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戦力外

 2016-06-10
コンプレックスの強過ぎる男は面倒くさい。少なくとも、私は苦手だ。職業柄、そういった人と接することもある。だが、その手のタイプは、プライベートでは可能な限り全力で回避することにしている。

男の抱くコンプレックスは、女には容易に理解しがたい。完全に異質なもの。理解不能、手出しできない部分に強く執着している人に対して打つ手はない。経験から、持て余して嫌気が差すことがわかったので、それ以来ムダなところにエネルギーを注ぐことはしないと決めている。

男は相対評価の生き物だ。常に自分を誰かと比較している。相手との比較によって、自分のポジションやレベルを知るところがある。「男ってめんどくさいわー」と思う部分でもあるのだが、女とは違い、男のコンプレックスは、「自分はヒエラルキーの外にいる」という疎外感が根底になっている。

未婚か既婚か、バツありかなしか、学歴や勤務先、年収や役職、身長の高さやルックスの良し悪しといった「スペック」を含め、「自分はそこに到達してない。属していない」という自信のなさが、その大部分を占めているのではないかと思うのだ。

数年前、あるドラマがきっかけで、職場や学校等複数の人間が集まる場で、相手(のレベル)が自分より上か下か、いわゆる「優劣」や「順位」をつけたがる「マウンティング女子」という言葉が流行った。「マウンティング」という行為は、サルやオオカミの群れをはじめ、集団で生活する動物の世界で見られる行動だ。人間も所詮は「動物」。彼らと同じ行動をしても何ら不思議ではない。

きっかけとなったドラマの内容が、ファッション業界に生きる女性達の話だったこともあり、「女子」と限定されてはいるが、実際のところ、女より男のほうが「マウンティング」に対する意識は敏感で強い。「生き物」としての、「オス」としての本能、性質、特徴―いわゆる「さが(性)」に強く関係している部分なので、これも当然のことではある。だが、人間のオスの場合、野生動物のような「力」だけでは決着がつかないことが多い。生きている世界が複雑なので、それに伴う様々な要素に左右される部分が厄介なのだ。

男達の会話を聴いていると、結構「微妙な小競り合い」をしている。身につけている腕時計やスーツのブランドから自分が任されているプロジェクトの大きさや内容に至るまで、「あくまでも世間話のレベル」を装いながら、さりげなく相手の「レベル」を推し量り、自分のそれと比べている。

自分が負けた場合、その悔しさをあからさまに表すことはなくとも、自分の中にあるスコアブックに「負け 1」として確実に記録しているのだ。そして、その後の勝負が10戦10勝だとしても、過去の「負け 1」は、決してチャラにはならない。あくまでも「負け」として永遠に記録され続ける。

女の場合、良くも悪くも図々しい生き物なので、10敗の過去を1勝で忘れることができる。「たった1回でも相手に勝ったという事実」のほうが大事なので、男のように「勝ちは勝ち、負けは負け」という執着の仕方はしない。「負けた!悔しい!でも、この部分は私のほうが勝ってるもん!」という思考をする女には、「過去の負け」はどうでもいいのだ。

だから、女は物ともせずに「上」を目指す。「玉の輿」がいい例だ。「分相応」という言葉に、いろいろな意味で鈍感な女という生き物は、「たった1勝」であったとしても、自分には「レースへの参加資格」があると思うのだ。

だが、同じ状況にあったとしても男は違う。「不釣り合い」という言葉に敏感な生き物である男は、冒険しない。自分に相応且つ「確実に手に入る」と思ったものにしか手を出さない。「逆玉(の輿)」という言葉には、本来手の届かない「そこ行っちゃう!?すげー!!」というレベルに敢えてチャレンジし、それを手に入れた男に対する賞賛とやっかみが混在した複雑さがある。

女からすれば、「総合優勝でなくてもいいじゃん。区間優勝でよくね?」と思うのだが、永遠に勝敗記録を残す男には、その発想はないらしい。「すべてにおいて相手を上回りたい」という思いが、良くも悪くも男を縛る。「負け続けの男」であれば、尚更状況は悪くなる。その結果が、「コンプレックス」なのだ。面倒なことに、男自身が乗り越えたと確信できない限り、それは決して覆らない。そうして、「自信のない卑屈な男」が誕生することになる。

「強過ぎるコンプレックスを持つ男」というのは、ある程度の年齢に達した女からすると、ひたすら面倒な存在でしかない。つきっきりで褒めて、励まして―自分が「母親」にならなくてはならない男は、「オス」として見られない。20代や30代前半等根拠のない自信に満ちている世代にいる女の子や、気力体力に溢れている姐御肌の甲斐性のある女性なら、「私がなんとかしてあげる!」とばかりに張り切って、上手におだてて・・・ということも出来るのかもしれないが、私は「ごめん。パス。」と言わせてもらう。

