FC2ブログ

スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

「自称」の罠

 2009-02-14
チベット仏教ゲルク派の法王、ダライ・ラマ14世は言う。

「『ダライ・ラマは癒しの力を持っている』と言う人達がいます。しかし、私はそんな力は持っていません。私は『自分には人を癒せる力がある』と言う人達を疑っています。私はよく冗談でこんなことを言います。『そんな力が自分にあったら、この間から首の後ろ側にできているこの湿疹を、まず最初に治しています』(笑)」

近年のスピリチュアルブームで、やたら「ヒーラー」や「ライトワーカー」という言葉を耳にするようになった。以前仕事で名刺交換をした人達の肩書きに、「ヒーラー」「ライトワーカー」という文字が印刷されていたのを見て、どん引きしたことがある。

「ヒーラー」は言わずもがなだが、「ライトワーカー」は「神々と共にこの世を守り、人々の人生を光で照らし愛を広げる人。さまざまな恐れの影響から、人々を解き放つ手助けをすることを、自ら選んで生まれてきた人」という意味がある。

肩書きをどうしようと個人の自由ではあるのだが、しかし、自分で自分を「ライトワーカー」って呼ぶって、それってどーよ・・・と、正直思ってしまった。

「○○さんって、ヒーラーだよね」「○○さんは、ライトワーカーの役割をしていると思う」といった感じで、他の人達が言うのなら、まだ理解できる。しかし、「私、ライトワーカーです」って「自称」するって・・・。そもそも「ヒーラー」「ライトワーカー」なんて肩書きは存在しない。

「私は世のため、人のために一生懸命がんばっている素晴らしい人なんです!」「私があなたを救ってあげます!」というような、どこか押し付けがましいというか、「驕り」のようなものを感じてしまうのは私だけだろうか。宗教の勧誘時に感じるものと、よく似ている気がする。


人を癒せる力があることは、素晴らしいことだと思う。しかし、その力が「真実」であるのなら、自分自身で、そう認識しているのなら、それは尚更声高に口にするものではないと思う。

どんな人間にも、多少なりとも自己顕示、名誉欲というものは必ずある。それがない人間などいない。

しかし「私は人を癒せる」と自ら口に出して言うことは、「自分は人を癒すことのできる人間である」という、「虚栄心」を生む。そしてそれは「自分は選ばれた特別な人間である」という、勘違いの「選民思想」や驕りへと繋がっていく。

ウルトラマン然り、仮面ライダー然り、スーパーマン然り―正義のヒーロー達は、決して自分達の正体を明かそうとしない。普段は市井の人として、ひっそりと目立たなく生きている―それは自分が正体を明かした先にあるもの、それによって、心ならずも変わってしまうものがあるということを分かっているが故だ。

自らを「ヒーラー」「ライトワーカー」と名乗るのは構わない。しかし、肩書きが先行して「中味」がまったく伴っていない「ナンチャッテヒーラー」「ナンチャッテライトワーカー」が、あまりにも多い。自分だけでその気になって、そう思い込んでいるだけの、いわば「ヒーラーもどき」「ライトワーカーもどき」だ。「肩書き」に自己陶酔しているだけ。

「~なつもり」という、勘違いでボロボロの土台の上に築かれた家は脆い。いくら「愛だ、光だ」と連呼しても、その実が伴わなければ何もならない。

「肩書きの多さや立派さ=その人の価値」なのではない。そういった「スペック、条件」に惑わされる人が、あまりにも多過ぎる。一番大切なのは、「その人の言動が一致しているかどうか」だ。その人自身を「観る」こと。

「自称」している人達も、常に自分を省みることが必要だ。自分ではそのつもりがなくても、いつの間にか浮かれ気分になって、大きく筋を離れてしまっている―という場合もある。

わざわざ「ヒーラーです」「ライトワーカーです」と名乗らなくても、今自分がしていることが、結果的に、「おまけ」として、人のため、世の中のためになっていけばいいのではないかと思う。自分の役割を誇示したり、「私がなんとかしてあげる」と気負って取り組むものではないと思う。

明るく、大きく、自分の中にある「光」を育てて輝き続けるだけで、灯台のようにどっしりとそこにあって、ひたすら光を放ち続けていればいいのだと思う。そして、その光が知らないうちに他の誰かの暗闇を照らしたり、それをたまたま見た人に勇気や慰めを与えることができたなら、それだけでいいのだと思う。

「癒してあげよう」「癒してあげたい」と思わなくても、どんな人にも本来そういった力は備わっている。

ヒーラーやライトワーカーの役割は、「癒してあげること」ではない。その人の中に眠っている自己治癒能力を引き出すこと―その人の中に既にそういった力があるということを気づかせるという役割、いわば「サポーター」であるに過ぎない。「主役」はその人自身であって、ヒーラー、ライトワーカーは表に出ることのない「黒子」。

「自称ヒーラー」「自称ライトワーカー」の人達は、そこのところを、ゆめゆめ「勘違い」しないように。「正義のヒーロー」は、自分からは決して名乗りません。


(余談)
ヒーラーとかライトワーカーとか、「スピリチュアル」に関わっている人のブログやサイトって、どうして背景が「黒」ベースが多いんでしょうか??光だとか愛だとか言っている割には、なんかおどろおどろしい雰囲気を醸し出している色使いなのがコワイです・・・

カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。