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不似合い

 2016-07-31
【「週刊新潮」2016年7月28日号 掲載記事より抜粋引用】

梅雨の雨脚が一息ついた、7月16日の昼下がり。若者が行き交う港区・表参道の交差点に、藍色の浴衣姿で現れた七海氏は行き交う人々に支持を訴えハグを繰り返していた。

「あんなキレイで、笑顔が素敵な女性と密着できるなんて……。政策はよく知りませんけど、彼女なら1票入れても良いかなって思っちゃいました!」興奮気味に感想を口にするのは、20代の男子学生。たまたま通りかかったその交差点で、街宣活動中の七海氏にキャッチされたというワケである。

「ボーッと見てたら目が合ったので、思わず“頑張って下さい!”って声をかけたんです。すると、僕を見つめたまま近づいてきて僕の手を取ったんです。潤んだ瞳で“都民ですか?”と聞くので“はい”と答えると、ハグをしてくれました。ちょっと良い匂いもして、ドキドキしましたね」

周辺では、その後も彼女に抱かれる男性が続出した。「最初は驚いたし、恥ずかしかった。でも、若くて可愛いし、嬉しいよね。幸福実現党というのは知ってますけど、あの子なら投票しても良いかな」(40代男性)すっかり鼻の下を伸ばした男性諸氏の一方で、それを遠巻きに見ていた50代女性は吐き捨てた。「ああいう“オンナ”をウリにする人がいるから、男女差別や女性蔑視がなくならないんでしょ。イギリスに続いてアメリカでも女性リーダーが誕生しそうなのに……」

どうやら七海氏の作戦は、賛否が大きく分かれているようである。自身も七海氏にハグされた経験を持つ、宗教ジャーナリストの藤倉善郎氏が言う。「彼女は先の参院選で、党首の釈量子さんより3000票以上も多い、3万1717票を獲得しました。あのビジュアルで優しくハグなんかされたら、多くの人は幸福実現党に興味を感じるし、少なくとも彼女に対して好感を持つでしょう。僕だっていい気分になりましたからね」

とは言え、いくら選挙活動でも、独身という七海氏には、無闇やたらと見知らぬ男性たちと抱擁を繰り返すことに抵抗はないのか。「私は宗教法人幸福の科学の職員として、国際部門を担当する部署で働いてきました。学生時代の留学も含めれば訪問した国は30カ国以上になります。ハグはナチュラルな愛情表現や感謝の表現方法として身についているんですよ」

七海氏はあくまで、自身の政策に興味や関心を持ってくれた人への謝意の発露と強調する。老婆心で危険はないのか尋ねると、「フフフ。いつも近くにスタッフがついていますから。これまでどこかを触られたり、危ないことをされたりは一度もありませんよ」

最後に政治評論家の小林吉弥氏に聞くと、「ハハハ、そういう時代なんでしょうねえ。今回に限らず、都知事選挙は人気投票みたいなもの。その意味で、彼女のハグ作戦にはあまり違和感はありません」


この国で、英語の「hug(ハグ):抱きしめる」という言葉が一般的になったのは、ここ10年位だろうか。最近では、海外赴任や留学、旅行等で日本と外国を行き来することが珍しいことではなくなったということも影響しているのかもしれない。

外国に縁のない人でも、欧米諸国には、「挨拶」としてハグ&キスを行う習慣があるということを知っている。海外発の映画やドラマの中で見慣れているせいか、それについて特別言及する人もいない。日本人が挨拶の時に会釈を交わすのと同じ感覚で、「西洋の、ごく当たり前の習慣」として受け止めている。街中で、日本に在住している欧米系の外国人や旅行者達がそれを行っていても、特に何も思わない。「ハグしてるなー」くらいのものだ。

だが、日本人がそれを行うとなると話は別だ。1~2年前、梅田駅構内で、飲み会帰りと思しき20代くらいの男女のグループが代わる代わるその場にいる全員とハグをし合っているのを見た時に思った。「・・・なんか変。なんかおかしい・・・」

皆さん結構アルコールが入っているらしく、酔いも手伝って、キャッキャしながら楽しそうにしている。まあそれは別に構わないのだが、彼らが視界に入ってきた時に感じた違和感の正体が、その横を通り過ぎる時に判明した。問題は、「ハグの仕方」にあった。

多分本人達は、欧米人同様、仲の良い友人同士の「挨拶」としてのノリだったのだと思うが、「違うんだよなー」と。彼らのハグは、基準を超えた、ぶっちゃけ言えば、「非常にセクシャルな関係を匂わせるハグ」なのだ。「いやいやいやいや、その密着度ありえないから!」というレベル。その場にハグの習慣を持つ国の人々が見たら、確実に「恋人同士?」と思ったはずだ。

やっぱりね、礼で始まり礼で終わる、「お辞儀の習慣を持つ国」の人間には、ハグは無理っすわ。元々の「感覚」が備わってないんだもの。文化や習慣から、無意識に刷り込まれた「肌感覚」とでもいうか・・・。道で知り合いに会った時、日本人は自然と会釈が出るが、それと同じように、自然な感じで、無意識に「程よい加減のハグ」ができる感覚がないのだ。

夫や妻、恋人同士のハグ、親子間のハグ、兄弟姉妹間のハグ、友人とのハグ、同僚や知人とのハグ―それぞれ「違い」があり、「使い分け」が必要なのだ。友人同士のそれでも、相手が異性か同性かによっても「加減」は変わってくる。それが自然とできるのが、「ハグの習慣を持つ国の人達」。

