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原理主義者の意地

 2012-04-05
「私が信仰しているスピリチュアル教は、絶対に正しいんですっ!」そう言い張るスピリチュアル狂信者というのは、共通点がある。その一つが、「意固地」という要素。年がら年中愛だの光だのと言っている割に、結構我が強いというか、意地っ張りというか、負けず嫌いだよね、と。アンチスピリチュアル派や疑問視派を相手にする時などは、特にその要素が強く出る。

ちょっとでも矛盾や疑問を挙げれば、「いじめだ!」「攻撃だ!」「否定された!」と大騒ぎするし、自分達の正当性を主張するために、筋の通らない屁理屈を捏ねたりするのがその証拠。矛盾に気づいたからこそ、保身を考える。いわば「ばつの悪さ」を隠すため。虚栄心の反射運動。

何を信じようと個人の自由。だが、彼らの様子を観ていると、自分が信仰している宗教やその教義を何が何でも正しいものにしたい―そういった「執念」のようなものしか感じられないのだ。「自分達が正しいことを証明できるなら何でもする」妙な意気込みというか、鬼気迫るものを感じる。

信仰している宗教の教えはすべて真実であり、正しいものとする「原理主義者」特有の、短絡的な物事の捉え方や「異なるもの」を徹底的に排斥するその姿勢が、狂信ぶりをより際立たせる。なんでそこまでして『自分達は正しい側にいる』ということを主張したいの?それに固執するの?と。躍起になっているその様は、「部外者」に、その偏狭さや頑なさの印象しか残さない。

狂信者は、自分達が信奉しているその教義と一体化している。「自分が信じるものが正しければ、それを信じる自分は正しい」彼らはそれを縁(よすが)にしている。生きる上の、または自分の存在意義に対しての―。彼らにとって「異なるもの」は、自分達を脅かす存在なのだ。いわば「敵」。だから彼らは防戦に必死になる。自分を守るために。そこで負ければ、自分が存在する意味が失われてしまうのだから。

彼らの意固地さは、生き残るためのものなのだ。自分の価値や正しさ、いわば自分の存在意義を賭けた戦いなのだ。意地にもなろうというものだ。そうなると、道理を引っ込めて無理を通そうとする無茶苦茶な言動や「異なるもの」を徹底して排除しようとする、あの、ある種の「見ないふり・存在しないふり」にも合点がいくのだ。


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カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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