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私は私、あなたはあなた

 2009-07-23
私は私のことをする
あなたもあなたのことをする

私は私
あなたはあなた

私はあなたの期待に応えるために この世に在るのではない
あなたも私の期待に応えるために この世に在るのではない

でも もし偶然にお互いに出会うことができたら それは素晴らしい
しかし そうならなくても仕方ない



これは、心理学の「ゲシュタルト療法」の提唱者である精神分析家、F.S.パールズが書いた「ゲシュタルトの祈り」という詩である。この詩の中で詠われているのは、「人と人との出会い」と「出会った人との関係の在り方」だ。

人によったら、この詩から「素っ気ない」「冷淡」といった印象を受けるかもしれない。だが、この詩は真っ向からその「本質」を突いている。そして、「自立した人間」とはどういうものか―それをさり気なく示してくれている。


最近世の中の人達を見ていて思うのだが、相手に対して「一方的に期待をする人、それを押し付ける人」が目立つ。「自分は~してあげたんだから、相手はこれくらいしてくれて当たり前」、「この人なら絶対にこうしてくれる」そんな感じで相手からの「お返し=見返り」が来るのを待っている。

そして望みどおりのものが相手から返ってこないとわかると、「どうして?!私はあなたに○○してあげたでしょ?!」「そんな人だと思わなかった!」と騒ぎ出し、相手を責める。

気持ちは分からないでもないが、それは「自分勝手」というものだ。相手は自分がそんな期待をされていること、自分がそう思われていることなど露ほども思っていないのだから。「わざわざ言わなくてもそのくらい察してよ!」そう思うのも同じこと。相手に何かしてほしかったら、素直に言葉でそう伝えたらいいのだ。

自分の中だけで勝手に期待して、期待していたような答えが返ってこないとキレたりイライラしたりする―結局自分のことしか考えていない。

確かに相手から「お返し」が来たら嬉しい。だがその「お返し」は、あくまでも「おまけ」だ。「おまけ」だからこそ、期待していないところへポンと付いてくるからこそ嬉しいのだと思う。

相手からの見返りを当然と思っていることは、その「おまけ」を無理矢理強要しているようなものだ。自分が気に入って通っている商店街の八百屋さんで「いつも買ってあげてるんだから、たまには何か寄こしなさいよ!」そう言っているのと同じこと。「おまけ」はあくまでも先方の気持ちの問題であって、「強制」ではないのだ。


カウンセリングの最中でも、人間関係に不満や悩みを抱えている人のほとんどは、この「自分勝手な期待」が大元の原因になっている。自分で勝手に期待して、勝手にがっかりして、勝手に腹を立てたり苛立っている。「~であるべき」「~しなくてはならない」自分の都合や期待、思い込みの一方的な押し付け―この身勝手さが、すべてを招いている。

相手に満たしてもらおうとするその姿勢は「依存」であり、自分にとって都合の良い反応を引き出そうと画策するのは「支配」だ。原因と結果は比例する。そういった「欲」を持って相手と接すれば、当然それに見合ったものが返ってくる。

相手に対する自分勝手な期待や依存、支配欲―そういった「執着」を捨てること。相手は自分の要求に応えるために存在しているのではないし、自分もまた相手の要求を満たすために存在しているのではない。それぞれが自立した個々の存在。その理解がなければ、それは「本物の関係」とは言えない。

私は私、あなたはあなた―一見淡白とも思えるこの言葉の根底には、人間関係や自立に繋がる大きな鍵が隠されているのだ。



【追記】
公私両方において、私を「優しい」と言う人が多い。だが、それはあくまでも私の「一部分」でしかない。優しい面もあれば、冷淡で厳しい面もある。だが、どちらも「私」だ。一面だけを見て、「=その人」という決めつけは、「この人はこうであってほしい」という自分の「期待」でしかない。光が強ければ、その分影は濃くなる。「優しい人」には、それと同じくらい冷たく厳しい面も存在するのだ。

カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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