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こじつけのスピリチュアル

 2012-04-27
最近、スピリチュアル系ブログ―特に「オーラ教信者」と思しきブロガーの記事をチェックしていると、やたら「オーラマーキング」という言葉が出てくる。冒頭に「オーラ」とか「スピリチュアル」をくっつけて、何でもそっちの世界に結びつけるのが、オーラ教教祖のやり方。つい最近まで、「スピリチュアルフード」「スピリチュアル子育て」等という教義を唱えていたが、今度は「マーキング」ですか・・・。思わず「・・・・・・犬かよ( ̄ε ̄) 」と。

マーキングとは、読んで字の如し「マーク=印をつけること」だ。動物が尿などで、自分の縄張りを示すことを指す。お散歩中のわんこが電信柱等にする例のアレ。それにわざわざ「オーラ」をつけちゃうところが、もうなんというか・・・。ネタ切れですか?と。

「霊性の向上がどうたら」「魂の波動がなんたら」と高尚なことを説いていても、所詮は「ビジネス」。次々に新しい「教義(ネタ)」を生み出していかなければ、「客(信者)」はすぐに飽きる。商売は「仕掛け」が肝心だ。それが商機―書籍や関連グッズ、講演会のチケット等の売り上げに繋がる。

スピリチュアル教信者は、「教祖様はそんな下世話な人じゃない!今の世の中を愛で満たすためにスピリチュアリズムを広めようとしているのよ!」」と言うが、たとえそこに10円でも金銭が発生するなら、内容や動機の如何に関係なく、それは立派な「ビジネス」だ。神社仏閣や教会だって同じこと。言うなれば、「宗教ビジネス」。神主や僧侶、牧師や神父はれっきとした「職業」だし、その業務に従事することで生計を立てている。

オーラ教教祖だって例外ではない。「スピリチュアリスト」などという日本人には意味を掴みにくい非常に曖昧なニュアンスの言葉を当てはめているので、大概の人は丸め込まれる。むしろ、その「わかったようなわからないような曖昧さ」が教祖に有利に働いているのだ。どこか高尚さを感じさせる言葉の響きが、ビジネス臭を払拭している。人々に「商売」「売り上げ」といった下世話さを忘れさせるのだ。

だが実際は、他の職業と何ら変わりない。水面下では、がっつりと「ビジネス」が進行している。なぜなら、それが彼の「職業」だから。そして、それを「職業」とするのであれば、利益を追求することも、また当然のことなのだ。

自分が信仰しているものに純粋さや気高さを求める気持ちはわからないでもない。魂とか霊性とか、ある意味「自分の存在意義」に関わるものだ。出来たらそこに「下世話な要素」は入れたくない―と思うのが「人情」というもの。ましてや、崇拝する教祖様が「金銭」「ビジネス」「売り上げ」等といった超現実的でありきたりのフツーの世界とがっちり繋がっていると思うだけで、ちょっとした「がっかり感」がある。

ある種の「生活臭」を感じてしまうと、世知辛い現実世界に引き戻されるのだ。同時に、自分が相変わらず「つまらない存在」であることを思い知らされる。「信仰によってワンランク上の世界に行けたように思ったけど、実際は何も変わっていない。自分は今もこの代わり映えがしない世界に生きているんだ」という現実を突きつけられるのだ。

今の時代、今の環境、今の自分に馴染めず、いわば「現実逃避」からスピリチュアル教にハマっていった信者からすると、それは耐え難いものだ。嫌で逃げたものが、どこまでも追いかけてくるのだから。本人からすれば「たまったもんじゃない」というところだろう。やっと安住の地を見つけたと思ったのに、そこも追われ・・・という状態なのだから。

一切の現実的なもの―批判や否定や疑問の声をひたすら自分達の世界から締め出し、耳を塞ぐ。自分達が信仰するものの先にあるもの・繋がっているものの「裏側」を認めない。彼らは相変わらず「逃げ続けている」のだ。「オーラ教から始まったスピリチュアルという名のオカルト教」の信者に、地に足がついていない「不安定な人」が多く見られるのはそのせいだ。常に何か縋っているものが必要な人達。だから、「オーラマーキング」とかいう、非信者からすると「アホくさ・・・」と呆れるような教義さえ有難がるのだ。

自分のオーラを物や場所に付着させて馴染ませる??その場所に長時間滞在したり、歩き回ったり、手で触れたりすることで自分のオーラがそこに浸透して、自分の存在感が高まったり本領を発揮しやすくなる??そこにいる人達に気持ちが伝わりやすくなったりする??家の掃除をするとオーラが浸透して家族を守る??引越し先の地域に馴染みたい時は、近所中を歩いてオーラマーキングをすると早く馴染める??

もう「なんすかそれ・・・」の内容なのだ。存在感や本領を発揮したいんだったら、オーラをどうこうしなくても、もっと他にやり方があるでしょーが。仕事ぶりとか態度とかで示せば?本領を発揮できる環境や存在感って、そういうことの積み重ねで出来上がるんじゃないの?

