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隠匿

 2011-06-19
【隠匿(いんとく)】①包み隠すこと。秘密にすること。かくまうこと。②隠れた悪事。心中に蔵する罪悪。隠悪。(広辞苑より)


「スピリチュアリズム」という言葉は、「精神主義」「心霊主義」と訳される。「精神主義」は、物質的なものや現実的なものより、精神的なものを優先・重要視して考えることを、「心霊主義」とは、死後の霊魂やその科学的証拠の存在を信じることを言う。つまり、スピリチュアリズムとは、霊的世界を実験・証明する心霊研究及び意識やあの世等「不可視の領域」を重んじる思想なのだ。

このスピリチュアリズムの発祥は、1848年のアメリカに遡る。ニューヨーク州ハイズビル在住のフォックス家で、眠れぬほどのラップ音が数週間毎日続いた。その一家の14歳と12歳の娘達―マーガレットとケイトの姉妹が、そのラップ音との交信を試みたことが、スピリチュアリズムが生まれるきっかけとなった。

フォックス姉妹は、いわば「霊媒」の先駆けと言っていい。その後、姉妹はアメリカ全土はもとより、ヨーロッパを回って霊との交信を披露し、そこで大人気を博した。姉妹の出現と人々の熱狂で、その土台が作られたのだ。

ここ最近、数年前に爆発的人気を誇った例のオーラ番組と出演者だった霊能師の影響で、日本に「スピリチュアル」と呼ばれるものが急速に広まった。形容詞を名詞的な扱いをして連呼するその曖昧な名称からして既に怪しいのだが、「仕掛け人」であるその霊能師の発言からすると、日本で流行中の「スピリチュアル」というものも、根本はそこに繋がっているようだ。

スピリチュアリズムを「真理」として受け入れ、それを指針として生きる人を「スピリチュアリスト」と言う。現在日本でそれを自称する人達の多くは、自分達の「真理」を伝家の宝刀のように振りかざす。まあ、単に「由緒正しいものである」ということを強調し、欧米社会で認められた歴史があることから「正当な哲学・思想である」ことを謳いたいのだと思う。実際、それを得意げに持ち出す「自称スピリチュアリスト」も少なくない。

彼らの多くは、スピリチュアリズムを「高尚なもの」として語る。それを信じる者は、高い人格や意識を持った「覚醒者」のように。だが、実際のそれは、かなり濃い「闇」の部分を持ち合わせている。高尚さどころか、むしろその対極の要素、暗黒の歴史が存在している。


フォックス姉妹の出現と活躍後、欧米には、夥しい数の霊媒が続出した。その最大の理由は、霊との交信等「心霊術」が金になるとわかったからだ。まさに玉石混淆状態の、いわばカオスの様相を呈したのだ。「本物」と同じくらい、もしくはそれ以上の数の「偽物」が跋扈し、それに絡んだ詐欺等も多発した。

実際、フォックス姉妹の親族は、後年、彼女らの「いかさま行為」を告発する署名入りの文章を新聞社に送っている。姉妹の霊との交信は、その後多くの新聞社や学者達によって調査・実験された。そして、その結果、それがトリックであるとが結論付けられている。フォックス姉妹の一人、妹のケイトは後にこう語っている。「スピリチュアリズムは1から10までペテンです。今世紀最高のペテンです」


「行者の末路は哀れ」という言葉があるが、それを証明するかのようにフォックス姉妹をはじめ、多くの霊媒達は重度のアルコール中毒や精神疾患を発祥する等その後悲惨な人生を歩んでいる。フォックス姉妹は、二人とも50代で命を落としている。姉のマーガレットが貧困の中で病死、妹のケイトは重度のアルコール中毒となり、死亡した際はホームレスだった。

この国の「自称スピリチュアリスト」達は、そういった暗黒の歴史に一切触れようとしない。というより、それさえも知らないのだ。その実は、好奇心と幸福願望、特別意識を持ちたいがための「単なるオカルト信仰」なので、言われるがままの教義を盲信し、その全貌がどんなものなのかを自分達で調べようとも知ろうとも思わない。「考えない人」が無知なのも当然なのだ。

