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仏を殺せ

 2009-10-02
最近やたらと「女神の・・・」「天使の・・・」で始まるヒーリングやリーディング、アチューンメント、セミナーの案内メールや郵便物の類が届く。

毎度のことに少々うんざりしながらも、ちょっとネットで検索してみた。まあ驚いた。「女神 ヒーリング」「エンジェル ヒーリング」のキーワードで、それぞれ120万件、100万件のサイトがヒットするではないか。

正直、ちょっと背筋が寒くなった。200万件を超えるこの中に、果たして「本物の天使」「本物の女神」と繋がっている人はどれだけ、いや、本当に存在しているのだろうか?

大抵は、「女神○○と繋がってメッセージを受け取ります」とか「大天使○○があなたをサポートしてくれるように働きかけます」とか、あちら側の世界での「大御所」というか、「超有名人」に相当する存在を引き合いに出している。

ネットだけで200万件以上、ネットに載っていないものまで含めたら、多分潜在的な数は少なくとも2倍以上にはなる。それだけの数のチャネラーやヒーラーが、常時「ビッグネーム」とコンタクト可能って・・・?謳っていることに目を通していくにつれ、疑問ばかりが膨らんでいく。

「もし同日同時刻に、世界のあちこちで千人のチャネラーが大天使○○と繋がろうとしたらどうなるわけ?順番待ちとかしてんの?」と思い、「天使のオーソリティー」と言われている世界的に有名な人の書いた天使本を読んでみたのだが、何だか「後出しジャンケン」されたような気分になった。

その本によると、「大天使○○」のような大御所様は、大変パワーがおありになるので、同時に複数(無限大らしい)の場所や人のところに行けるんだとか。「それはずるいよー」と言わざるを得ない。それだったら「何でもあり」、「言ったもん勝ち」ではないか。

大体、その大天使や女神が「100%本物」だという認定はどのように行われているのだろうか?もしそれが、大天使や女神の名を語る「成りすまし」だったら?「本物」と「贋物」の区別はどうやって?

そういった疑問に答えているチャネラーやヒーラーは皆無に等しい。「私が繋がっているのは間違いなく大天使○○です」「本物かどうかは感覚で判るんです」まったく根拠がないのだ。

「私がそういってるんだからそうなんですッ!」と、半ば逆ギレする人もいる。挙げ句の果てに、「信じられない人は霊的に覚醒してない」とか「心が曇っている人は天使や女神の存在を認めたがらない」等と言い出したり。

問題なのは存在の是非でなく、その「真贋」なのだ。皆が皆、「自分が繋がっているのは本物」と主張するのも、失礼かもしれないが余計に胡散臭い。200万を超える中に「すみませーん。実は大天使○○だと思ってたんですけど、なんか違うみたいですぅー」と言う人が数人くらいいてもいいような気がするのだが。そのほうが余程信憑性がある。


日本禅宗二十四流の一つ、臨済宗開祖・臨済は言っている。

「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷を殺せ。始めて解脱を得ん」

中国の唐の時代、寺院も経典も要らない、本尊も祀らない、ただ坐禅という修行を通し、自分自身の中に本来備わっている仏性を見い出すことを目的、「悟り」とする仏教が生まれた。教えを守るには、ただ人間だけがいればいい。そしてその人間こそが「仏」である―という思想を元に生まれたもの、「禅」だ。

禅の世界では、ただひたすら坐禅を組んで自分と対峙する。時にはその最中に「仏」と名乗る存在が現れるかもしれない。「自分は仏と会った」その思い込みが「自分は特別な存在である」という驕りを、「仏が現れたということは、自分は悟りを開いたのだ」そんな勘違いを生む。

臨済の言葉の解釈は様々ある。だが私は、「戒め」の言葉だと解釈している。「自分こそが本物である」「自分が繋がっているものが本物である」そういった驕り―ある種の「選民思想」に対する警告の言葉だと思うのだ。特に、「自分は女神や天使、高次の存在と繋がることができる」と言う人達に対しての。

瞑想の最中に、大天使や女神を名乗る存在が現れる。感激の涙を流してその存在を受け入れることは容易い。「仏に会いたい」そう思っていれば、自分の中にあるその期待や欲望は、やがて仏の姿を目の前に映し出す。

だが、そうやって映し出された仏が「本物」であるとは限らない。砂漠で道に迷い、水を求める旅人が、緑豊かなオアシスの幻影を見るのと同じことなのだ。自分の欲や期待は、時に本物を装った「偽者」を作り出したり呼び寄せたりすることもある。

「天使や女神と繋がりたい」「会いたい」「話したい」という執着や欲が強ければ強いほど、違う存在を引き寄せる可能性が高くなる。霊的に覚醒しているから、心が澄んでいるから女神や天使と繋がれるのではない。そう考えること自体、既に勘違いの選民思想に染まっている証拠であり、期待しているものとは別の存在から、「カモ候補」として目をつけられていたりすることもある。

わざわざ躍起になってコンタクトを取ろうとしたり、メッセージをもらおうとしなくても、今この時を一生懸命に誠実に生きている人に、天使も女神も微笑むのだ。



【追記】
以前「女神や天使と繋がった後は妙に肩が凝って重くなる」と言っていた人がいた。確実に「別の存在」と繋がっているのだと思います。


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