完全に付け焼刃の、日本人がする「にわかハグ」は、「体の密着面積の割合」が、明らかにおかしい。男性も女性も、相手が同性だろうが異性だろうが、みんな同じ。「付き合ってんの?」と思うくらいの、ベターっと肩どころか足の先までを密着させた「パートナーとのハグ」なのだ。「基準のハグ」は、わかりやすく例えると、「肩から下はくっつけちゃダメ」くらいに思っていたらいい。まあ、人種や相手との関係性、シチュエーションにもよるが、「基準は肩」にしておけば、まず間違いないと思う。

欧米人達は何気なくやっているようでも、実はハグをする時は、結構気を使っている。特に相手が異性の場合、ハグの仕方やその時の長さで、パートナーに浮気疑惑を持つ人もいるので、意外にみんな苦労しているのだ。

先出の、週刊新潮で取り上げられた都知事候補の女性の「ハグ活動」の記事を読んでもわかることだが、つくづく、やっぱりこの国に「ハグ」は似合わないな、と。

素地がないところに持ち込まれたそれは、妙な中途半端さしかもたらさない。する側もされる側も、恐らく「照れ」や「戸惑い」から来ているであろう「ぎこちなさ臭」がプンプンしているので、見ているほうが気恥ずかしくなるのだ。なにか、「見てはいけない恥ずかしいところ」を目撃してしまったようで、何となく決まり悪い思いをする。

どうも、日本人同士のハグは、不自然な感じがして苦手だ。どこか「演出」めいていて。「フツーにこういうことができちゃう自分って、かっこいい」「自分、そのへんの日本人とは違うんで」というような、妙な自己陶酔やアピールをそこに見てしまうことがある。

だが、やりつけないことはやるもんじゃない。「様にならない」という言葉があるが、その典型だと思う。それが「自然」であったなら、見ている者が気恥ずかしく感じることも、悪目立ちすることもないのだから。

当の候補者は、「わたし留学してたんでぇー、(ハグをすることが)愛情や感謝の表現方法として身に付いてるんですぅ~」と言っているが、写真を見る限り、全然そうは思えませんな。これは、完全に「誤解されるハグ」です。(きっぱり)そして、明らかに「確信犯」ですわ。周囲にいた有権者の女性が、「オンナを売りにして!(怒)」とおっしゃっていたが、完全に同意。こういう時、「同性の、同性を見る目」は確かです。特に、同性の、「無意識を装った異性に対する媚や計算」は一発で見抜くので。

彼女にビジネスハグされた有権者の男性達の言葉からして、もう明白でしょ?と。この国で、「ハグという行為」が、どんな意味合いで受け取られるのかを。自国の文化に元々存在しないものを利用したって、胡散臭さしか感じません。こういうふうに、他文化を中途半端な形で持ち込むのやめてくれへんかな。なんか気色悪いっすわ。

ビジネスハグでポーっとなっちゃった男性票を集めるとか。それに対して苦言を呈することもなく、「最近の都知事選は人気投票みたいなもんだから。こういうのもいいんじゃないですか?ハハハ」とか言っている政治評論家のおっさんとか。・・・何やってんだよ。

いいですか?東京に一極集中しているということは、東京がコケたら日本は大変なことになるんですよ?地方にも影響出まくりです。せっかく投票権を持ってるんだから、せめて「政策」を評価して投票してよ、東京都民の皆さん。また「同じこと」を繰り返すんですか?何回やったら気が済むんですかね?危機感ゼロで地方は呆れてるんですけど。こんなんでこの先大丈夫なん?もう、ほんと、東京マジでしっかりしてください。首都がこんなんじゃ情けないっすわ。

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタ 樫田ミラに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。当方のブログの内容や表現を無断でそのまま用いる方、少々の手直しを加えて、自分のオリジナルのように装う方がいらっしゃるようですが、モラルを守ってくださるようお願い致します。

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月の裏側

 2016-07-17
こういう仕事をしていると、「人を見る目」というものについて聞かれることが多い。「どうしたら人の本質を見抜けるようになるのか?」という言い方をしてはいるが、実のところ、それについて尋ねる人は、多分「自分の期待に応えてくれる人」を見分けるテクニックやマニュアルを求めているのだと思う。

もっと踏み込んで言えば、「自分に危害を与える人かそうでない人か」を判別する手がかりが欲しいのだ。そして、口には出さずとも、ほぼ確実に「初対面で、ひと目で、短時間で」という但し書きが付く。

見る目云々を口にする人は、過去に人間関係で何らかの「痛い目に遭った人」が多い。信頼していた人に裏切られた等の経験がある人。そういったリスクとの遭遇率を可能な限り回避したい、また同じ目には遭いたくないという強い気持ちがあることも共通している。

だが、結論から言ってしまえば、初対面のわずかな時間でその人の本質を見抜くのは100%無理だ。一代で大企業を築いた社長やスカウトした人物が後に大スターになった芸能プロデューサー等「カリスマなんとか」と呼ばれる人達の中には、「自分は人を見る目があったから成功した」みたいなことを言う人もいるが、実際のところ「見抜けた率」は、多く見積もっても、せいぜい50%くらいじゃないかと。

「成功者」が書いたHowTo本の類が大好きな人は、こういう言葉を真に受けて、「やっぱり凡人とは違う」と感心した挙句、心酔して「信者」になるパターンが多い。そして、「人の本質を見抜く目を養う10の方法」のようなタイトルがついた自己啓発本を○mazonで検索し、「お急ぎ便」で注文したりする。出版側もそのへんはよく心得ていて、その手の本が巷にはゴロゴロしている。