件のオーラ教教祖も、ここ最近「スピリチュアルカウンセラー」から「スピリチュアリスト」に名称変更したようだが、自身の公式サイトでフォックス姉妹のくだりをスピリチュアリズムの発祥として紹介しているものの、姉妹の「その後」については一切触れていない。というより、意図的に伏せているのだ。スピリチュアリズムの「元締め」である英国スピリチュアリスト協会会員である人間が、それを知らないはずがないではないか。

歴史の古さや世界的な文豪等「その道の権威」と言われる人間がスピリチュアリズムの信仰者だったことなどを持ち出し、アカデミックな面ばかりを強調してはいるが、その暗黒史に一切触れていないことが実に胡散臭い。それを「真理」だと言うのなら、「すべて」を開示するべきだ。

「自称スピリチュアリスト」が、やたらと愛や光といった「明るい言葉」を多用するのは、その深い闇の反動なのだ。それを故意に隠さなければならないことには、それなりの理由が存在する。「触れない」のではなく、「触れられない」のだ。その「本性」が露呈するから。

人によっては、闇の部分を認めるよりも、それを頑なに退けるほうが楽な場合がある。「自称スピリチュアリスト」には、都合の悪いことは見て見ないふりをするご都合主義の人間がやたらと目立つ。言うなれば、彼らは「逃避することで自分を守ってきた人」なのだ。だから、自分の中の都合の悪い部分―闇を見ようとしない。自分の中の「光」を必要以上に強調するのはそのせいだ。だが、実は、本人自身が自分の中の闇を一番意識している。

物事というのは、必ず両面が存在する。光だけでも、闇だけでもない。そして、それはスピリチュアリズムに関しても同様なのだ。信者達がそれを「高尚」と言うのなら、必ず「下世話」な部分が存在するということだ。どちらかしか存在しないと言い張るのであれば、それは多分片面しか見ていないか、もしくは見えていないふりをしているだけだ。

神道には、神々の荒く猛々しい面を表す「荒御魂(あらみたま)」、その柔和さや精熟等の得を備えた面を表す「和御魂(にぎみたま)」という言葉が存在する。古の日本人は、ちゃんと自覚していたのだ。神々にさえも二面性があることを。そして、それこそが「真理」なのだ。

表面では博愛や平等を謳いながら、その陰では流血と略奪を世界各地で繰り返してきたキリスト教をベースに生まれたスピリチュアリズムなどという妙な新興宗教に毒されたこの国は、いつしか「隠すこと」を覚えたのだ。都合の悪いことは徹底的に排除し、表面を取り繕う。明るい面しか表に出さない―それは、日本人が本来兼ね備えている「潔さ」とは無縁のものだ。そういった異国の正体不明の主義思想に簡単に取り込まれるのは、精神が弱体化した証拠。単なる逃避だ。

いい加減に、その見ないふり・存在しないふりをするのはやめましょうよ、と。いくら表面から隠そうとしても、それが存在することには変わりない。「事実」までは消せないのだ。



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7月 自死遺族グリーフケアの会開催日時

 2011-06-18
2011年月 自死遺族グリーフケアの会開催日時のお知らせです。

■日時 : 2011年 7月3日(日) 13時~15時

■場所 : ヒプノセラピールーム カンテ・イスタ内

■参加費用 : 無料

■参加定員 : 1名(先着順)*定員に達しました。

■申し込み方法 : 6月29日までに、メールまたはFAXで参加希望の旨をお知らせください。

大変申し訳ございませんが、デリケート且つ慎重さを必要とする性質のものですので、電話やメールでのご相談は受け付けておりません。こういったものは、やはり「直接対面」で行うべきものだと考えておりますので。どうかその旨ご理解ください。遠方で参加するのが難しいという方は、お住まいの地域や周辺で活動しているサポートグループを探してみることをお勧め致します。


