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幸せへの道

 2009-08-28
誤解を恐れずに言うが、悩みや問題について「なぜそうなったのか?」という原因を探ることに、大して意味はないと思う。

「なぜそれが起きたのか?」「どうして自分はこうなったのか?」相談者―クライアントの大半は、「問題の原因」に固執する。悩んでいる本人からすれば、その原因を探ることで物事が解決したり、状況が少しでも好転するということへの期待があるのだと思う。だが、それが判明したからといって問題解決への糸口や答えが見つかるとは限らない。

原因が判明したらしたで、「もしあの時~していれば」「もし~だったら」と、今度は存在し得たかもしれない「たられば」の可能性を追求し始める。過去に起こった事実は変えられない。「もしもあの時・・・」と、起こり得たかもしれない別の可能性に思いを馳せても、やはりそれは永遠に「もしも」の域を出ることはないのだ。「過去は過去」でしかない。

原因に執着するということは、過去に目を向けているということでもある。変えられない過去をを追求したり、あれこれ仮定してみても意味はない。むしろ後悔だけが大きくなっていく。変わらないからこそ、変えられないからこそ、執着が増す。

結局原因というものは、例えそれが判明したとしても、「ただ知るだけ」でいいのだと思う。「知る」ということは大事だが、必要以上にそれに拘ったり、無理に追求しようとすることは必要ないと思う。なぜなら、それは「原因に囚われる」ということだから。

カウンセリングで相談者―クライアントを見ていると、原因の呪縛から逃れられない人が多い。知りたいと望んだことが判明したらしたで、今度はそこに囚われる。皮肉なものだと思う。

だったら、「なるほど」と自覚したら後はそれを忘れて、それを手放して、それに拘らないで、これから先の未来へその分のエネルギーを注いだほうがいい。そのほうがよっぽど健康的且つ建設的だ。

「たられば」よりも、「じゃあこれからどうしていこうか」と未来に目を向けることが幸せへの道だと思う。未来に向かうために過去に戻ることは、必ずしも必要ではないのだ。今自分がいる場所、この「現在」から始めたらいい。

「こうしたい」「こうなりたい」「こうしよう」それでいいのではないだろうか。時間に逆行しようともがこうとするよりも、未来に向かうその流れに乗ってみる。沿ってみる。それが自然な形であり、宇宙の原理、法則に適ったことだと思うのだ。

原因よりも、どんな答えを出すかということ、「どこに向かうか」それを考えることの中に未来も幸せも存在するのだ。



カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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