「カリスマなんとか」が何と言おうと、大抵のそれはギミックだ。その手の人達には、「レジェンド」「物語」が必要なのだ。カリスマ性や存在感を、さらに盛り立て、引き立てる為の道具・仕掛け・特殊効果―いわば「策略」。「成功者」は、「普通の人」であってはならない。彼らと「普通の人」を隔てる何か、その違いや差を見せつけるために混ぜ込んできたエピソード。そこに書かれていることを鵜呑みにしないほうがいい。それが「事実」かどうかは、本人にしかわからないのだから。

どういうわけか、世の中には「活字になったことは全部本当のこと」と信じ込む人が多い。だが、「活字マジック」に踊らされている自分自身を認識したほうがいい。「なりすまし」が横行するこの時代。著者の実体とはかけ離れた内容が書かれていることが当たり前になっている。見ず知らずの人間の、真偽も定かではない言葉を鵜呑みにせずに、自分で考え、自分で検証してみることだ。

なんだかんだ言っても、彼らや出版社の目的は「売ること」なのだ。いわば「商売」なのだから、利益の為には何だってする。多少話を盛るくらいのことは日常茶飯事だ。その手の話は5割引いて読むくらいが丁度いい。

人には、「承認欲求」というものがある。「周囲に認められたい、好かれたい」という思いを、形に多少の違いこそあれ、どんな人も持っている。余程特殊な考え方をする人を除いて、自分に良い印象を持ってもらおうと、人は努力する。いわば、全力で「いい人」を演じるのだ。特に初対面において。

「一番いい自分」を全力で演じている人から、「欠点」を探し出すのは難しい。相手は意図的に細心の注意を払って自分のそれを隠しているわけだから、容易にボロを出すわけがない。そんな状況で、「ひと目でその人の本質云々」は到底無理な話なのだ。

「人を見誤った」ということに対して苦い経験をした人というのは、今、自分が見ている部分だけが「=その人」だと思い込んでいる。それがそもそもの間違いなのだ。人はそれほど単純なものではない。

人は、幾つもの「顔」を持っている。「装う」「作る」は当たり前。本人が意図的に、もしくは無意識に隠している顔もある。「自分が知っているその人」「世間に浸透しているその人のイメージ」だけで、「この人はこういう人」と結論付けることは早急過ぎる。

「自分には人を見る目がある」と言う人を、私は信用しない。そこにあるのは、「過信」と「傲慢さ」だけだ。まるで「神の視点」を持ったかのように、相手のすべてを知った気になっているのだから。相手の中に「それ以外の可能性」が存在することを知った時、慌てたり手のひらを返したような態度を取る人は、大抵がこのタイプだ。自分が非常に短絡的な思考をする人間であることさえ、彼らは認識していない。自分のことを客観的に観られない人間の「人を見る目」など、所詮その程度だ。

「いつも人に騙される」とぼやく人も同様だ。私個人としては、この手のタイプが一番厄介だと思っている。この場合、責任の多くは本人にある。こういう人達は、過去の経験もあって、最初は非常に疑い深い。だが、安心感を感じる等、相手が自分が設定している「合格点」をクリアすると、途端に今までの距離を一気に詰めてくる。

その「合格基準」は、非常に単純だ。「自分が好ましいと思うような、望むような対応をしてくれたかどうか」最初は人を疑ってかかる割には、「自分の好き嫌い」「自分の都合」でしか物事や人を見ないという短絡さが、騙される云々の事態を招いているのだ。

彼らの多くは、「適切な距離感が掴めない人」だ。一度心を許すと、相手に非常に依存的になる。自分が一度「この人はこういう人」と思い込むと、他の一切の感覚や思考を閉じてしまう。最初の頃の反動で、「早く仲良くなりたい」「もっと仲良くなりたい」という気持ちも手伝って、焦って距離を詰めようとする。自分が見たいように見、思いたいように思うので、見逃したり勘違いする部分も多い。そんな状態では、彼らが言うところの「騙される=こんなはずじゃなかったのに」という事態が起こるのも、何ら不思議ではないのだ。

結局、彼らは「人に期待をしている人」なのだと思う。「今度こそ。今度こそは」という感じで。そして、その「期待」の根底にあるのは、多分「孤独」だ。孤独感から来る依存―それが彼らの目を曇らせる。その部分を自覚、直視してこなかったことが、望まぬ状況を招いてきたのだと思う。「騙される」「騙された」という受身の意識にしがみつくのは、ある意味筋違いだ。

「早く、短時間で、すぐに」と望む気持ちも理解できないわけではない。だが、それは、「楽に損なく」という計算高さの表れでもある。どんな形であれ、損得が最初にくる関係は、所詮その域を出ないと思う。「心を許せる友達がほしい」「信頼できる人と付き合いたい」と言いつつ、「でも損はしたくない。ムダな時間は使いたくない」というのも、ちょっと虫がいいんじゃない?と。求めるものが大きければ、対価もそれに見合ったものになる。質の高いものを手に入れるには、吟味する時間も待つ覚悟も必要なのだ、