大体、世間で言う「いい歳」になってまで往生際が悪いではないか。「いい加減、手持ちの札で勝負する覚悟を決めろよ!そうこうしてるうちに人生終わるぞ!」そう思う。

その手の男は、大抵の場合「かまってちゃん」と相場は決まっている。毎日メールや電話をしたがったり、頻繁に会いたがったり。常に誰かがそばにいてくれないとダメな人。「ロマンチスト」を自称するのも、「優しい人アピール」もデフォルト。「しつこさ、押しの強さ」を「情熱」と勘違いし、相手のペースや気持ちを考えず、ただひたすら自分の思いをぶつけてくるような、いわゆる「重い男」が多い。

だが、その「優しさ」が、「弱さ」や「依存」「包容力の低さ」からくるものだと女は知っている。そして、その先に必ずある「束縛」も。女に「救い=逃げ道」を求めてまとわりつく男は、自分の人生を全力で楽しんで、走っている女には、はっきり言って「邪魔!」なのだ。「女が彼らを選ばない理由」はそこにある。

「コンプレックスの強い部分も含めての自分を受け入れて、好きになってくれる人がいい」とか臆面もなく言う男が最近増えているらしいが、なんだかなー・・・。「ありのままの自分」とか、アナ雪かよ。「ダメな自分を変えようとする努力」もせずに、開き直って丸投げですか?なにそれ。何様?ちょー虫が良すぎるんですけど。

「気は強いけど、本当は甘えん坊で寂しがり屋だよね」とか、ボクだけは「本当の君」をわかってるよ的な言葉と共に、したり顔で近づいてくる男もいる。こういう男は、完全に女を舐めている。多分、過去の経験から、その手の言葉の有効性を知ったのだと思う。特に、普段から「私、健気にがんばってます!アピール」の強い、「本当の私を誰もわかってくれない」とメソメソしている女には効くかもしれない。だが、その殺し文句が不発に終わる女もいる。女は皆一様ではないのだ。それを全然わかっていない。

多分、その男は今まで「そういう女としか付き合ってこなかった」のだと思う。結局、「甘えん坊で寂しがり屋の女」が好きなのだ。「依存的な女」はコントロールが可能だし、自分から離れる恐れはないから。見当はずれの自分の理想を無理やり重ねて押しつけてきたり、中二病をこじらせている暇があったら、京大の山中教授に頼んでips細胞からそういう人作ってもらえば?と。

自信のない男ほど、「女を自分より下(のレベル)」に置きたがる。この国の男が古来より「若い女=年下の女」を好んできたのは、子孫繁栄のための本能よりも、「年齢が若くて何も知らない女のほうが何かと都合がいいから」という「計算」のほうが優っているからだ。

実際、学歴や年収等、女の能力が自分のそれを上回るのを嫌がる男は多い。そういった意味では、この国の男達は「自信」など持ったことはないのかもしれない。「自立した強い女」を避ける傾向は、男の自信のなさに比例する。意外と「男尊女卑」の真の意味は、こういう部分に隠されているのかもしれない。

最近の「草食系男子」とか、その誕生の経緯についていろいろ言われてはいるが、結局のところ、同性との戦いに疲れたり、それによって淘汰された結果・・・というのが本当のところではないかと。どんな形であれ、そこから「降りた」ほうが楽なのだから。「勝負」って、何かと疲れるしね。違います?

男に限ったことではないが、「卑屈さ」というものは、確実に表に出る。ふとした瞬間、ちょっとした一言に、ちょっとした目の動きに。女から見た場合の男のそれは、多分同性から見たものよりも、遥かに的を射ていると思う。それは、「メンタル、フィジカル共に強い男の遺伝子を得たい」という生き物としての本能からのものだ。いわば「生存」に関わることなのだから、「弱い男の遺伝子」を欲しがる女はいない。自分を守ってくれるかどうかも定かではない男を信じるほど、女はお人好しではないのだ。

少なくとも、自分の中のコンプレックスや弱さを十分認識した上で、それでもそれを跳ね返そうと、克服しようと努力を惜しまない男でなければ、同性との戦いで同じ土俵に立つこともできないし、女の選択肢に入ることもない。不甲斐ない自分を守るための言い訳に終始して、すっかり慣れ親しんだぬるま湯から出ようともしない、すぐに崩れるような豆腐メンタルの男は、「それ以前」の問題なのだ。

