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伝える

 2008-09-21
カウンセリング中よく思うのは、「コミュニケーションの面で損をしている人が多い」ということ。「損をしている」というよりも、「もったいない」と言ったほうがいいかもしれない。

最も多いのは「言葉の面でもったいない人達」。「言葉の多すぎる人」と「言葉の少なすぎる人」、大体この2種類のタイプに分かれる。「~過ぎる」というように、どちらかに偏りすぎるのも、ちょっと困りものだ。

「言葉の多すぎる人」は、いわゆる「ひと言多い」と周りから言われるタイプ。今言う必要のないことまで口に出してしまって、後で「しまった!」と思うことが多い人。どちらかというと、女性に多いかもしれない。女性は話しながら考えをまとめていく特性があるので、話の中心に辿り着くまでに結構時間がかかる。

こちらの質問に対して、その時の状況から自分の感情まで事細かに説明をするので、それに関連して話があっちこっちに飛んだりすることも多い。自分が何を言おうとしたのか途中で忘れてしまうこともある。「自分で話(状況)をややこしくして、その渦に巻き込まれていくタイプ」だ。

その逆に、「言葉の少なすぎる人」は、「言葉を省きすぎる」という傾向がある。どちらかというと「必要なこと・大事なことだけ伝わればいい」と思っている節がある。特に男性に多いタイプだ。

基本的に、「話すこと=大事なこと(用件)だけを伝えること」という思い込みが強いので、相手によっては、つっけんどんで事務的な印象を受けたりする。近寄りがたいと敬遠されることも少なくない。「自分の意思とは無関係に誤解されることが多いタイプ」だ。

まったく異なる2つのタイプだが、実は共通点がある。それは「自分の言おうとしていることを(相手に)察してほしい」と思っていること。

「言葉の多すぎる人」は、「私が今まで話してきた言葉の中に、ヒントがたくさんあるでしょ?そこから私が何を言いたいのか察してよ!」と、「言葉の少なすぎる人」は、「べつに改めて説明しなくても、今までの状況を見ていれば、そんなことはわかっているだろ?ぼくが何を望んでいるか察するのは君の仕事だよ」という感じ。無意識の場合もあれば、そうでない場合もあるようだ。でもほとんどの人は、それに気づいていない。

日本には、「以心伝心」という諺がある。

【以心伝心】①(仏教・禅家で)言語では表されない真理を師から弟子の心に伝えること。②思うことが言葉によらず、互いの心から心に伝わること。「―で通じる」(広辞苑より)

ちなみに英語では、「以心伝心」に当たる言葉は存在しない。「telepathy、tacit understanding」という言葉がそれに相当する。ある意味、日本特有の概念と言えるかもしれない。

確かに、「相手の思いを察する」ことは大切だ。だが、「自分の思いを言葉で伝える」ということも、それと同じくらい大切なことだと思うのだ。言葉を尽くして語り尽くした後、そこで初めて「以心伝心」というものが生きるのではないかと思う。

多くの言葉を費やしても相手に伝わないのは、その言葉が中心から外れているから。言葉を省くのは、「相手が自分の思いを察するべきだ」と自分勝手な期待しているから。どちらも自分が中心で「独りよがり」なのだ。それは本来の「コミュニケーション」の形からは、大きくかけ離れているものだと思う。

「この人は本当は何を言いたいんだろう?」「この人にはどんな言葉を使って話したら、自分の思いがきちんと伝わるだろうか?」そういった気配りの姿勢を忘れている人が多くなってきているような気がする。

「お腹は空いてないかな?」「トイレに行きたいのかな?」「どうしたら泣き止んでくれるのかな?」まだ言葉が話せない赤ちゃんやお互いの言語が違うペットにはそういった気配りをすると思う。それと同じことを相手にしたらいいだけ。


今日近所のスーパーで、まだヨチヨチ歩きの男の子と30歳くらいのお父さんが買い物していた。まだ喋ることのできない赤ちゃんだが、店内に置いてある物を指で差しては、お父さんに向かって、一生懸命に何か言っている。

そのお父さんも、大人には理解不可能な「赤ちゃん語」で喋るその子に対して、「うん、そうだね~」「これ?これはにんじんさんだよ~にんじんっていう野菜。昨日食べたよね?」と面倒くさがらずにその都度ちゃんと答えてあげている。そんなお父さんに、赤ちゃんはとても満足そうな顔を見せていた。

そんな二人の様子を見ながら、「コミュニケーションの本来の姿って、こういうものかもしれないな」と改めて感じた今日の夕方。























カテゴリ :三位一体―心と体と魂の話 トラックバック(-) コメント(-)
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