「今見えている部分=その人」と思い込む人は、人を判断するポイントも断然甘いし、的外れなことも多い。例えば、「良いことをしているからいい人」「良いことを言っているからいい人」と、単純に思い込む。だが、悪人は善人のふりをする。笑顔で右手で握手している人が、背中に回した左手に刃物を隠し持っている可能性もある。悪人でも、「良いこと」はできる。例え、それが一時の気まぐれであったとしても。それがその人の「別の顔」。人間は、それだけ「複雑」なのだ。

「人を見る目」にこだわる人も、一度考えてみたらいい。「相手から見た自分」を。自分という人間が、相手にどう映っているのか?ということを。自分が相手を観察するということは、同様に「自分も相手から観察されている」ということだ。「自分には見えない自分」を、相手は見ている。

「騙されたくない」「傷つきたくない」「自分だけがいつも損をする」そういった、ある種の「被害者意識」を持つのは仕方ない。だが、果たして本当にそうですか?と。相手から見た場合、「被害者」とは違う顔が見えていたりする。

本性を見抜いてやろうと、相手の一挙手一投足を疑心暗鬼で凝視したり。何か魂胆が隠されていないかと、警戒心丸出しで、言葉の裏の裏まで探ろうとしたり。「本性が判明するまでは・・・」と、作り笑いで上辺だけの態度で接したり。

リスクを回避しようとする警戒心や他人に対する不信感は、得てしてそういった面を浮き彫りにする。相手からしてみたら、「なんだかやたら疑い深くて、全然本音を見せない人」になる。

だが、当の本人達は、そういった部分が自分の中にあることにまったく気づかない。彼らの焦点は、「被害者である自分」にしか向けられていないのだから。「騙される自分=自分は純粋」という思い込みを無意識の中に持っている彼らは、その「ポジション」を容易には手放さない。なぜなら、「純粋な自分に非はない」のだから。

「見抜きたい」のなら、「見抜かれること」を覚悟することだ。「人の本性は見抜きたいけど、自分が見抜かれるのは嫌だ」とか、そんな虫のいい話はない。相手にいろいろ求めるのは勝手だが、まずは自分のそれと向き合うべきなんじゃないの?と。

人の本質というのは、ある程度距離が縮まり、親しくなってから見えてくるものだと思う。「承認欲求による全力の演技」が落ち着いてきた頃、それは現れ始める。

図々しい頼みごと、礼節の欠けた振る舞い、人を舐めた言動、道徳に反した行為等、メッキが徐々に剥がれてくる。数週間後、数ヶ月後、数年後、数十年後―それがいつかはわからない。だが、相手に対して気を抜いた時、そこに表れた顔が、その人の「素」なのだと思う。その人の「もう一つの顔」。それを直視するかしないかは、自分自身の裁量だ。

人には、いくつもの「顔」がある。本人が意図的に、もしくは無意識に見せていたり、隠していたり。本人すら気づいていないものもある。それは、必ず複数存在する。物事もまた然り。今見えている部分だけが「すべて」ではないのだ。裏と表を同時に見ることはできない。

「人を見る目」とかいう、何だかよくわからないものにこだわるより、まず、「期待」を捨てて、相手をよく観なさいよ、と。一時の感情や思い込み、自分の都合や損得に流されないで、しばらく相手と付き合ってみれば?と。人との関係において、「早技」や「テクニック」は存在しないのだから。「馬には乗って見よ。人には添うて見よ」物事は、実際に経験してみないとわからない。

諸々の面倒臭さを含めての人間関係だ。綺麗なものばかりで人間も人生も出来ていない。それでも、「やっぱり傷つくのは嫌だ」とか「騙されたくない」と言うのなら、一切の人間関係を断って、人里離れた山奥か無人島にでも移住するしかないんじゃない?

そして、波風の立つ世界を厭いながらも「孤独」への覚悟も持てない。でも、「おいしいところ」は欲しがる―というその心根こそが、あなたの「裏側」なのだ。

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタ 樫田ミラに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。当方のブログの内容や表現を無断でそのまま用いる方、少々の手直しを加えて、自分のオリジナルのように装う方がいらっしゃるようですが、モラルを守ってくださるようお願い致します。

インターネット上の文章や画像にも、ちゃんと著作権はあります。著作権侵害に関する訴訟では、①被告による原告の著作物へのアクセス可能性(IPアドレスの調査等) ②被告の利用著作物と原告の著作物における表現の酷似性③原告の著作物の著名性、周知性といったことが立証されれば成立します。故意に侵害した場合には、10年以下の懲役または1千万以下の罰金が科せられます。



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自衛隊擁護派ですが、なにか?

 2016-07-07
先月、NHKの番組内で、「防衛費は人を殺すための予算」と発言した共産党の議員がいたが、もうバカじゃないかと。左翼の頭の中って、虫でも湧いてんの?自衛隊がいつ人を殺したんですか?創設から60年、1人も殺してませんけど?

この議員、国民をはじめ、多方面から発言を非難され、結局発言の撤回と謝罪をして、「政策委員長」のポストを退いたらしいが、もう遅いよね。公衆の面前で予期せぬ自爆をした共産党、今回の参院選が楽しみですわ。

こういう左翼ピーポーって、結局何が目的なの?と。日本という国や、国や国民を守ってくれる自衛隊を貶める発言がデフォだけど、「この国が嫌いだから」っていうレベルじゃないよね?日本を丸腰にして、その後どうするつもり?「忠誠心」「愛国心」という言葉が適切かどうかはわからないが、彼らのそれは、日本には向けられていないよね。日本国民でありながら、反日発言するとか。

特に政治家で反日とか、魂胆は何よ?と。内側から日本を本気で潰しに掛かろうとしていることを隠そうともしないのが怖いな、と。確かに「野党」は必要だが、根底に反日感情や意識がある場合、話は変わってくる。ルーツ云々を取り沙汰されることもあるが、政治家になるということは、少なくとも現在は「日本国籍を有する日本国民」なわけでしょ?日本国民が、自国の「国益」より、「転覆」「衰退」を推進させようとするって、完全に「異常」でしょ。

この政党、以前から「自衛隊は違憲だ!」とか「自衛隊は殺人集団だ!」とか騒いでいるが、自分達が属している組織と、その核になっている思想についてはどうなのさ?と。共産党と共産主義って、「世界で一番人を殺した集団と思想」なんですけど?それ、わかってます?

