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愛は「愛」でしかない

 2009-10-11
テレビを点けたら、スピリチュアルの世界でも有名な大御所歌手のコンサートの告知CMが流れていた。CMの最後に、その方の声が流れる。「この世で最も美しいものは愛なのです」

その時思った。「愛が最も美しい?そんなこと誰が決めたの?」

物事というものは、かならず両極、両面がある。「愛は最も美しいもの」であると言うのなら、「愛は最も醜いものである」とも言えるのだ。


時々過去生回帰のセッションで、特定の人との関係に対して「過去生ではあんなに愛し合っていたのに、どうして今生では自分を振り向いてくれないのか?受け入れてくれないのか?愛してくれないのか?」と言う人がいる。

「遠い昔から、遥かな過去生から続く愛」と、一見ロマンティックで美しいものとして捉える人もいるかもしれない。だが「ソウルメイトが自分を愛してくれない」と悩む姿は執着の極みだ。本人は「相手に対する愛情、思いの深さ」と思いたがるが、実はそれは「相手に対する執着の深さ」に過ぎない。

相手の気持ちや状況そっちのけで、結局自分を満たすことしか頭にない。そんな姿に未練がましさは感じても、美しさは感じない。

強い愛が、それよりも更に強い愛を生み出すとは限らない。強いが故に、その力が対極の方向に働いた時、強い憎しみや執着といったものが生まれることもある。ストーカー行為等は、その最たるものだ。

愛を「美しいもの」と定義付けるのは、あくまでもその片方の面にしか目を向けていないということだ。物事は表裏一体であり、一つのものの中には相反する性質のものが同時に存在する―ということを理解していれば、こういった言葉は出てこない。


最近では、日本でも欧米並に「愛」という言葉を連呼する人が多くなった。自己啓発セミナーやスピリチュアル系のセッション等、講師も生徒も「愛愛愛愛」うざったくて仕方ない。「愛ある言葉」とか「愛あるセッション」「愛を送ります」とか。聞いていると背中が痒くなってくる。

男性でも、照れもせずにその言葉を口にする人が増えた。「僕は世界に愛を広めたいんですッ!この世界にいる人すべてを愛そうと思ってるんですッ!」」などと熱く語るのを聞くと、「いや、べつにあんたの愛なんていらねーし」と思う。思うのは勝手だが、勝手に愛されるほうは迷惑だ。

それ以外の分野、例えばデパートや小売店等の販売業でも「愛で売れ!」と、社員に檄を飛ばしている所もある。私がお客だったら、まあ普通に礼儀正しくて、自分の欲しい商品についての知識をちゃんと持っている店員さんであればそれでいい。欲しいのは商品であって、愛じゃないんで。


もうお亡くなりになったが、ライターであり、評論家でもあった竹中 労氏が生前言っていた。「地球を救ったり、人類愛を言い始めるのは芸のない証拠。自分を長持ちさせる為に一番逃げ込みやすい所なんです」


実際「愛」を連呼している人達を観ていると、「実はあなた自身が、その『愛』ってものを欲しいと思ってるんじゃないですか?」という状況にある人が多い。結局、自分の中の欠乏感を周りの人や地球に投影しているだけ。愛ある言葉をかけて欲しいのも自分、愛して欲しいのも自分なのだ。愛してもらう為に愛する。一種の「等価交換」だ。

その人達の多くが言うところの「愛とは見返りを求めない無償のもの」が真実なら、実際の状況は全然当てはまらないではないか。執着、押しつけ、見返りを求める、自分を満たすだけのもの―それのどこが「美しい」のか。

そしてまた、目を背け、耳を塞ぎたくなるような要素も存在する、それが「愛」なのだ。

「至上の」「永遠の」「無償の」「最も美しい」「最も尊い」そういった形容詞は、本来一切必要ないものなのだ。あれこれそれを付けたがるのは、人間側の勝手な思い込みや理想、自分の存在意義や言動に対する意味付け・理由付けの為でしかない。いわば「エゴ」だ。

愛は、ただ「愛」であって、それ以上でもそれ以下でもない。それを飾る言葉など必要ないのだ。







カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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