*以下詳細です。




■参加資格 : 原則として「自死遺族」であること          

・父母・兄弟・姉妹・子供・配偶者等、故人と「家族・親戚関係」にある人
          
・故人と、婚約者・恋人・親しい友人関係にあった人


■参加条件 :当ブログ内のカテゴリー「自死遺族としての声」の全記事必読、当方のスタンスを十分理解した上でお申し込みください。年齢・性別・宗教等は問いません。

故人の死が原因で心身の調子を崩され、現在 精神科・心療内科に通院中の方は、必ず担当医にその旨を伝え、参加許可を得た上でお申し込みください。また、当方にもその旨をお知らせくださるようお願い致します。

入院治療中の方は、症状の改善を最優先していただきたいと思っています。退院後の参加をご再考いただけましたら幸いです。


■参加費用 : 無料(ボランティアとして行っていますので、参加費等一切いただきません)


■開催場所 : 「ヒプノセラピールーム カンテ・イスタ」内
地下鉄千日前線・中央線「阿波座駅」下車⑨番出口より徒歩3分)

詳細な地図は、ブログ右側の「リンク先」から「ヒプノセラピー カンテ・イスタ」をクリック
→サイト内の「アクセスMAP」をご参照ください。


■開催日時 :毎月第1日曜日 午後1時~3時(変更の際はその都度ブログ上でお知らせします)


■定員人数 : 1名(先着順)


■参加方法 : メールまたはFAXで申し込み(本ブログ右側下部にあるメールフォームからでも申し込み可能です)

①メール(PC・携帯)でのお申し込み : info@cante-ista.jp

*PCご利用の方へ:当方のプロバイダーはyahooです。yahooメールを受信拒否設定にしている方は、設定を解除してくださるようお願い致します。

*携帯メールご利用の方へ:PCからのメールを受信拒否に設定している方は、設定を解除してくださるようお願い致します。

②FAXでのお申し込み : 06-6443-6807

①②の場合共、申し込み時に、参加希望者の「氏名」「年齢」「連絡先(電話番号・メールアドレス)」「故人との関係」「故人が亡くなった簡単な経緯(例:いつどこで、どんな状況で等)」を必ず記入してください。

尚、お申し込みをいただいた時点で、既に定員数に達している場合は、翌月以降の会に回っていただくことになりますので、その旨ご了承くださるようお願い致します。早目のお申し込みをお勧めします。

お申し込みをいただいてから、1~2日以内に折り返しご連絡をさせていただきます。 2日以上経っても返信がない場合、こちらにメールやFAXが届いていない可能性があります。 もしくは、参加希望者側のPCや携帯の受信設定でこちらからのメールが届かないということも時々あるようです。 その際は、受信設定や迷惑メールホルダー等を確認した上で、再度ご連絡をいただけますようお願い致します。


■留意事項

①グリーフケアの会は、主催者でもあり、自身も自死遺族である精神療法(ヒプノセラピー)セラピスト 樫田ミラと参加者が1対1で話し合うスタイルを採っています。今のご自身の思い等、何でもお話ください。同じ遺族の立場から、アドバイスを差し上げることもできると思います。

②会への参加は、参加者の意思に任されています。
「継続的に参加し続けなければならない」といったような強制等は一切ありません。
ご自身が「一度の参加で十分だ」と思えばそれで結構ですし、「また参加したい」と思えば、 いつでもお好きな時に参加していただけます。完全に個人の自由意思です。

③宗教の勧誘や物販等の「利益」を目的とした参加、精神医学・心理学等の「研究」目的の参加・見学等を前提としたお申し込みは固くお断り致します。 その旨が発覚した場合、理由の如何を問わず、 今後の会の出入りは禁止させていただきますので、ご了承ください。

④参加者の個人情報は、法の定める守秘義務に基づき、厳重に保護されます。
参加者の氏名、会で話された内容等、プライバシーに関する事項は、一切外部に漏れることはありませんので、ご安心ください。

⑤やむを得なく会を欠席される時は、必ず事前にご連絡くださるようお願い致します。


■その他

尚、主催者のプロフィールをお知りになりたい方は、 ①ブログ右側にある「リンク先(ヒプノセラピールーム カンテ・イスタ)」をクリック →②サイト内、「セラピスト紹介」の項目をご覧ください。
          