「本家」を見てご覧なさいよ。文化大革命で、一体どれくらいの人を「粛清」した?そんなバックグラウンドを持つ思想に傾倒している人間が、「人殺し発言」とかね。「あ゛?どのツラ下げて言ってんだ、ボケ!」って感じで、片腹痛いっすわ。全然説得力ないんですけど。

本家と同様、自分達にとって都合の悪いことは「なかったこと」にするんですか?脱線した高速鉄道の車両を、事故原因の調査もろくにしないで重機で穴を掘って土に埋めたり、ニセミッキーマウスやニセドラえもんがお出迎えしてくれる遊園地、「パクリーランド」が世界中から非難を浴びた時も、速攻閉園した国ですからねー。「血は争えない」ってやつですな。超ウケるんですけど。やっぱり頭の中、虫が湧いてるわ。

大体、自分達の国を守ってくれている自衛隊を廃止するとか、どこからそんな考えが出てくるわけ?それね、日本以外の国で言ってみ?売国奴扱いされるのは確実だから。「おまえはバカか?」って呆れられるよ?大体、防衛費ゼロの国なんて、世界のどこにあるわけ?「軍隊=戦争」っていうその短絡思考、見直したほうがいいよ。安保法を「戦争法案」とか言うこともね。

まあね、「自衛隊をなくせば戦争にならない」っていう左翼ピーポーの主張、ある意味では正しいよね。確かに戦争にはなりませんわ。自衛隊を廃止した後に有事が起これば、一方的に蹂躙されるだけだから。だって、同じ土俵に上がれないんだもん。片や武装した軍隊、片や丸腰なんだから。最初から勝負は決まってますがな。

国土のあちこちで、侵略国による破壊活動や虐殺、略奪が行われて、無抵抗のまま日本は終了ですわ。防ぐ術、抵抗する術を持たないんだから、それも当然だよね。左翼ピーポーの言うとおり、「戦争」は起こらないよ。「侵略」「占領」は起こるけどね。場合によったら「大虐殺」もね。

学生中心に構成されたおこちゃま左翼団体だっけ?「よその国が攻めてきたらどうするんだ?」という質問に、「話し合いで解決すればいい」とか言ったのは。話し合いって・・・。ホームルームかよ。ダメだこりゃ。学校のクラスの揉め事じゃないんだから。誰に知恵をつけられて、誰に資金援助を受けてるのか知らないけど、もう「政治活動ごっこ」は止めたほうがいいよ。

代表の子、「朝まで生テレビ」に出演した時、なーんにも発言できなかったよね?議論についていけてないのが明白で、なんか気の毒だったわ。「場違い」って感じで。初歩の初歩のレベルの政治用語もわからないで政治活動するって、やっぱり無理があるんじゃない?まあこの団体の背景を調べると、いろいろと出てくるので。手短に結論だけを言うと、「洗脳教育は怖いね~」と。

「自衛隊を美化するな!」と左翼ピーポーは何かにつけて言うが、私から言わせれば「非武装を美化するな!」ですわ。「戦わない=平和」じゃねーんだよ!と。

自衛隊はね、日本と日本国民を守るために存在してるの。確かに職務柄、「綺麗事」では済まされない部分も存在するかもしれない。だが、周辺に「侵略」や「戦争」の可能性をもたらす恐れのある国々が現実に存在するにもかかわらず、自衛隊の廃止や非武装を推進するって、一体何考えてんの?と。自衛隊がいなかったら、この国は終わりですよ?

「人殺しに守ってもらいたくない!」とか言うのは勝手だけど、自衛隊はね、自分達をそんなふうに言う人間でも助けなきゃいけないの。彼らだって、内心悔しくてやりきれない思いや怒りは絶対にある。自分達も命の危険にさらされる恐れのある災害現場に出動した時でさえ、そういった暴言を吐かれることも少なくないんだから。

でも、そういった諸々のことを自分達の中にしまって、彼らは黙々と任務を果たすんですよ。いくら「仕事」とはいえ、自分達をあれこれ言う人間のことまで自分が盾になって守るって、かなりの精神力と覚悟がないとできないよ?

