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タナジョ

 2011-01-18
昨年の夏、アメリカから友人のキャシーが日本に遊びに来た。3週間の滞在期間中の1週間を我が家に滞在していたのだが、その間あちこち案内して回っていた。彼女のリクエストで、主に京都や奈良の神社仏閣を巡っていた時に思った。「なんかえらいことになってるなー」

ここ8年ほど、初詣を含め、神社仏閣の類には一切足を運んでいなかった。今回久しぶりにキャシーとあちこちのお寺や神社を巡ってみたのだが、やたら若い人―特に20代くらいの女性の姿が目に付くのだ。世の中には、年齢や性別を問わず、いわゆる「寺好き」「神社好き」の人達がいる。彼女達もその口かと思っていたのだが、観ているとどうも様子が違う。

大抵の場合、神社仏閣ファンというのは、参詣や参拝以外の部分にも時間をかける。庭や仏像等をじっくりと時間をかけて観賞し、滞在時間も結構長い。その場所の「気」を味わうことが一番の目的だったりする。

だが、彼女達の場合、お参りを済ませると、「はい!終わった!」という感じで足早にそこを後にする。何というか、非常にせわしない。キャシーも、「あの子達急いでるみたいだね」と振り返っていたので、実際そうだったのだと思う。

だが、彼女達を観ているうちに、「急ぐ理由」が判明した。その子達の多くが手にしていたのは、「パワースポット」を紹介している雑誌や書籍だったのだ。「なるほどねー」と。あくまでも、目的は「ご利益祈願」なのだから、庭や仏像に興味を示すはずはないのだ。中には「急げば○○神社にも行けるよ!」と小走りになっているグループもいた。まるでスタンプラリーでもやっているようなノリなのだ。

その様子を少々呆れながら見ていたところに、「ねぇ、あれ何?」とキャシーに肩を突っつかれた。彼女が指を指す方向を見ると、そこにはずらりと絵馬が奉納されていた。「あれ?あの板にお願い事を書いて結びつけておくと神様が叶えてくれるの。『絵馬』って言うんだよ」「本当?私も書きたい!」

「日本の神様って英語わかるかな?英語で書いてもいい?」「大丈夫だと思うよー。日本の神様は寛大だから」ワクワク顔でお願い事を書き込んでいるキャシーの横で、ずらりと並んだ絵馬を見るともなしに見ていたのだが、思わず「え?・・・」となるような内容のもので埋め尽くされていた。

「○○君(超人気若手俳優)みたいなルックスで、身長が180センチくらいで、性格が良くて、次男で、できたら上場企業勤務で、年収は○○円くらいで、持ち家があって、私のことだけを大事にしてくれる人とのご縁がありますように」「経済力があって、優しい人とのご縁が授かりますように」「一日も早くソウルメイトと出会えますように。そしてその人が経済力があって、優しい性格の人でありますように」

まあ、人様のことをあれこれ言いたくはないけれど、正直どん引きした。こんなお願い事ばかりじゃ、神様もうんざりするだろうな、と。「ご縁」以前に、「相手に求める条件」が最優先なのだ。まるで「買い物」みたいではないか。「こんな商品があったら即買いなんだけどなー」という感覚。それも求めているレベルが、ヴィトンやシャネル級。「高級品」を手に入れたいと、鵜の目鷹の目になっている。「結婚するからには絶対に『カス』は掴みたくない」そういった心情の表れだ。

「自分のことは棚に上げて」という言葉があるが、男女関わらず、パートナーに対する「条件」をあげつらう人達というのは、まさにその状態にある人が多い。高級品を欲しがるのは結構だが、自分がそれに見合うだけの人間なのか?ということをまったく省みない。相手にはヴィトンやシャネルレベルを要求する割には、本人はスーパーの衣料品売り場に卸されるような、大量生産された2~3千円の合皮のバッグレベルだったりする。

そういった自分を棚に上げる男性・女性を、私は勝手に「棚に上げる男=タナダン」「棚に上げる女=タナジョ」と呼んでいるのだが、婚活が大流行の今、本当にそういう人が多いよね、と。特にタナジョは増加傾向にある。

