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「やりがい」というもの

 2008-09-25
「仕事」と「恋愛」は、一見対極に存在しているように見えるが、実はよく似ている。

それは、「どちらも”相手”に対して、ピンと来る瞬間がある」ということ。

出会った瞬間に「これだ!」と感じることもあれば、付き合っていくにつれて「ひょっとするとそうなのかも」という気持ちがだんだん強くなっていったり。

でも、何よりも、そういった「ピンと来る相手」に出会えた人は、とてもラッキーだということだ。


ここ最近立て続けに、「やりがいのある仕事を見つけたい」と言う人達と話す機会があった。
皆さん共に30代。それぞれ勤めている会社では入社して10年以上経つという「中堅」。
任されている仕事も、それに伴う責任もなかなか大きい。役職就き・部下持ちの人もいる。

傍目には順調で、恵まれた環境にいるように見える。
でも揃って口から出るのは「やりがいのある仕事がしたいんですよね」という言葉。

入社して10年以上経ち、仕事も覚え、それなりの権限も与えられるようになった。
でもそういったことに慣れてきて、精神的に余裕が出てきた分、毎日同じことを繰り返している気がしてきた。「ひょっとしたらこの仕事は、自分じゃなくてもいいのかもしれない」―そう思い始めたらしい。

そして行き着いたのが、「やりがいのある仕事に就いたら、多分もっと違う毎日が、もっと楽しくて生き生きとした有意義な人生が送れるに違いない」という考え。


「やりがい」っていうこの言葉、多くの人が口にして拠りどころにするけれど・・・でも皆、本来の意味というか、根底あるものを勘違いしているような・・・そんな気がする。


「やりがいのある仕事を見つけたい」と言うことは、「好きな人を見つけたいので、恋愛したいんです」と言っているのと同じだと思う。

「好きな人を見つけよう」と言って恋愛をする人はいないと思う。
何らかの形で、お互い見知らぬ者同士として出会って、一緒に過ごしていく内に相手に対する興味や特別な感情が出てきて、「気になる人」になり、やがてそれが「好きな人」になる。
意図的に作り出す状況や感情ではない。それと同じこと。


「やりがいのある仕事」は存在しない。
日本中、世界中、この世のどこを探しても存在しない。

なぜならそれは、自分がその仕事の中に、ピンと来る何かを感じた時に初めてその存在を表すものだから。別の言い方をすれば、自分が「この仕事をやりがいのあるものにしよう」と決めた瞬間から、それはもう自分にとっての「やりがいのある仕事」となる―ということ。

こうも言える。
「この世に存在するすべての仕事が『やりがいのある仕事』になる可能性がある」
「今やっている仕事も、今後『やりがいのある仕事』になる可能性もある」

「自分はこの仕事に就こう、自分をこの仕事に賭けてみよう」と、人生の早い段階でそういったものに出会える人もいる。でもそれはごく少数。自分が人生に何を求めて、どういった方向性に進むか・・・それを早々に決断した、とてもまれなケース。

でも結局それは、どんな人にも共通していることだと思う。

「この仕事に賭けてみよう、やりがいのある仕事にしてみよう」

そう決めるのが早いか遅いかの違いだけ。


日本語教師、メーカーのOL、翻訳、インディアンジュエリーの輸入販売、ヒプノセラピスト・・・
20代から現在まで、私が経験してきた仕事だ。

それぞれの仕事を選んだ理由は違うけど、でも最初のきっかけはみんな、「その仕事って何?どういうことするの?」という「好奇心」だった。

自分のアンテナにちょっとでも触れたもの、それを選んでやってきただけ。
微かな触れ具合のものもあったし、瞬間からビビッと感じたものもあった。

そして「自分がやる」と決めたその仕事を、一生懸命やってきた。ただそれだけのこと。
その結果、その全部が「やりがいのある仕事」になった。

「やりがいのある仕事」は、いくら探しても、いくら待っていても現れない。
ましてや誰かがもたらしてくれるものでもない。

「いつか自然とそれに出会えるはず」というように、受身の姿勢でいるうちは何も変わらない。

何よりも、「やりがい」という目に見えない不確かなものに執着している限り、答えが既に自分の中にあることさえ気づかず、今の状況を繰り返すことになる。

自分のアンテナに触れたものを片っ端から試してみたらいい。
「試してみたけどやっぱり違う」、そう感じるものもあるかもしれない。
「その時間をムダにした」、そう感じる時もあるかもしれない。

「ムダ」ということに拘る人がいるが、この世にムダになることは何一つ存在しない。

そのムダが、この先何に繋がっていくか分からないからだ。あえて言うなら「必要なムダ」。
それが分かるのは、多分何年、何十年先のこと。

何よりもそれを試してみなければ、「それが自分に向いていない」ということも分からなかったのだから。それだけを取ってもムダではなかったということ。

私を含め、私の周りで「やりがいのあるお仕事ができていいですね。毎日楽しそうですね」、現在そう言われる人達は、みんなそうやって「やりがいのある仕事(こと)」を見つけてきた。

「興味があったから試してみただけ」「最初はそうでもなかったけど、続けていくうちにだんだん面白くなってきて」―そんな「些細なこと」からすべてが始まった。現在の状態はそれが積み重なった結果でしかない。本人達はいたってお気楽。「やりがいとは!」などと、特に力んでもいない。

人は不安定な時ほど、その原因や理由を外に求めがちになる。
でもその答えはすべて自分の中にある。

やりがいは、見つけるものではなく、「決めるもの」
つまり、すべては自分次第ということだ。

カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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