もうさ、いっそのこと、左翼ピーポーは無人島にみんなで移住して、そこでコミュニティーでも作れば?独立国家にしちゃえばいいじゃん。日本国民でありながら反日なんだから、ちょうどいいんじゃね?共産主義思想とか左翼思想を元にして、新しい国を作りなはれ。「私達は軍隊を持ちません」「いつ、いかなる時も、日本の自衛隊の援助は決して受けません」とか憲法に入れてね。

自衛隊も助かると思うの。「人道的に」は別として、少なくとも「日本国民を守る義務」からは解放されるんだから。「自衛隊の援助は死んでも受けねー!受けたら憲法違反だー!」ということも、きちんと明文化しておいてもらったほうがいいね。そのほうが後々面倒臭くないと思うし。

有事の時は、「本家」や「お仲間」に守ってもらいなよ。災害時の瓦礫撤去も、建物の下敷きになった時の救出も、水や食料の調達も、全部そちらにお世話になったら?同じ思想を共有する「同胞」なんだから、多分なんとかしてくれるんじゃね?知らんけど。

先日、女芸人のイモトアヤコちゃんのテレビ番組内での発言が話題になった。「世界で最も幸せに暮らせる国」の第1位に南米のコスタリカが選ばれた理由は、「常備軍を廃止した国」「自然エネルギー先進国」である―ということを聞いた時、「どうして軍隊がないことが幸せ?戦争にならないから?でも、こっちが仕掛けなくても、もし向こうから来たときに、軍がないと『アチャー』ってなっちゃう・・・」とコメントしたのだ。

たまたまこの番組をリアルタイムで見ていたのだが、「そのとおり!」と。バラエティー番組特有のやり方で、その発言は結局「笑い」にされて軽く流されて終わってしまったのだが、ネット上で彼女を評価する声は多かった。

日本を出てみるとよくわかる。この国がいかに平和ボケしているかを。例えば、街中を警備中の警察官の銃の携帯方法にも、それは表れる。日本の警官は、拳銃を携帯はしているが、それは、常に拳銃本体が覆われた形状のホルダーに収められたままの状態だ。むき出しにはしていないし、手に持っている状態を見ることは、まずない。

外国の場合はまったく違う。以前、台湾に行った時、台北市街地の警備に当たっている警官は皆、自動小銃を構えた状態でいた。銃身は下向きにしてあるが、いつでも発砲可能な状態にある。「銃社会」であるアメリカは言わずもがな。スーパーのレジの列で、自分の前に並んでいる買い物客の腰に銃がある―なんて光景は当たり前。小学生の子供に、誕生日プレゼントとして銃を贈る親もいる。日本人には一瞬ぎょっとする光景であったとしても、現地の人は気にも留めていない。それが「差」なのだ。

相手が凶器を持った凶悪犯であったとしても、警察官が許されるのは威嚇射撃。相手に向けての発砲はギリギリまでしない―という日本にいては、「武装」に関してアレルギーを起こす人間がいても不思議ではないのかもしれない。だが、それこそが「平和ボケの証」とも言える。日本の外に出て、そこにいる人達と話してみ?「国防」「自衛」というものへの意識や捉え方が全然違うから。

先出の、常備軍隊を持たないコスタリカであっても、国家の非常事態には、国会の3分の2の賛成で、大統領が徴兵制と軍隊編成の権限を持つことになっているし、対戦車ロケット砲等、軍隊並みの装備を持つ、実質「準軍隊」の扱いがされている治安警備隊が存在している。「完全丸腰」ではないのだ。アメリカ軍駐留の影響も大きい。「軍隊がなくても大丈夫な国」の陰には、こういった「からくり」が存在している。

脳天気に「自衛隊を廃止しろ」「防衛費をゼロにしろ」「米軍を撤退させろ」とか、ただ単純に「戦争」という言葉から連想される要素に過剰反応して、それらをなくせばオールOKと考えている左翼ピーポーも、もっと現実を見たほうがいい。

万が一、あなた達が要求していることが実現した場合、速攻で攻めてくるよ、日本の近所の幾つかの国が。明確な悪意を持ってね。その時、あなた達はどうするの?あっさり捕虜にでもなるんですか?それとも「いえね、実は私反日なんですよー。あなた達の同志ですぅ~」とか擦り寄って、その国の「準国民」にでもしてもらう?

戦争なんて、誰が望むよ?原爆を2つも落とされて、あちこちを空襲で焼け野原にされて、一時は再起も危ぶまれた状態になった歴史を持つこの国に生まれた人間なら、平和のありがたみは多かれ少なかれ感じているはずだ。内戦や紛争状態にある国々の映像を見て、どんなに自分達が恵まれている環境にあるか、それもわかっている思う。だが、それも踏まえた上で、「有事発生の際に日本を守る手段・組織」は必要なのだ。

左翼ピーポーの主張は極端過ぎる。「戦争はよくない!」「そうですね。そのとおりです」「だから自衛隊は廃止しろ!」「なんでやねん!?」ってなって当然でしょ、と。自衛隊を廃止した後、どーすんの??大体、一番大事な「because」「therefore」の部分が非常に曖昧且つ感情的過ぎる。「軍隊=戦争」という短絡的な思考が、もうね・・・。

主張するのは結構だが、もう少し肉付けしてください。あなた方の言っていることは、「これほしい!よこせ!」と言っているのと同じレベルです。理屈の通じない3歳児じゃないんだから、もっと頭を使ってください。お子さんが自衛隊にいるお母さん達が、「子供を戦地に行かせたくないから憲法改正反対!」って言っているのとは訳が違うんですよ。片や、我が子を思う純粋な母ごころしかないんでね。確かに、時として「感情」が政治を動かすきっかけになることもある。でも、それだけじゃ「議論」にならないでしょ?