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタ 樫田ミラに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。当方のブログの内容や表現を無断でそのまま用いる方、少々の手直しを加えて、自分のオリジナルのように装う方がいらっしゃるようですが、モラルを守ってくださるようお願い致します。

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クオリア

 2016-06-03
アザラシやシャチ等、天敵がいる海に一番先に飛び込むペンギンには、当然危険が伴う。だが、そのハイリスクは、ハイリターンの可能性も同時に秘めている。危険を冒して真っ先に海に入った分、群れの仲間達よりも多くの餌を得ることができるのだ。そして、ファーストペンギンによる「安全確認」が完了すると、他のペンギン達がその後に続く。

「人が持っているものは自分も持ちたい」という欲求が強い人は、「自分が持っていないものを持っている人」に対し、強い妬みや不公平感を抱いている。だが、大抵の場合、そういった人は「ファーストペンギンになりたがらない人」だ。

セカンドペンギン、サードペンギンといった、「様子見の後に飛び込む他のペンギン」の思考やスタンスなのだ。はっきり言うが、「ずるいよね」と。ファーストペンギンが苦心惨憺して道なき道を切り開いていく様子を見て、そのやり方を真似して、時間もエネルギーも大幅に節約できるのだから。良く言えば、慎重なタイプ。同時にそれは、自分の思いやオリジナリティーよりも、「失敗しないこと」「利益優先主義」を選ぶ人の特徴でもある。

だが、この手の人達は厄介だ。ファーストペンギンが得たものと同等のものを自分も手にしないと満足しない。さんざん模倣した挙句、それさえも棚に上げて、「今以上」を要求する。自ら努力を放棄しながら、「二番煎じ」では満足しない―そういった矛盾した貪欲さがある。そして、ファーストペンギンが何か新しいやり方、うまい方法を持っていないかと、常に鵜の目鷹の目で、その様子をこっそり窺っているのだ。

その姿を視界の隅に認めながら、ファーストペンギンは思う。「楽しようとするなよ」まったく変わらない相手の思考回路に、呆れると同時に感心をする。だが、ファーストペンギンは、もはや相手を見てはいないのだ。意識の中に、既に相手はいない。「どうでもいい存在」に興味はない。目と意識を向けるのは、自ら率先して海に飛び込むことを厭わない気概のある者だけだから。

誰かの後にしか続けない者、誰かの真似しかできない者、虚構にしか生きられない者―執拗ににまとわりつこうとするそれらを優雅に躱し、ファーストペンギンは静かに笑う。自分を止められる者はいないのだ。もはや自分自身でさえも。それでもいい。自分が見たいのは、「まだ誰も見たことがない景色」だから。「決めたから行く」ただそれだけのことが自らを突き動かす原動力になることを信じられない者達からの理解など不要だ。

そのペンギンは、今日も海を望む崖の上に立つ。水平線の彼方にあるものを確かめるために。自分の背後にひしめき合い、こわごわ様子を伺う群れ成す者達を振り向き、ふわりと笑みを浮かべた後、鮮やかに、躊躇いなく海に身を躍らせるのだ。

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタ 樫田ミラに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。当方のブログの内容や表現を無断でそのまま用いる方、少々の手直しを加えて、自分のオリジナルのように装う方がいらっしゃるようですが、モラルを守ってくださるようお願い致します。

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ネフィリム

 2016-06-01
2020年開催の東京オリンピックとパラリンピックのロゴ盗作疑惑で騒動になったデザイナーの身内が、殺到するマスコミ陣にキレ気味に言っていた。「一つミスしたら、すべてダメになるんですか!?」

一回ね・・・。確かに。この国は「失敗者」に対して冷たい。敗者復活が難しい国だ。こういった時、よくアメリカが引き合いに出されるが、勘違いしてはいけない。「失敗」に比較的寛容なアメリカであっても、道徳や人道、倫理に反することをすれば、日本以上に叩かれる。「ネクストチャンス」を求めるのなら、自分が行ったことに対するけじめはきっちり取らされる。世間の非難や批判を真摯に受け止め、腐らずに「制裁」を耐えた者だけが、「次」を許されるのだ。

「自由と平等の国」「チャンスの国」を謳う国であっても、「人の目」は変わらない。イメージとは違い、アメリカは「体面」「体裁」を重んじる国だ。表向きは許し、再び迎え入れたように見えたとしても、「ああいうことをした人」と冷ややかに、あからさまに侮蔑の態度を取る人もいるし、コミュニティーからの追放といったケースもある。そういった逆風に耐えられず、転落の道をたどる人も多い。マスコミを通じて報道されるような幸運な例は、実はごく一部だ。一度貼られたレッテルは、そうそう容易くは剥がれない。