去年、何かのテレビ番組で、「カリスマ仲人」と呼ばれる結婚相談所の女性経営者に密着した内容を放送していた。その中で、ある男女のお見合いに同席する場面があったのだが、その時の女性会員の様子が、まさに「買い物中」といった感じだった。相手の男性を見る時の目が、完全に「値踏み」している時の目なのだ。

結局その話はまとまらなかったのだが、カリスマ仲人に断りを入れる時の彼女の言葉を聞いていると、完全に相手を「物扱い」している。彼女の中に、何か「基準」のようなものがあって、そこに達しないとダメらしいのだ。「喫茶店で伝票を自分のほうに引き寄せなかった」とか「髪型がどうこう」とか。要は、見栄えが良くて、機能的な商品じゃなくちゃ嫌なのね、と。

そういう本人は、同性の目から見て「もっとオンナ磨こうよ・・・」という体なのだ。通勤着と思しき地味なグレーのスーツでノーアクセサリー。化粧気はゼロ。とてもお見合いに来た女性には見えない。相手が話を振っても「はい」と「いいえ」だけで無愛想だし、協力して話を盛り上げようという努力すらしない。あんた何様?と。カリスマ仲人にもやんわりたしなめられていたが、多分本人は何も気づいていない。

そりゃあお見合いの席で相手が好みじゃなかったらがっかりするかもしれないけど、せめて初対面の相手を気遣って、礼儀正しく感じのいい態度を取れないのかね?と。そこまでくると、「人としてどーよ?」ということなのだ。相手を「物」としか見ないあなたを、相手は「人」として見てくれますか?と。

観ていると、「条件重視」の人というのは、その条件が変化した場合、途端に手の平を返したように態度が一変する人が多い。要は、飽きたら使い捨て―という人だということだ。そして、それは恋愛に限ったことでなく、その他の人間関係に関しても同等なのだ。損得で物事を計るタイプと言ってもいい。そんな人と一生を共にしようと思う人がどこにいるのかと。少なくとも私は嫌だ。

相手に対してあれこれ条件をつけたがる前に、まったく同じ条件を自分自身にも突きつけてみればいい。どれだけ自分が分不相応のことを言っているのかわかるから。ヴィトンやシャネルを欲しがるのであれば、自分もそれと同等クラスの「品質」になる必要があるということだ。

「こんな人がいい」と理想を語るのは勝手だが、意外と相手に求めている要素というのは、自分のコンプレックスの裏返しだったりする。パワースポットの神社で、絵馬に書き切れないくらいびっしりと結婚相手に求める条件を書き連ねる前に、もっと自分自身を省みたら?と。相手に厳しく自分に甘い―そんな人と「ご縁」が結ばれた相手にしてみたら迷惑以外の何ものでもない。

「E原さんお勧めのパワースポットの神社で祈願したけど一向に出会いがない」そう嘆いているのなら、自分を見直す必要があるのかもね。「自分のことを棚にあげるな!」という神様や仏様のメッセージかも。努力を放棄して、自分の不足分をひたすら相手に補ってもらおうとするその浅ましさ―そういう心根は相手にもきっちり伝わっているものだ。そんな人を誰が選びますか?なのだ。


「出来た~!」絵馬を書き上げたキャシーは満足そうに奉納場所に結び付けていた。「なんて書いたの?」「世界中のすべての人達が平和で幸せに暮らせますように」「偉い!」くれくれよこせ祈願に満ち溢れた絵馬が並ぶ中、私利私欲のまったく入っていないキャシーの絵馬は、お世辞抜きで潔く、清浄なエネルギーを発しているように見えた。多分こういう絵馬を、神様は手に取るんだろうなと。

自分を棚に上げての神頼み―いくらなんでもそれは虫が良すぎるってもんですよ。「ふざけんな!」と神様に足蹴にされるのが関の山です。




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カテゴリ :男と女・恋愛・結婚の話 トラックバック(-) コメント(-)
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