「自衛隊を廃止しろ」というのなら、「その後」についての具体策を出してください。騒いでる割に、なんも考えてないやん。ホンマ、そこんとこ頼みますわ。言うだけならなんとでも言えるんで。あなた達が批判される理由は、そういうところにもあるってことを認識してください。

件の「防衛費は人殺し予算」発言をした議員、顔を拝んでやろうと本人のサイトを見てみたが、プロフィールに、「世界20カ国を訪問し、国際感覚を磨く」という一文があった。

は?20の国を見てきて、このレベル?実際にどこの国を見てきたの?まさか、全部自分達と同じ思想を持つ国じゃないよね?それだったら、この短絡的で幼稚な思考や発言も納得がいくわ。一体何を見てきたの?当然、「日本人として」「政治家として」現地の人達とあれこれ話してきたんでしょうね?具体的に、「日本人として」「政治家として」訪問先で何してきた?そうじゃなかったら、「ただの観光旅行」やん。

口先だけの政治家という職業は、これだからたちが悪いのだ。単なる物見遊山の海外旅行を、「国際感覚を磨く」とか堂々と言い切るんだから。それにね、数行けばいいってもんじゃないんですよ。上っ面だけサーっと流した程度のものなら、「その国を知った」ということにはなりません。この程度で磨かれる国際感覚なんて、まあたかが知れてますわ。利用できるものは何でも利用するというこのスタンス。THE政治家!って感じだね。

本人達は、「自分は日本を動かしてるエリート」くらいに思ってるんだろうけど、所詮は「傀儡」。肩書きが取れたら「一般人」だし。それに、有事の際、政治家が最前線に立って武器を持って敵と戦うことはないし、災害時、生き埋めになった人を腰まで土砂に浸かって24時間体制で救助したり、瓦礫の撤去をしてくれるわけじゃないんで。

スーツ着て国会に行って、空調の効いた部屋であれこれ好き勝手言って、たまに居眠りして・・・楽でいいね。政治家にこそ、1年に2回、1週間程度の自衛隊への訓練入隊を義務付けしたほうがいいんじゃないかと。たるみきった精神と体を鍛え直してもらったら、少しはマシになるんじゃない?

いつだったか、「朝まで生テレビ」で自衛隊肯定派と否定派が、喧々諤々やり合っていたが、その場に同席していた自衛官が意見を求められて、「こういう自由な議論をできる環境を守るのが我々の使命です」みたいなことを言った時、一瞬その場が静まり返ったことがあった。

もうね、その言葉で、それまでの議論の内容は全部すっ飛びましたわ。この強い覚悟と使命感、意志の前では、どんな言葉も意味を成さない。自衛隊は「軍隊」ではないので、彼らを公然と「軍人」とは呼べないが、あの人達は、立派な「日本国の軍人」ですわ。芯の通った「侍」であり、日本男児で、大和撫子ですよ。

PKOで派遣された先の国で、現地の人達に「帰っちゃイヤだ!デモ」をされるなんて、自衛隊くらいですよ?同様に派遣された他国軍が、「ど、どーゆーこと!?なんで自衛隊ばっかり愛されるわけ!?あいつら何かしたのか!?」と驚愕したくらいなんで。その他の国の軍隊には「ふん!( `ω´ )」「つーん!(♯`∧´)」状態の現地の人が、自衛隊には「自衛隊さん♥(*゚▽゚*)」とか、そういう光景が当たり前だったとか。

私の「アメリカのお父さん」であるギルは、アメリカ海軍の司令官だが、同じ軍人として、自衛隊と自衛官を非常に高く評価している。日米合同演習等の際、同盟国の人間として友好的に振る舞いつつも、でもどこかでは日本人をナメて見ていたアメリカ人兵士も、実際に自衛隊の能力や自衛官達の立ち居振る舞いを目にすると、態度がガラリと変わると聞いた。

この「態度を変える」というのが、良くも悪くもアメリカ人のデフォルトなのだが、それが「良い方向に変わる」ということは、自衛隊に対する彼らの尊敬や感嘆が「本物」だということだ。

多くの日本人は勘違いしているが、先進国と言われても、欧米からしてみれば、日本人は「所詮アジアの黄色いサル」なのだ。白人種による価値観が幅を利かせる欧米では、日本人を含むアジア人、いわゆる「有色人種」は未だに「自分達より劣った存在」でしかない。彼らが「劣った存在を認める=自分達の価値観を覆す」ということは、そこに「自分を揺り動かす強烈な何か」があったということだ。それが「渋々」であったとしても、「認めざるを得ないもの」が確実にあったのだと思う。

「組織としても、軍人としても、人としても、彼らは一流だ。尊敬すべき人達だよ」と、事あるごとにギルは言う。私が知っている他のアメリカ軍関係者も全く同様。司令官以上の、いわゆる幹部クラスの人達ほど、その傾向は強い。「士官たるもの紳士たれ」をモットーに任務に就いている人達の言葉に、同じ日本人として誇らしさを感じる。

それなのに・・・他の国の人達がこれほど評価してくれている自衛隊を、どうして自国民が「暴力装置」だの「人殺し」だの言って貶めるかね?国や国民を守る仕事に就いている人達が、これほど低く評価される国ってどーよ?なんかおかしくね?

右翼思想と言われようが、「自衛隊を美化するな!」と言われようが、私は全力で自衛隊を支持するね。だって、「日本人」だもん。この国の陸・海・空を守ってくれている彼らには、感謝の念しかありませんわ。

「自衛隊なんか要らねー!」とか言ってるピーポー、私からすれば、あんたらのほうが「要らない」んだよ。「反日」「嫌日」が根底にある左翼は不要です。それって、「平和主義者」とは言えないんでね。やっていることは「売国」です。そして、あんたらがギャーギャー言っているこの瞬間も、その「大嫌いな自衛隊」に自分達が守られてるってことを忘れんなよ?

