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盲信

 2009-03-02
人を信じることは大切だ。しかし、誰かを信じるということは、その人にすべての責任を押しつけるということではない。「信じる」ということは、その人を信じた結果、例え自分が望まない展開や答えになったとしても、それさえも全部自分で引き受ける、受け止めるいう覚悟をすることだ。

多くの人は「信じる」という意味を勘違いしている。「あの人の言うことに間違いはない」「いい人だから正しいに決まっている」根拠もなく、そう思い込むのはただの「盲信」。その根底にあるのは、「依存」と「甘え」だ。相手を「拠りどころ」にしているだけ。

人というものは、結局「自分の見たいように見て、思いたいように思う生き物」だ。必ずしも、常にその人やその物事の「真実の姿」を捉えているというわけではない。あくまでも、自分にとっての都合のいい姿、自分が勝手に思い描いている「期待像」を投影して、それを見ているだけ―という場合が多々ある。

自分の期待したものが相手から返ってこない場合、人は騒ぎ立てる。「そんな人とは思わなかった」「あなたを信じていたから、言ったとおりにしたのに」相手から「裏切られた」という思いが込み上げてくる。

しかしその人は、多分最初から何も変わっていないはずだ。「裏切られた」と思った部分も、初めから見せていたはずだし、隠そうともしていなかったはず。「自分が見ようとしなかっただけ」だ。無意識に相手に何かを求め、依存した結果。

「信じる」ということは、信頼や真実の中心を自分自身の中に置くこと。あくまでも「自分」を拠りどころにするものだ。誰かから、何かから「お墨付き」を得ることでもたらされる安心や安らぎに甘んじることは「信じる」の本当の意味からは程遠い。

誰かの言葉を「バイブル」にする必要はない。真実は人の数だけ存在する。その人にとっての真実が、自分にとっての真実とは限らない。その人から言われたことを、そのまま「それが正しいこと」と鵜呑みにして信じ込むのは危険だ。盲信は自立の心を奪う。

自分自身で感じ、考え、選ぶ―真実はそうして見つけていくものだ。

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カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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