「たった一回」とデザイナー側は言うが、たかが一回、されど一回。それが「一回」の重みだよ、と。一回だろうが、二回だろうが、回数が問題なのではない。「人のアイディアを盗用する」ということを選択する、その心根が問題なのだ。誰かが精魂込めて作り出した「一回」を、平然と自分のものにするような、その影にある努力や時間を軽視するその姿勢が問われているんでしょ?と。「やらない人」は、その「一回」でさえやらないのだから。

その存在も未だ不明なナントカ細胞を研究していた女性研究者やゴーストライターに曲を作らせていた作曲家も同様だ。結局、彼らは「自分の欲望に負けた人達」なのだ。己の利益しか考えない、そのためには、人を踏み台にすることを躊躇わない人達。今の世の中、有名無名問わず、そういうタイプの人間が至るところに存在している。

先日、米シカゴ大学の神経生理学者達が、「善人の脳の容積は、悪人のそれよりも遥かに大きい」という研究論文を学会誌に掲載した。実験には226人の有志が参加。コンピューターでの脳の断層撮影の結果、「悪人の脳」は「善人の脳」に比べ、かなり小さいことが判明した。更に「性格の悪い人」は、脳内の灰白質もかなり小さいことがわかったという。「脳が小さい人の”悪さ”は生まれつきのものであるため、悪人であることに責任がない。悪人になるかどうかを左右するのは、躾ではなく、すべては生まれ持った”性質”に起因する」という結論に至ったらしい。

反対を唱える他の神経生理学者達からは、「データ数が極少のため信憑性に乏しい」との見解が出されたようだが、私個人としては、深い興味を覚えると同時に、「これが核心なのでは?」と思うのだ。人の性格や気質といったものに日々向かい合う仕事をしている者からすれば、「脳の構造上の違い」という説明は、「やっぱり」と十分納得できるものだ。「なぜ?」の部分が、それによって氷解する。

人の「本質」というものは変わらない。例えば、同窓会で、数十年ぶりに昔の同級生と会ったとする。当時と多少雰囲気が変わっていたとしても、しばらく話しているうちに、「やっぱり変わってないな」と感じた経験をした人は多いと思う。その部分が、「本質」なのだ。言い換えれば「魂、意識」の部分。生来備わったもの、持って生まれたものは、深みや濃さを増すことはあっても、まったく違う色に変化することはない。

盗作者が、いくら自分の行った行為を後悔し、二度と同じことをしないと誓ったとしても、「再犯」の可能性は50%だ。するかしないか―どちらかしかないのだから。50%の確率は永遠に続く。心は当てにならない。それは、きっかけ次第で一瞬で覆る不安定で脆いものだ。何かの拍子にスイッチが入れば、ベクトルは簡単に反対方向に向く。

何よりも、「過去にそれをした」という経験が、意識の中に存在している。いわば、「楽をすること」を脳が覚えているのだ。自分では考えず、人のアイディアを盗み、利益を得ることの楽さを、脳が知ってしまっている。覚醒剤中毒者のそれとまったく同じ。良い悪い関係なく、「選択肢の一つ」として、意識の中に定着している。一度でもそれに親しんだことがあれば、それは「タブー」として認識されなくなる。「ハードル」が格段に低くなるのだ。実際、件の彼らも「一回」で済んでいないことがそれを証明している。

こういった人は、おそらく子供時代からその兆候はあったはずだ。似たようなことを、かなり以前からやっていた可能性がある。読書感想文やドリル等夏休みの宿題を、何かや誰かのものから丸写しして、平然と提出したりとか。些細なレベルであったとしても、「バレなかった」という経験の積み重ねが、余計に「楽をして得をする」という旨味に対する欲求を増大させたのだと思う。

行動には、必ず「きっかけ、動機、理由」がある。彼らのそれが、生まれ持っての「本質」からのものか、「経験」からのものかはわからない。だが、「それについて考えること」と「それを実際に行動に移すこと」は別物だ。はっきり言えるのは、彼らの「自制心」は、容易に「欲望」に凌駕されてしまう程度のもの、ということだ。

多分、これからも、「誘惑」は彼らを事あるごとに襲う。形を変えて、それは繰り返し何度もやって来る。たった一度のことだったとしても、「堕ちた者」は、永遠に戦い続ける運命にある。「一回」に対する「代償」は、それほど重いのだ。そして、それは彼ら自身の選択がもたらした「結果」でもある。

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