【お願い】以下は、カテゴリー「自死遺族としての声」内にある全記事です。「参加条件」の一つでもありますので、すべてに目を通し、当方のスタンスを十分理解した上でのお申し込みをお願い致します。


自死遺族グリーフケアの会発足のお知らせ

「あの人」が逝った理由

沈黙の悲しみ(1)その衝撃

沈黙の悲しみ(2)それぞれの孤独

沈黙の悲しみ(3)偏見

沈黙の悲しみ(4)流説と虚妄の害

沈黙の悲しみ(5)不幸につけこむ人々

沈黙の悲しみ(6)あなたは悪くない

沈黙の悲しみ(7)遺族が受ける傷

清水由貴子さんの死について思うこと






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所信表明

 2011-06-12
【所信表明(しょしんひょうめい)】考えや決意、自分の信ずることを表して、明らかにすること。


少し前に、誕生日を迎えた。多分多くの人がそうなのだと思うが、自他共に「大人」と認める年齢で、且つある程度の時期を過ぎると、「誕生日」というものに対して感慨を覚えなくなる。親しい人達からのおめでとうメールや電話は嬉しい。だが、当の本人は、「え?もう1年経ったの?早っ!」という感じで、割と無関心というか、淡々としている。

数日前、テレビのトーク番組に出ていたある女優さんが、「年齢なんて『背番号』みたいなもんよ」と言っていたが、なるほどなー、と。年毎に誕生日への関心が薄れていくので、年齢は、ただの番号や記号へと成り下がる。確かに言い得て妙だ、と。

その上、年々歳ばかり取ってはいくものの、意外と中身―特に「根っこ」の部分は、10代の頃と変わっていなかったりする。だから誕生日が来る度に、驚いたり戸惑ったりするのだ。その年齢と中身が不釣合いなような気がして。年々大きくなっていくその背番号を持て余しているのは、他ならぬ本人なのかもしれない。

だが、「年の功」という言葉があるように、年々身についてくるものがある。その年齢毎の経験やそこで身につけた知恵や知識、理解といったものを上手く応用していけるようになるので、日常や仕事、周囲に対し、自然と「そつ」がなくなっていく。それは悪いことではない。「人として成長した」ということだ。

その「そつのなさ」から来る「したたかさ」を、私は嫌いではない。海千山千。容易に屈しない剛の者。一筋縄ではいかない曲者―若いうちは敬遠されがちなその要素は、今のこの年齢だからこそふさわしいのだ。だったらその「武器」を、今だからこそ使いこなせるそれを、存分に活用しない手はないではないか。

だが思う。自分の信念や夢や目標、世の中の妙な矛盾や筋の通らないことに対しては、徹底的に「物わかりの悪い大人」でいよう、と。その領域には、無駄や無益といった「そつ」は存在しない。

年齢を経るにつれ、無駄や無益を嫌い、平穏無事に逃げ込む人は増えていく。論理を展開したり、それを自分自身で証明することを厭う人もいる。日常や心身の疲弊から、「スピリチュアリズム」という名称を語った、実は単なるオカルト信仰に自分を明け渡して「奴隷」に成り果てる人とか。「大人になる=諦めること」と思っている人達だ。

私からすれば、それは「逃避」なのだ。子供の頃から、「これだけはすまい」と思ってきたこと。自分が本気で手に入れたいものがあったら、形振り構わず全力で取りに行く。自分が展開した論理を、身をもって真摯に証明する。詭弁には徹底的に対峙し、追究する―「楽に、早く、リスク少なく」を望む人達が言うところの「無駄」を、あえて背負っていこうじゃないかと思うのだ。自分自身に妥協しない大人でいよう、と。

多分、今私は、10代や20代の頃に考えていた「なりたかった自分」になっている。したたかさとある種の不器用さと―周囲はどう思っているかは知らないが、そんな両極端の要素を併せ持った自分が、結構気に入っていたりする。

この先も、自分自身に対しては物わかりの悪い、諦めの悪い大人でい続けること。そして、そんな自分と、どんな結末になろうがそこで起こることすべてを引き受けること―既にその覚悟は出来ている。その決意を新たにした今年の誕生日、初夏の頃。




