何なりすれば?「やりたいこと」がなければ仕事辞めちゃいけないんですか?まあ仕事を続けていても「やりたいこと」は見つけられますけどね。

遊びながら「好きなこと」を見つける方法?「好きなこと」って遊びながらじゃないと見つけられないもんなんですか?

遊びを仕事にする方法?それって逆に楽しくなくなる部分も出てくるんじゃないですかね?遊びと仕事、どうして一緒にしなきゃいけないんですか?遊びは遊び、仕事は仕事、別々じゃいけないんですか?「いつの間にか仕事が遊びみたいなもんになっちゃったよ~」ってこともあると思いますけど。どうして「遊びが先」「遊びから」じゃないといけないんでしょう?

ストレスをリラックスに変える方法?なんでストレスをそこまで罪悪視しなきゃいけないんですか?人間適度なストレスは必要ですよ。場合によってはそれがやる気を生んだりしますからね。科学でも証明されてますし。まったくストレスがない状態っていうのも、それはそれで異常なんで。

それに深刻なストレスって、本人は全然気づいてないことが多いんですよ。周りが心配しても、本人は「え?別に何ともないけど」って感じで。大体すぐにリラックスに変換できるようなストレスだったら、最初からそれほど大した程度のものじゃないと思うんですけど。

・・・と、まあこんな感じでツッコミどころ満載なのだ。どこを取っても「なんかおかしくね?」という感じのもので埋め尽くされている。いちいち取るに足らないようなことを大袈裟に取り上げて、それを「問題」にして「それは大変なことですよ!」と騒ぎ立てて、わざわざ大ごとにしている。

「リラックス」とか「楽しむ」とか「遊びながら」を必要以上に強調するのも、それが「できない人=そのやり方が向かない人」を不安にさせているだけというか。

大体常日頃から、「ありのままを受け入れなさい」「あなたはあなたのままでいいのです」と言っている割には、「リラックスできない人」「楽しめない人」「遊び方が分からない人」をどうして問題視するのだろうか?だったら「リラックスできない人」も「楽しめない人」も「遊び方が分からない人」も、”そのままで”いいはずではないかと思うのだが。

スピリチュアルの世界に関わる人というのは、中途半端に「いい人」が多いので、これまた中途半端に「良いこと」を言う。まあ「普通にいい人」なので、その人達が「え?!リラックスできないの?!それは大変!」となると、大半の人は不安になる。「こんないい人達が大変って言ってる。それじゃリラックスできない自分は変なのかな?ダメなのかな?」といった感じで。

そして一生懸命「リラックスしなきゃ」「楽しまなきゃ」と、自分に対して「~でなければならない」という縛りを課していく。「いい人達」と”同じに”なりたいから。なぜなら「いい人達は正しい」に決まっているし、「いい人達が言うことは正しい」から。

いつの間にか「それが正しいこと、それだけが正しい」という思い込みで、意識が支配されていく。それは「洗脳」だ。

取るに足らないような「くっだらねーこと」をいちいち「問題」として取り上げて不安にさせて、愛とか光とか、「楽しむ」とか「遊びながら」とか、リラックスとかハッピーとか、そういった「緩くて甘い」言葉や意識を刷り込んでいく現在のスピリチュアルのやり方は、私にはただ「自分で考えて選択していく力」を奪って、都合良く大人しく言うことを聞く「家畜」を生産するための洗脳にしか思えない。

そして、家畜化された「魂を抜かれた人」がどこに向かうか?それはスピリチュアルの世界。ヒーリングにリーディング、セミナーや開運グッズ―そういったものを受けたり持つことによって、「ダメな自分」を救ってもらおうとする。

しかし敵もさるもの。うまく「優越感」をくすぐってくる。「ううん、そこで気づいたあなたが素晴らしいのよ!自分の内面と向き合おうとするあなたは魂のレベルが高いのね」そう言われると、「ダメな自分」を克服することに果敢にチャレンジしようとしている自分が、なんだかちょっと上等な人間になったような気もしてくる。