ええ。私、自衛隊擁護派ですがなにか?

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アポステリオリ

 2016-07-01
「きっかけがほしい」「きっかけがあれば」何か行動を移す際にそう言う人がやたらといるが、何か思い違いをしてませんか?と。

「今の自分の状況を変えたい」と思っているなら、「きっかけ」なんて必要ない。自分の中に、既に「こうしたい。こうなりたい」という「希望」や「目標」があるのだから、それで十分ではないか。行動するための理由や動機は揃っているのだから、後は実現に向けて、やるべき必要なことをさっさと実行したらいい。そこまできていながら、「きっかけがほしい」とか。何言ってんの?と。

彼らが言うところの「きっかけ」は、いわば、後押ししてくれる何か―行動に移すことを躊躇っている自分を、「よし!やろう!」と実際に腰を上げる気持ちにさせてくれるような、覚悟を決めさせてくれる出来事やストーリーを指しているのだと思う。

そこにあるのは、どこか他人事めいた、運任せのような、「他律」の響きだ。自らは動かずに、それがあちらからやって来ることを期待している―そういった虫の良さのようなものが感じられる。それは、自分自身の現状や行動、思考を変える時でさえ、その手がかりや弾みとなるものを、「自分の外」からもたらされることを望んでいるということだから。

結局、「きっかけ」という言葉が、「逃避」の手段になっているのだ。「きっかけ」なんていうものは後付けだ。「そういえば・・・」と、後々になって気づくもの。時々、「やりがいのある仕事を見つけたい」と中二病をこじらせた本末転倒なことを言う人がいるが、それとまったく同じ理屈だと思う。

仕事は仕事であって、やりがい云々は、実際にその仕事に就いて、続けていくうちに感じていくものだ。「やりがいがあった」と、後々になってから思うもの。「仕事」に「やりがいのある」という形容詞を付けるのは自分自身だ。「きっかけ」についても、それは同じ。「運命の人」とか「運命的な出会い」もそう。最初から付随しているものではないのだ。

公私にわたる経験から言わせてもらえば、それにこだわる人や期待する人は、その「きっかけ」、もしくは「後にきっかけとなる可能性のあるもの」と直面する機会があったとしても、結局それを自分のものにしない。その言葉にしがみついている割には、いざとなると及び腰になるのが常だ。そして、あれこれもっともらしい理由をつけてお茶を濁し、次のきっかけとやらを探しに向かうのだ。

彼らは、結局依存的なのだ。いわば「他律の人」。自分の意志ではなく、誰かや何かの命令や束縛によって行動する人。だから、自分以外の誰かや何かからの刺激がないと動けない。ある意味「不精」でもある。その手の人達を観ていて思う。彼らにとって、「思い」は「燃料」にはならないのだ。「主役」がすり替わっている本末転倒な状態に自分があることにさえ気づかない。

「何やってんの?何がしたいわけ?」と。結局、今までそうやって逃げてきたんでしょ?自分の怠慢や意気地のなさを「きっかけ」という便利な言葉で誤魔化して。自分のやる気スイッチを押してくれる何かをウロウロ探している暇があったら、自分からさっさと動けよ、と。「行動」より先に「きっかけ」が来ることはないのだから。

「ドラマチックな」とか「運命的な」とかいう形容詞がつく転機がやってくるのを期待しているヒマがあったら、行動しなよ。それが、探し求めている「きっかけ」とやらに近づく方法なんだから。いい加減認めれば?今までも「きっかけがー」とか言いながら、結局グダグダウジウジ何もしないで、チャンスもタイミングも潰してきたのは他ならぬ自分自身だって。

御託並べて「欲しい欲しい」を連呼するのは勝手だけど、そんなにほしけりゃ自分で作ればいいんじゃないの?雨に濡れることは嫌がるくせに、虹が出ることは期待するとかやめてくれる?それって超あさましい考え方だから。はっきり言うけど、「卑しい」よ。変化やリスクや掛かる手間にビビって進めない自分を、もっともらしい言葉で正当化する「狡さ」もね。言い訳に終始するその様子はね、ズバリ言わせてもらうけど、「美しくない」んですわ。潔くないその姿を、「不潔」と言います。

まあ、とりあえず「きっかけがない」とか言っておけば、「動かない自分には、動きたくても動けない理由があるんです」って、自分にも周りにも言い訳できるもんね。「自分は悪くないもん!きっかけが見つからないのが悪いんだもん!」ってね。そう言われれば、みんな何となく納得するやん?「なんかよくわからないけど、そうなのね」って感じで。便利な言葉があってよかったね(にっこり)。

経験から言わせてもらうが、人間、本当に手に入れたいものがあるのなら、「きっかけ」なんてものに囚われたりしない。「どうしたら手に入れられるか?」本気だったら、その方法を考えたりするけどね。「きっかけがー」に終始する人は、「手に入れる方法を考え始めること」にさえ、きっかけを欲しがる。なにそれ。意味わかんねーし。なんでそーなるわけ?

こだわった挙句何もしないのは、結局のところ、「これじゃなくてもいいや」というレベルのものなんじゃないの?違う?「そうじゃない」って言うのなら、四の五の言わずにさっさと動けよ!非現実的なおとぎ話やドラマが起こることを期待するヒマがあったら自分自身に期待しろ!いつまでも自分の人生から逃げ回ってんじゃねーよ!

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