人に気持ちを伝えたいんだったら、言葉でそれを伝えれば?「わかってもらおう」「伝えよう」という気持ちがあれば、言葉を尽くしてそれをすると思うけど?何のために人間が「言葉」を生み出したと思ってるんですか。

「どうせわかってくれない」「向こうがこっちを理解するべきだ」ってどこかで思ってません?そういう人って、大抵「言葉が足らない人」なんで。余計なことも言わないかわりに、必要なことも言わない人。言葉を飾ることもしないけど、必要な言葉さえも省く人。自分のコミュニケーションの方法、真剣に見直したことあります?

あなたに足りないのは「言葉」です。言葉。その場所にオーラをベタベタ貼りつけることじゃありません。そんなことするヒマがあったら、コミュニケーション能力磨いてください。「話し方教室」に通ったほうがよっぽど役に立ちます。

引越し先に早く馴染みたいんだったら、ご近所にご挨拶に伺ったら?最近は、そういう挨拶回りも「防犯上」とか「プライバシー上」とかの関係で、どんどんしない方向に向かっているみたいだけど、王道でいくなら、「向こう三軒両隣」のお宅、マンションの管理組合や町内会の役員の方達にご挨拶に伺うとかすれば?町内清掃なんかの行事に参加したり、近所のお店の人と世間話してみるとか。もちろん、日頃のご挨拶は自分からきっちりとね。

「見慣れない人」がオーラマーキングするために、町内中をふらふらぐるぐる歩き回ってたら、中には「不審者」と疑う人もいるかもね。もし万が一通報でもされて、職質なんか受けた日にゃあ、馴染むどころか敬遠されます。町内をさまよってた理由、正直に言えます?「実は引っ越してきたばかりで、早く馴染めるようオーラマーキングをしてまして・・・」どう考えても「変な人」でしょ。それでなくても、宗教・スピリチュアル絡みの事件が多発している昨今です。そういうものに無関心な人・否定する人には、その理由、通用しませんから。

結局、「オーラマーキング」とやらは、「自助」の部分をすべて取り去ることを奨励しているということだ。自分で自分の身を助けること。他人や何かに依存せず、きっちり物事に向き合って、努力して、自分自身の力で向上すべき部分を、オーラをマーキングするとかいう意味不明な独りよがりの方法で何とかなるとそそのかしている。

オーラマーキングの「効能」として挙げられている部分は、すべて「相手ありき」が前提の要素だ。「自分対相手」との関係から培っていくもの。こつこつと積み上げていくもの。教祖本人がどういうニュアンスでその教義を唱えているのか真意は知らないが、人嫌いやコミュニケーションを苦手とする人達は必ず誤解する。「オーラをマーキングさえすれば、すべて上手くいく。わざわざ苦手なコミュニケーションを取らなくてもその場に馴染めるようになれる。自分の存在感が増す。何も言わなくても、みんな自分の気持ちをわかってくれるようになる」

もともと逃避願望が強い人達だ。そういう人達の常で、彼らは「すべて自分に都合のいいように解釈する」という傾向が強い。提唱者本人の意図と大きくずれているとしても、「受け取る側の問題」として片付けられないものがある。そもそも、「普通に、常識的に、周囲と真摯に向き合い、向上心を持って、努力を継続し続けること」をしていたらいいだけの話。オーラをマーキングするとか関係なくね?と。

「言い訳」を探している人なら、間違いなく飛びつく教義。手間をかけずに勝手に一人でごそごそやっていればいいだけなのだから。実際、その教義に飛びついた信者のブログの幾つかに、既に「勘違い」の兆候が現れているけれど。「だから言わんこっちゃない」なのだ。

教祖にしてみたら苦し紛れの珍教義だったとしても、狂信者達にとって、それはまさに「天啓」なのだ。「教団」がここまで巨大化した今、ここで「自己責任」なんて言葉を持ち出すようなら、今後新教義の発表はしないに限る。「特定の思想を真理として語ること」には、それだけの大きな責任が伴うのだ。言いっ放しで放置、「自己責任」の言葉ですべて丸投げ―というのは、無責任の極み。「真理」と断言するのなら、それに殉ずるくらいの覚悟を持たなければ思想は語れない。それが「自分の欠片」であるなら尚更だ。もっとも、件の新教義はあまりにくだらなさ過ぎて失笑を誘うレベルの珍妙なもの。殉教者の覚悟を要求するのは、ちょっと酷なことなのかも。

しかし、スピリチュアリズムに「マーキング」という言葉が登場するとはね。そこまで新ネタに困ってるのかと疑いたくもなる。本来は「霊性」を重視する思想と言っている割に、かなり「目先のテクニック」に走っているような気がするが。これでは、「楽して得して手っ取り早くご利益ゲット!」を謳い文句にするチープな新興宗教と思われても仕方ない。

まあ実際、その「裏側」は、「仕掛ける側」の欲望と思惑が渦巻く超リアルな、「高尚」とは程遠い世界の何物でもないのだけれど。何分にも「ビジネス」なのでね。「次の仕掛け」のための言うに事欠いたこじつけ教義を有難がるのは、狂信者や盲信者だけなのだ。

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カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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