だが結局は、彼らにとっての「お客様=収入源」であり、絶好の「カモ」でしかないのだ。不安を煽って洗脳して、依存せずにはいられないような体質や環境を作る。そうやって「魂を抜かれた人」は、自分達の下に集まり、お金を落としていってくれる―。こんなおいしい話があるだろうか。「うまいことできてるなー」と、半ば感心することしきり。


スピリチュアル世界も、有料でそれを行っている以上は「ビジネス」だ。それは悪でも何でもなく、当たり前のこと。ヒーラーや占い師、講師等の能力や時間、場所を提供してもらい、自分もそこから得るものがあるのだから、それに対して報酬を支払うのは当然だ。

その点を肝に銘じておくというか、きちんと理解して割り切ることが必要なのだ。やはり相手も商売、「これはいける!」と思えば、「売れ筋」はどんどん突いてくる。消費者の購買意欲をくすぐるというか。相手の仕掛ける「流行」に、どっぷりはまらないことだ。

あの手この手でスピリチュアルの売り込みはやって来る。どーでもいいようなことを大袈裟に取り上げるということは、ネタが尽きてきたということだ。スピの世界にも「流行」はある。言われていることが自分に該当するからと、いちいち気に病んで、焦ってそういったものに飛びつく必要はない。それはまんまと相手の思惑に嵌るということだから。

「自分はリラックスするのが苦手」「遊び方が分からない」「どうしたら遊びながら好きなことが見つけることができるんだろう?」そんなことを四六時中気にしたり、考えている余裕があるということは、かなりヒマで、且つ幸せなことなのだ。本当に深刻な状況にある人というのは、そういったことを考えるヒマすらない。

リラックスする方法とか、遊び方を教えてもらうとか、そんな「しょーもないこと」に世界的に有名だか何だか知らないが、外国人ヒーラーの60分の個人セッションに、通訳付きで6万8千円も払う人達が大勢いるということからして、やっぱり日本は「ヒマ」なのだ。


「リラックスできない」「遊び方が分からない」「遊びを仕事にする方法」それって本当に大事なことですか?命に関わるくらい重要なことですか?それが出来ないと生きていけませんか?幸せになれませんか?

そんなことを考えて悩んでいるヒマがあったら、家中を綺麗にお掃除したり、電車の中でお年寄りに席を譲ったり、道に落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に捨てたり、今就いている仕事に集中してください。些細なことに囚われたり気に病むのは、偏った意味で「自分のことしか考えてない状態」であり、「地に足がついていない」ということなので。

そして、「どうして自分はリラックスするのが下手なんだろう」「どうしたら遊びを仕事にできるんだろう」そんなことを四六時中考えたりできる環境に自分がいられることに感謝をしてください。これが戦時下の国だったら、そんな悠長なヒマはないです。

日本という国に今いること―それだけでも十分に恵まれて幸せだと思いますけど。1回ウン万円もするセミナーをはしごするよりも、「悩む時間がある自分はそれだけで十分に幸せだ」そこに気づくほうがよっぽどスピリチュアルです。



【追記】
「楽しむ」とか「リラックス」とか「ハッピー」とか、現在のスピリチュアルや自己啓発の世界で「常套句」となっている言葉というのは、日本人にはそぐわない。なぜならそれはすべて「欧米発信」のものだから。

本来の日本人―日本の文化や習慣の中で生まれ育った人達には適応しないというか、無理がある。「真面目に」「誠実に」「秘すれば花」というような土壌、「精神性」の上に成り立っている国には、欧米諸国の「Don't worry, be happy」という思想やスタンスはまさに「正反対」であり、元々相容れないものがあるのだ。

スピリチュアルも自己啓発も、所詮は欧米で生まれ、日本に輸入されたもの。そしてそれをそのまま、日本人のメンタリティーやバックグランドといったものをまったく考慮せず、「直訳」するから歪が発生する。

「リラックスするのが苦手」「楽しめない」それが出来なくても何の問題もない。所詮はすべて欧米発信のものの「猿真似」に過ぎないのだから。それを真に受けて気に病んだりする必要はまったくない。
カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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