FC2ブログ

スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

スモールワールド

 2010-06-03
スピリチュアルや自己啓発の「信者」というのは、なぜあれほどまでに「自分達の世界」を作りたがるのだろうか?彼らのそれは、時代劇に出てくるような「村社会」を彷彿とさせる。何よりも「身内」を優先し、「よそ者」を徹底的に排除する―極めて排他的且つ独善的な要素を持つそれを。

様々な意味で「独特」な世界。当然、その中での「独自の法律」といったものも存在する。「よそ者」には理解し難い類のもの。一蓮托生、運命共同体―そんな言葉を連想させる。それに従う者だけが「身内」として認められ、「同族」からの保護や援助を約束されるのだ。

もちろん、その見返りとしての「義務」は果たさなければならない。「みんなと仲良くすること」「相手を否定しないこと」「相手が不快になることを言ってはいけない」そこに所属するものすべてを肯定する―それが「身内になる」ということなのだ。

共通の意識を持ち、共通の法を守る「身内」が周りに増えるほど、「外の世界」に対する意識は薄くなっていく。「多数」の中に身を置いていると、だんだん感覚が麻痺していくのだ。「自分達が正義」であり、「自分達こそが世界の中心」という妄想が生まれ、閉鎖的で狭小な世界が出来上がる。

彼らにしてみたら、自分達とは異なる考えや掟を持つ「よそ者」こそが、「奇妙で間違った存在」なのだ。共有するべきものを持たない者は、群れの規律や秩序を乱し、混乱させる。だから徹底的にその存在を排除する。

そのやり方も陰険だ。決して堂々と渡り合おうとはしない。表向きは普通の態度を取ってはいるが、「あの人はまだ魂が覚醒していないから」「意識が低いから」などと陰でこそこそ言っていたりする。そうやって相手を見下すことで溜飲を下げ、プライドを保つのだ。そういった自分の腹黒さを隠そうとするところもそう。「選民思想」特有の嫌らしさ。彼らの特徴の一つでもある。


なぜ彼らは群れるのか?彼らの多くは「臆病」だ。自分が「見たくない」「聞きたくない」と思っていることが、自分の世界に存在することが我慢できない。そういったものが運んでくる苦痛や動揺や疲弊に向き合うことが出来ない人達―と言ってもいい。自分の世界を、「好きなもの」だけで埋め尽くしたいとも思っている。

自分と違う考えや思想を持つ人達とぶつかる事さえ、彼らにとっては「苦痛」なのだ。「ぶつかる事=争い、悪」と思い込んでいるから。「批判=否定、誹謗中傷」と捉え、落ち込む。そして、そういったものを自分の世界に持ち込む人と関わりさえしなければ、心の平安が保たれるはず―と思い始める。そして行き着いた先が、「常に肯定しか存在しない世界」であるスピリチュアルや自己啓発。

「ソウルメイトが次々に集結しています」そんな言葉で飾ってみても、所詮「現実逃避願望が強い人達が群れて慰め合っているだけ」に過ぎない。都合よく論理をすり替えて、「逃げた自分」の弱さを正当化する。見たいものだけ見て、聞きたいことだけ聞いて、自分と同じ考えを持つ人達だけが存在する世界?それはただの幻だ。幻の世界で得る「心の平安」も、所詮は幻なのだ。

現実逃避から生まれた集団妄想によって作り上げられた世界―それは決して妄想の域から出ることはない。所詮は限られた意識の中に存在する、ただの小さな世界でしかないのだ。




【追記】こういった人達に限って、「私達は常に視点を高いところ―宇宙や宇宙を超えた光の世界にそれをおいて物事を見ています」などと言う。宇宙や光の世界に視点なんか置かないでいいから、とりあえず地上に、現実の世界にそれを戻してくださいな。魂がどうとか、意識がどうとか偉そうなことを言っている割に、やっていることは「まんま子供」。やりたくない宿題から逃げ回っている小学生にしか見えませんけどね。


■関連記事

仲間食い


スポンサーサイト
カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。