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潮流

 2011-06-01
【潮流(ちょうりゅう)】①潮の流れ。②潮の満ち干によって、周期的に起きる海水の流れ。③比喩的に、時勢の動き。世間のなりゆき。「時代の―に乗る」(広辞苑より)


先日、あるスピリチュアル系ブログにこんなことが書いてあった。「今、これだけ世の中にスピリチュアリズムが広まったのは、それが真実であり、真理だからです」思わず「はぁ?」と。スピリチュアル教信者ならではの買いかぶり発言だ。

これだけ世の中にスピリチュアリズムが広まったのは、それが真実だからでも、真理だからでもない。単に、今の日本に「不安な人」「退屈している人」が増えたせいだ。

社会が不安定になると、人々の精神は疲弊する。「人知を超えた絶対的なもの」に対する憧れが募り、それを支えや救いとするようになる。古今東西問わず、宗教や思想等が世の中に広まる背景には、「不安定」という要素が必ず存在する。それは「お約束」であり、過去から延々と繰り返されてきた「パターン」なのだ。真偽云々の問題ではなく、あくまでも「時代性」の影響ということだ。

スピリチュアリズムやそこから派生したスピリチュアル教が日本に拡大したのも、まったく同じことなのだ。人も社会も不安定なこの国の現状に、それが「うまくハマった」というだけのこと。特に、平和ボケした「退屈な人」が多いこの国には、その中で、至るところで提示される「奇異」が、うってつけの「ひまつぶし」になったのだ。

オーラ、天使、守護霊、前世、ソウルメイト―多くの人が、多分一度は興味を持ったであろうことを餌に、「普通のいい人」に見える宣教師を使って、明るくアピールする。まさに渡りに船なのだ。退屈し切っていた人々がそれに飛びつくのも頷ける話だ。

人の日常は、その大半が「繰り返し」だ。「繰り返し」の連続で、それは成り立っている。年齢が上がれば上がるほど、その傾向は強くなる。そういった日常に退屈や不安を覚え、何らかの意味付けをしなければ日々をやり過ごせない人が増えた社会になったことが、一番の原因なのだ。

スピリチュアリズムが勢力を広げたその訳は、それが真実や真理を告げているからではなく、人間力の低下した人々が蔓延する怠惰で浅薄な今の社会の状況に、たまたまそれが「逃避先」としてマッチしたというだけのこと。宗教に対して無頓着な民族性も、キリスト教を母体とするスピリチュアリズムの拡大を後押しすることになったのだ。

不安、無知、「特別な何か」「あと少し、もっと」を求める欲望―スピリチュアリズムとスピリチュアル教の台頭は、今の日本や日本人の精神状態をそのまま映し出している。そういったものに支配されている人間が、かなりの数存在しているという表れだ。「自分の中にあるものに打ち負かされる人」によって、それは呼び起こされたのだ。

だが、それは有史以来、人類が繰り返してきた「よくあるパターン」の一つに過ぎない。ごく当たり前の、普通に起こることなのだ。月や太陽の引力によって潮が満ち干きするように、一定の条件が揃えば、必然的に発生するもの。言うなれば、「自然現象」のようなものなのだ。「条件」が揃った今、その現象が起こる時期が、またこの国にやって来たというだけのことなのだ。



【追記】「信者の数=正しさ」ではない。「多くの人が信じているから」「みんな同じことを言っているから」というだけで、簡単に自分を明け渡してしまう人がいるが、それは非常に危険なことだ。信者が皆同じことを言うようになるのは、ベースになる思想があるからだ。その思想に沿うように、そう考えるように、仕向けられていくのだ。思考が統一化されるのは、それが真実や真理だという証拠ではない。それこそが「洗脳の結果」なのだ。

何よりも、キリスト教や仏教等ベースに特定の思想が存在する場合、そこで言われている「真理」「真実」というものは、「あくまでも、その範囲において真理、真実とされているもの」なのだ。万人が認めるものでなければ、「真理」とは言わない。真理に「偏り」は不要なのだ。



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