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口弁慶

 2009-04-19
自己啓発やスピリチュアルの分野に興味のある人、実際にセミナーを受講したり書籍を読む機会が多い人は、喋ることだけ達者で、行動の伴わない「口弁慶」になる傾向が強い。

セミナーや書籍で謳われている方法や理屈、アファメーションの言葉が、頭の中にどんどん蓄積されていく。会話の中にも「手放す」「受け入れる」「許す」「気づき」「愛」「光」そういった「業界用語」がバンバン出てくる。

しかし、熱く語る言葉の壮大さとは裏腹に、その実情は「お粗末」なことが多い。そういった言葉をよく口にする割には、全然手放してなかったり、全然受け入れてなかったりする。「こういう気づきを得たんです!」と感動、興奮している割には、自分が得たその「気づき」とやらを、考えや行動に反映させようとする気配が一向に感じられない。

知識を詰め込むだけ、「知るだけ」で満足してしまうタイプ。「それを知ること、口にすること=理解すること」だという大きな勘違いをしている。だから「理解」というものの必ず先にあるもの、必ず対になっている「行動」というものがまったく伴わない。だから「語るだけで終わる」のだ。


ヒプノセラピーでもカウンセリングでも、2回目、3回目・・・と受けにいらっしゃる「リピーター」の人達のその部分を、私はまずチェックする。数週間前、数ヶ月前、数年前・・・人によって、前回お会いした時の間隔は違う。「わあ~!お久しぶりですね~!」という人から、「あら、いらっしゃい。今日もお仕事の帰りですか?」という人までそれぞれだ。

だが、日付上の間隔の長さは、実はあまり関係ない。つい最近セッションを受けたばかりで日が浅い人であっても、本当にその人が「真の理解」を得たのであれば、何らかの「変化」というものは必ず表れているものなのだ。

表情、声、言葉、立ち居振る舞い―目に見える部分にも、その変化は表れる。本人は気づいていないことがほとんどだ。しかし、玄関で迎えた瞬間に、それはもう一目瞭然だ。その人の発しているもの、「気」とでも言うのだろうか、それが前回とはまったく違うものになっている。

何というか、「いい感じ」なのだ。「元気そう」とか、そういった表面上のことだけでない何か。「すべて」が良い感じに調和している。たとえ多くを語らずとも、その人が、前回受け取ったものをきちんと自分の日々の行動や考え方に反映させているかどうかは、少ない言葉の中にもきちんと表れる。

「行動を起こしたか、起こしていないか」そこにすべては集約される。いくら熱心に語ったとしても、前回と何も変わってなければ、それは口先ばっかりの口弁慶。セッションを受けることや、受けた回数を「拠りどころ」にしているだけだ。いわゆる「依存」。セミナージプシー、セッションジプシーの典型的な特徴でもある。

自分が行動を起こさないことに対する「言い訳」に終始することも多い。尤もらしい事を言っているように聞こえても、結局屁理屈や自己弁護の域を出ていない。


理解は行動で示すもの。達者な言葉、雄弁さは必要ない。自分が口にする言葉の響きに酔って、理解した気になっているうちは、それは「真の理解」ではないと思ったほうがいい。頭の中で「知識」を捏ね繰り回しているだけでは何も変わらない。

大切なのは「知ること」でなく、「知ったことを活用していくこと」なのだ。知識を知恵にすること。そして、そうしていこうとする心構えと姿勢。それが本当の理解というものだ。

自己啓発やスピ系セミナーや関連本、受講したり読んだりしている割には「何も変わっていない」と感じるのなら、つまりはそういうことなのだと思う。自分と同類の、その他の口弁慶達と「烏合の衆」集団を形成して、そこでお互いを慰め合ったり、安心感を得たり、そんな生ぬるい「ごっこ遊び」を拠りどころにしているうちは、真の理解には到達できない。


行動を起こした人、本当の理解というものを得た人は、どんどん変わっていく。本人もその速度に、自分で驚くくらいだ。でもそれは「当たり前のこと」なのだ。理解と行動の法則に則った自然な流れ。

口弁慶が熱く語っても、そこには違和感だけしか残らない。いくら素晴らしいものを得たと吹聴しても、それを生そうとする「本気」がなければ何もならない。宝の持ち腐れ。

「気づき」だの「啓示」だの、大袈裟な言葉で語ろうとするほど、それは真実、理解からかけ離れていくことに気づくべきだ。

「飾るな、語るな、騒ぎ立てるな、そして黙って行動に移せ」真実、理解に至る道のりは、思っているよりもずっとシンプルなものなのだ。



【追記】今回のエントリーの内容と、どこか関連するものを感じるので、引用した記事を掲載しておきます。


「鶴の恩返し勉強法と瞬間集中法」 

勉強を始めようとする時に、「時計の長い針が12のところに来たら」と先延ばしにしたり、「机を片づけてから」とか、「この漫画を読み終わってから」と条件を付けたりしていると、実際に勉強を開始する時間がどんどん遅れてしまう。

そのようにしてさぼっていると、「やっぱり私はダメなんだ」と自己嫌悪の気持ちがわき起こってきて、ますます勉強に集中するのが遅れてしまう。
 
思い立ったら、瞬時に始める。「時計の長い針が12のところに来たら」などと悠長なことを言っているのではなく、とにかく「一秒後」にはもう勉強を開始して、一心に集中する。どんな状況でも、すぐに「鶴の恩返し」の「つう」のような一心不乱な気持ちになることができるようになれば、もうその人は勉強の達人である。

(ヨミウリ・ウィークリー 2008年7月20日号 茂木健一郎「脳から始まる」第111回より抜粋)





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