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エソラゴト

 2012-09-01
「嘘も百回繰り返せば真実になる」という言葉があるが、「スピリチュアルという名のオカルト教」や「常にポジティブ!自己啓発教」の狂信者・盲信者を観ていると、まさにその通りだと。

後に付き従い、言われた通りに行動する人―いわば「追随者」である彼らは、リーダーや教祖の言動を模倣することから始める。教祖が「一日に『ありがとう』を千回唱えなさい」と言えば、カウンター片手にいそいそとそれに取り組み(実話)、「すべては愛なのです。光なのです」と言われれば、「そうなのよ!すべては愛と光なのよ!」と思い込む。

それらを有り難がり、事あるごとに自分に繰り返し言い聞かすことで、段々「その気」になっていく。彼らはそれを「覚醒」と呼ぶ。だが、それは「洗脳による思い込み」だ。「洗脳」は、「繰り返すこと」で定着していく。本人自身がそれを望み、信じ、受け入れる準備が整っていれば、更にその状態は深くなる。

典型的な例は、20年前、東京の地下鉄にサリンを巻いたオウム真理教。「修行」と称した彼らの道場内での様子を見れば、それは明らか。「ひたすら繰り返す」その行為が、「自分」を消していく。

だが、所詮は「思いこみ」。化けの皮は何かの拍子に簡単に剥がれ落ちる。「本来の自分」が所々で顔を覗かせる。「言動の矛盾」という形を取って表れる。そして、その「本来の自分」はやっぱり何も変わっていないのだ。啓発はされるものの、実態はまるで追いつかない―それが彼ら。それが「自称覚醒者」の実情なのだ。

何かや誰かの「信奉者」「崇拝者」「賛美者」「狂信者」「取り巻き」「子分」「手下」となる人達―「追随者」は、基本「依存体質」だ。大抵は「自分に自信がない人」。思考、感覚、経験―そういったものを含め、「自分がすること」「自分の中から生まれるもの」を信用できない。常に「これでいいのか?」「これで正しいのか?」という不安を抱えている。自分の中に「確固たるもの」が存在しない。結局、「自分という人間を信じていない」のだ。

そんな彼らには、「縋るもの」が必要なのだ。強いリーダーや教祖、マニュアル、バイブル―。「こうしなさい」「こうするべき」有無を言わさず自分を従わせてくれるものを常に求めている。「自分を信じていない人達」には、そのほうが断然楽なのだ。自分の思考ややり方に、いちいち不安を感じなくて済む。今まで苦痛だったプロセスが、「従うこと」で解消できるのだから。思考や行動を含め、「すべて」を完全に他者に委ねることで、解放感や安堵感を得ることができる―世の中には、そういう種類の人達もいるのだ。

「この人の言うことを信じていれば大丈夫」「これをしていれば大丈夫」彼らにとって、そこで得た「安心感」は何物にも代え難いものだ。「正しい答え」「正しいやり方」がやっと見つかったのだから。「自信がない人」にとって、それは「命綱」にも等しい。だから、それを手放すまいと必死になる。「同調」することよって、安定したその状態を保とうとする。

「自分に対する不信感」が強い人ほど、「同調」の程度が激しくなる。そこに理屈や理由は存在しない。時に理性を失うほどに、異常なまでにそれを「正しい」「真実」と信じ込み、執着する。「盲信度」と「狂信度」は、その人の「自分への不信度」と比例している。「平信者」から「宣教師」になる人ほど、その傾向は強くなる。

盲信や狂信から生じる「同化願望」から、リーダーや教祖の言動を模倣し、それを繰り返すようになる。そこから「洗脳」が始まっていく。「自分は、教えを完全に理解している」「これこそが真実だ。真理だ」そう思い込んでいく。そこに自分自身による体験や思考、検証が一切伴っていないにもかかわらず。

「教える」「伝える」「伝授する」盲信者や狂信者達は、そう言って、リーダーや教祖の教えをブログやサイトで広め始める。「これは真理なのです!」それが果たして「本当のこと」なのか、確証もなく、検証もされないそれを声高に叫ぶ。中には、まるで自分自身がその教義の提唱者本人であるかのように振舞う者もいる。これも、「百回繰り返した挙句の果て」なのだ。

だが、所詮はただの追随者であり模倣者。自身で体得したものでないそれを語っても、まったく説得力がない。それを「真実」「真理」だと言うのなら、自分の「思考」と「体験」、そこに至った過程を語ってみろ、と。それが出来ないのであれば、自分が「真理」「真実」だと思っているものは、結局は付け焼刃、模倣、洗脳の果ての思いこみでしかないということだ。「実感」の伴わないそれは、単なる絵空事でしかない。

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。当方のブログの内容や表現を無断でそのまま用いる方、少々の手直しを加えて、自分のオリジナルのように装う方がいらっしゃるようですが、モラルを守ってくださるようお願い致します。

【追記】「スピリチュアリズムがこれだけ広まったのは、それが真理だからです!」と言っているスピオタがいるが、「勘違いしなさんな」と。単に、守護霊とか輪廻転生とかオーラとかソウルメイトとか霊障とか、一昔前は「怪しい世界の話」と表立って話題に出来なかったような、いわば「話す人を選ぶような話題」が、E原氏のオーラ番組がきっかけで、その当時に比べ、職場や学校等公の場で多少気軽に出来るようになってきたというだけのこと。

大体、信者を含め、「スピリチュアリズム」と「オカルティズム」の区別もつかない人や言葉の意味さえ知らない人が世の中の大半を占めているこの状況で、「広まった」とは言えませんわ。今流行中なのは、確実に「オカルティズム」なんで。

先日、明石家さんまさんが司会をされているバラエティ番組で、「フリフリ教」の話題が出たのだが、それを聞いたさんまさん、非常に呆れた顔で「そんなヒマあるなら働けよ」と。観覧席を含め、スタジオ中が失笑状態。世間の多くの人の「スピリチュアル教」に対する認識や印象は、所詮その程度です。どう考えても、さんまさんのおっしゃっていることのほうが理に適っていると思いますけど。

「類友」の法則で、スピオタの周りにはスピオタが集まります。まあ、批判者や懐疑派を締め出して、自分達に都合のいいことしか受け入れないような狭い世界にいれば、自分達が「多数派」になったような錯覚を起こしても当然かと。そのへんはくれぐれも勘違いしないように。ちゃんと「現実」を知ってください。

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